a green hand

マティス 「生きる喜び」



先日、高校の同級生とその時の数学教師と某レストランで開店から閉店まで話し込んだ。
11:30から3:00近くまでである。
料金はランチとコーヒー2杯で1000円という気の毒な金額・・・。

この4人の接点はというと...。
おもしろい。

副担任という名前だけで数学を習ったわけでもない二人。
二人とクラスの違う私だけが数学を習っている。
だがk先生の印象に残るほど優秀でも劣等生でもない私。

同郷のTは別として私とSはアルバムを開けばこの生徒か?ぐらいの話である。

独身3人対既婚である。
k先生との年齢差、6歳?
今となっては6歳は同級生感覚である。

4回目ぐらいの会合だろうか。
変わり者の集まりであるからそれはおもしろい。

それぞれの共通点は、よくもまあ長いこと本を読み続けて来たということぐらいだ。

「せんせい、マニュキアをしてみるといいわよ、気持ちが高揚してきて若返る気分になれるわよ」とS。
今回も黄色とオレンジの混じったような太陽のようなマニュキアをして現れたS。

Sのオシャレは楽しみでもある。

「マニュキアね~。爪が苦しくなるんだよな~。」と真面目な返答。
「化粧も自分の顔が変わっていくのが嫌なんだよ」

Tと私はTの茅ヶ崎に住むという友人がコピーして送ってきたマティス関連の資料と作品に見入る。

このTを介して見知らぬ人と繋がることが最近多い。
と言っても2.3人というぐらいだから「多生の縁」ぐらいの感覚だろうか。

多生の縁が案外私の生活に豊かさをくれるからこれもおもしろい。

きっかけは美術館好きの マティス好き、しかもあのポストカードで感動し、パリまで行ってしまったたという「ルーマニアのブラウス」がまたもやきっかけを作った。

2004年に初のマティス展が西洋美術館で開催された。
その時にパリ国立美術館から「ルーマニアのブラウス」に再会。
その横に展示された「夢」という作品に新たに恋してしまった私であった。

マティス1940年の作品である。

その2枚のコピーも入っていて不思議なご縁をTの友に感じてしまった。

それと「ダンス」である。

これは1909年の作品であるが、この頃の良い作品はどんどんロシアのものになってしまう。
エルミタージュ美術館で真っ先に「マティスの間」に走ったことを思い出していた。

最後に「生きる喜び」
この絵は、多分この先も関心を示さなかったであろうと・・・。

しかしよく見るとマティスという画家の「生きる」「描く」がこの絵に全て含まれていると感じられるのだ。

画家マティスの生きる喜びとは美を集めることだ。
私がマティス好きなのも茅ヶ崎の友というマティス好きなのもこの一枚に現れていると思えた。


遠くに海が見え、柔らかな光の中に空があり、緑豊かな自然と花、山羊が草を食み、男がラッパを吹く。マティスの赤と黄色とピンク。

女たちが 伸びやかに集う、愛を語る一組の男女、中央では6人が輪になる例のダンスである。

生きる喜びとはこうした裸のままにあるのではと思えてきた。

その始まりの感覚を忘れずに残している人こそ人生の最後にあっても喜びを手にするのだと・・。

3歳のM、人生の始まりにいる孫、裸のままの感情や心もちに日々喜びを与えているもの、それはできごとを言葉で綴る歌や踊りという表現であり、水、太陽、空気、動物、全ての自然とその色であり、自分の命を育んでくれる仲の良い両親の愛や家族であったりするんだな~と。

人はそんなものから喜びを得ているものなのだ。

マティスは幸せのもとをたくさん集めて表現した。
それがこの1枚なのではないかと・・・ぶつぶつ言ってみるのである。
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