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a green hand

災害から14日目

今日は少し贅沢をして、ここから約50分ほどの温泉に行った。
途中、長蛇の列、何事かと思いきや、遠方にガソリンスタンドがあった。

いざという時のためのガソリンを残し、遠出した先は岳温泉である。
休みかなと思うぐらいの暗さが気になり、構内に入ると一人二人の客が歩いていた。

すぐ近くの体育館の駐車場にはいわきナンバーの車が揃っていた。
体育館を見上げると、洗濯物が窓際に何段にも干されてあった。避難所だった。

お風呂は、開放されていて、店内は暗く、シャワーも故障によりお湯が出ませんとある。
多少迷ったが、入ってみた。

本宮にある工場の寮に知り合いのつてでたどり着いたという、原発の大熊町からきたという
人とお風呂で話した。

いわきの知り合い、川俣の避難所と点々とし、最後は息子のバイク仲間の紹介という。

息子の趣味を危ないからと反対していたが今こうして反対を押し切って趣味を続けていた
息子のお陰という皮肉さに感謝していた。

その方の息子さんは原発に務めて今、仕事中の50代らしく、若い者はその仕事から退けながら
覚悟の上、任務にあたっている様子を涙ながらに語っておられた。

本宮の寮というのは、中国人が住む寮だったらしくすでに、退去した後に住むようになったようだ。
これから、帰る当てもない原発の地、避難民という言葉が自分に当てはまる
とは夢にも考えてなかったと語る。

これは、大なり小なり、このような大災害にあたり、まさか自分が連日テレビで報道される可哀想な
被災者になるとは思っても見なかっただろう。

豊かな日本が、戦中や戦後の復興を意識する事態に急落するとは誰も想像しなかったろう。

久々の外出に、原発の現場で働く家族との出逢いがあった。
本宮から二本松までネット検索でお風呂が開放されていると知って来たという。
どちらからと聞かれ、言葉に詰まった。

同じ被災者としてあまりにも幸せすぎるからだ。

これから、まだまだ続くかも知れませんが頑張ってくださいという言葉を残してお風呂を出た。
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