寿司職人が握る感覚でシャリが握れる寿司ロボットが
増産の勢いだ。

鈴茂器工という会社が、寿司ロボットの最大手メーカー
らしいが、現在の年産7千台から、年産一万台に増産する
計画がある。

現在でも世界の70ヶ国に輸出されているとの事だが、今後
アフリカや南米でも、寿司ブームが到来すると読んでの増産
計画だという。

ボクは昭和43年から、ドイツに駐在していたが、本拠地の
ハンブルグ市に、最初の寿司職人が現れたのが、45年で
あったと思う。西暦では1970年のことであった。

大連生まれで、大陸育ちのボクは、それ程にぎり寿司に
食指は動かなかったが、同僚たちは毎日の様に、唯一の
寿司職人が来た、日本人会館の食堂に通い始めていた。

つられて食べてみたら、案外と美味く感じ、それがボクの
寿司との関係を深めたのであった。
地元で入手できる、カレイやイカが主なネタであった。

当時はドイツといえば、先ずハンブルグという時代である。
そのハンブルグに、日本人は家族も含めて400人も居たか
どうかで、その頃から、より暮らしやすいデュッセルドルフに
多くの日本企業が進出して行く。

日本食が食べられるのは、先ほどの日本人会館の他には
高沢さんという人が、経営する「湖月」だけがあった。

「湖月」の高沢さんは、早速自ら寿司をにぎりはじめ、競争原理
で、ネタもどんどん増えて行った。

それから五年後ぐらいには、沼津の「アジの開き」業者がオランダ
のロッテルダムにやってきて、ロッテルダム港に入荷するアジを
買い付ける様になっていく。熱海や伊東の温泉旅館で朝飯に
付き物のアジの開きが、おそらくはアフリカのカナリヤ諸島辺り
で捕れるアジが、ロッテルダム港に集められ、それを沼津の業者
が買いに来ていたのだった。

ボクは今でも魚を生で食べるのは苦手の方だ。
マグロのトロなんて、皮下脂肪をわざわざ珍重する人の気が知れない。

これだけ寿司を食べる人種が増えると、日本の魚もどんどん高価に
成って行くのではないか。

いっそのこと、鯨の味を他国に広めてやれば、いま鯨が飽食する小魚
の類の入手が少しは楽になる。