日経夕刊に「あすへの課題」というコラムがあり、月替わりで
曜日ごとに執筆者が変る。
桂三枝が大学を出た学のある男とは聞いてはいたが、
彼の文章が実に巧い。
今日の夕刊に、三枝が来年7月に文枝を襲名する一件を
書いているが、六代目となるらしい。
三枝として45年間やってきたから、その名に愛着はあるし、
悩みに悩んだ末の決心だという。
誰かが名跡を継がねばならぬから、自分が継ぐのだと
述べている。
初代文枝は面白い人で、明治になって庶民も姓を付け
なければならぬことになり、芸名をそのままに、
桂を姓としたとある。
芸名も実名も桂文枝を名乗ったことになる。
関西の落語界の重鎮は、人間国宝も得た桂米朝だが、
三枝によれば桂派の主流は文枝の方だと言う。
面識がある文珍師匠は、文の一字を付けているから、
やはり文枝の系列なのだろう。落語の巧さでは三枝より
文珍だと思うのだが。内部ではそれなりの暗闘があった
のかも知れない。
中井や政府当局が否定するほど、日朝二元外交が試み
られた事実が明らかになる。
在満日本人が国外退去を命じられた時、中井は4歳に
なるかどうかの幼児であった。
路上チューのあのオッサン、今69歳なのだ。
ならボクよりも8歳下だ。新京の想い出は無いだろう。
中井は民主党内でも、北に対して強硬派だという。
「対話と圧力」ではなく「圧力と圧力」の方らしい。
北の言うことなら平伏して言いなりになる菅の指令では
なかったろう。
そんな中井に北が目を付けたのは何故か。
また「金の延べ棒」が用意されたか。
中井は受け取りを拒否したと思いたい。
北の外交の行き詰まりと見るのが正しいのか。
本家外務省は、相変らず黙視を続けるのか。
伊藤博文のヤシャ児も役に立たんな~。
横田夫妻も有元夫妻も、どんどん年を取るのに。