深夜、ただひとり、私はそこに坐ることがある。灯明もつけない。月明が火燭よりも明るくさしこみ、そこは深い海底のように思われてくる。
新しく献じた香の匂いだけがしめった夜気にひろがり、木々の霊の間をす速く駆けていく。
苔も、花も、木の葉も、草も、深夜は霊の相をあらわにして、そのあたりにひしめいている。月明の夜は彼等の霊も浮かれだすのであろうか。
時折気まぐれな雲が月の面をかくし、闇が魔女のマントのようにひろがっても、私の瞑想は破られることはない。
石の声も聞こえてくる。石にも心があると石が呻く。
長く生きたと思う。生きるということは多くを傷つけることだ。他を傷つけ、他を殺し、その命を自分の血肉としなければ人は生きることが出来ないとすれば、人が生まれるということがすでに罪を負うということではないだろうか。懺悔滅罪のために、人は生きつづけるのであろうか。
この世でより、あの世の方に、すでになつかしい人の数が多くなっている。祈るとは自分を無にして常世からの彼等の声を聞くことかもしれない。
今日も祈りの時を持てることを感謝しなければならない。
小魚の頭を噛みくだき、草の根をかじり、木の若芽をもぎとって人はこの世にあるかぎり生きつづけなければならない。
地獄は遠くなく、人の生きるまわりであろう。鬼はわが心のうちに棲む。
寂聴師