DEEP SEAα

ココロの軌跡

ONE DAY

祈りの場

2007-02-17 | 遠い日の海(過去エントリー)

深夜、ただひとり、私はそこに坐ることがある。灯明もつけない。月明が火燭よりも明るくさしこみ、そこは深い海底のように思われてくる。





新しく献じた香の匂いだけがしめった夜気にひろがり、木々の霊の間をす速く駆けていく。





苔も、花も、木の葉も、草も、深夜は霊の相をあらわにして、そのあたりにひしめいている。月明の夜は彼等の霊も浮かれだすのであろうか。





時折気まぐれな雲が月の面をかくし、闇が魔女のマントのようにひろがっても、私の瞑想は破られることはない。





石の声も聞こえてくる。石にも心があると石が呻く。





長く生きたと思う。生きるということは多くを傷つけることだ。他を傷つけ、他を殺し、その命を自分の血肉としなければ人は生きることが出来ないとすれば、人が生まれるということがすでに罪を負うということではないだろうか。懺悔滅罪のために、人は生きつづけるのであろうか。





この世でより、あの世の方に、すでになつかしい人の数が多くなっている。祈るとは自分を無にして常世からの彼等の声を聞くことかもしれない。





今日も祈りの時を持てることを感謝しなければならない。





小魚の頭を噛みくだき、草の根をかじり、木の若芽をもぎとって人はこの世にあるかぎり生きつづけなければならない。





地獄は遠くなく、人の生きるまわりであろう。鬼はわが心のうちに棲む。



寂聴師

 


箸置

2007-02-12 | 遠い日の海(過去エントリー)
食事をするときは、なるべく箸置きを使うようにしている。


コレクションしている方も多いそうだが、私はそんなに数は持っていない。



先日、木の枝で作られた箸置きを買った。


本物の木の温もりの玩具を姪に与えたいと思い、買い求めに訪れたショップで偶然見つけた。





雑務に負われて過ごしていると、つい慌ただしく食事を済ませてしまいがちになる。

ましてひとりきりの時などは器を選ぶ手間もそこそこに、簡単にしつらえてしまいがち。



それがなんだか味気なくて、ある時から意識して箸置きを使うようになった。



箸置きに箸を置きながら食事をする癖をつけると、気持ちにも余裕が生まれるような気がする。



お茶を飲むとき、器を手前に取り寄せたい瞬間、中座するときなど、無作法な様子を曝さなくて済む。


何より、キチンと食事をするようになるし、自然に所作にも気を使うようになる。


改まった席で会食しなければならない時など、つい日頃の習慣が顔を覗かせてしまうから、普段から気をつけるのに越したことはない。




日々の生活は人それぞれであるが、さほど違わないもの。



どのような意識で暮らすか‥という違いだけである。





奔放でも赦される蒼い時期を過ぎたならば、ほんの些細な事からでも熟成という高みを求められるような、生き方をしたいものだ。



それは無駄だと思われるような事でも、コツコツと丁寧に暮らして行くことだと思う。



終わらない物語

2007-02-09 | 遠い日の海(過去エントリー)
「終わらない物語。
聖書だけがその願いを叶えてくれた。」


好きな作家が以前洩らした言葉。




私は本が大好き。


書店に行き本棚の前に立つ時の、あのワクワクする気分。

今回は、どんな世界を知ることができるのだろう… と。

まさに宝の山に見えてくるのだ。




私の読書の仕方には特徴があって、一人の時にしか読まない。

立ち読みや電車の中とかでの読書は皆無。



一人になって、クラシックのCDを耳に触れる程度に流し、手元には飲み物とミントタブレット… 、あとは何も要らない。


当然、お菓子を食べながらやお酒を飲みながらなどは考えられない。




最近では読むジャンルも拘らなくなった。


朝の新聞から始まって、とにかく暇を見つけては読んでる。

使い込んだ辞書を一時間も読んでた時には、流石に驚いたけどw



だけど何故かコミックは見ない。

嫌いというわけじゃないけど、興味がない。

これまで買ってまでして読んだのは、多分「ホットロード」ど「C級サラリーマン講座」くらいかな。 笑



活字を目で追ってる間は、周りの音が聞こえない。

完全に本の世界に入り込んでる。


笑う、怒る、号泣する…… 。

大変な騒ぎである。



「ハッ!」と気がついて、冷めた紅茶を飲まなければならない事はザラ。

CDはいつの間にか止まっている。



こんな調子だから、ひとりの方が都合いいのである。 笑



ぐいぐいと引き込まれる本と出逢ってしまった時などは、著者と会話をしているような気分になる。

活字ではなく声となって響いてくる。

それは時に肉感的な程に。



夢中になってページを捲って行き、残り僅かになってくると、なんだかとても心細いような悲しい気分になる。


もっともっといつまでも話していたいのに… と。



本の中は、私が大好きなある種の妄想の世界だから、読み終えた後も帰りたくない時が多々あるのも事実。


まったく危ないものである。





私にとっての「終わらない物語」とは、いつ巡り逢えるだろう…… 。


胡椒が好き

2007-02-07 | 遠い日の海(過去エントリー)
私は胡椒が好きだ。


ブラック、ホワイト、レッド、ピンクそれぞれに好き



ラーメンは勿論、お蕎麦やスープ、サラダ、ケーキ…… 、やたらに振りかけて食べる。


近頃は、胡椒あじのお菓子が増えてきたのでとても嬉しい。


スーパーやコンビニに行くと、やたら買い漁る妙な趣味が出来てしまったw




何故こんなに胡椒が好きなのか…… ?


以前は普通に好きな程度だった。



少し思い当たる出来事がある。




私の好きな人が、ちっちゃい頃通っていた保育園で「好きな食べ物はなんですか?」と保育士さんに聞かれたらしい。


聞かれた園児達はそれぞれ、ハンバーグやスパゲティ、ケーキなどと答えたが、その人は「コショウ」と言ったという。

勿論、その頃一番好きだったからそう答えたらしいのだが、「そんなのはおかしい」と保育士に言われてとても傷ついた… と、笑っていた事があった。

それがトラウマになったのか、人に嗜好を聞かれるのは今でもあまり好きではないとも… 。



ちっちゃなちっちゃな胸を痛めた出来事が起きた日




人は大人であろうが子供であろうが、大きく心が傷付く出来事に遭遇すると、その大小に関わらずその後の人格形成に少なからず影響する。



特に子供の頃は、善悪の区別が鮮明でないから、SOSを発するきっかけを失い、深い傷になっているのにも気付かぬまま大人になる事が多い。



心ない大人の為に、傷ついたまま時を経てきた人に出逢うたびに、「その頃にもし私がいたら、助けてあげられたのにな」と、思ってしまう。



そして、どうしたらこのトラウマから解放してあげる事ができるかな…と。



へんてこりんかもしれないけど、胸が痛くなってたまらなくなるのだ。




だから、きっと、胡椒が好きになったんだと思う。




「胡椒が好きな事は、ちっともヘンじゃないし、私も大好きなのよ」‥と伝えたいから。



ちっちゃい頃に傷ついてしまった可哀想な心が、いつか癒される日が来るといいね。



私はいつも味方だよ。


もう大丈夫だよ。




最後の手紙

2007-02-07 | 遠い日の海(過去エントリー)
風のなかを自由にあるけるとか、


はっきりした声で何時間も話ができるとか、


じぶんの兄弟のために何円かを手伝えるとかいうようなことは、


できないものから見れば神の業にも均しいものです。


そんなことはもう人間の当然の権利だなどというような考えでは、


本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。





【宮沢賢治】