魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

森本穫の研究や評論・エッセイ・折々の感想などを発表してゆきます。川端康成、松本清張、宇野浩二、阿部知二、井伏鱒二。

川端康成の初恋 手紙 運命のひと 伊藤初代(7)

2014-07-20 23:21:55 | 論文 川端康成
川端康成の初恋 手紙 運命のひと 伊藤初代(7)

6年後の「時代の祝福」

 この時から6年たった1927(昭和2)年、5月末から康成は改造社の「円本」宣伝のため、講演旅行に加わり、池谷信三郎、新居格、高須芳次郎と4人で大阪、奈良、津、桑名、岐阜、和歌山……とまわった。

 このとき岐阜を再訪した康成の、事実を基礎として書いたと思われる興味深い小説「時代の祝福」が、〈未発表作品〉として、37巻本『川端康成全集』第26巻(新潮社、1982・10・20)に収録されている。

 この小説は、6年後の6月初めに、講演旅行で偶然に岐阜に立ち寄ることになった「彼」が、講演を途中で切り上げて長良川ほとりの宿に急ぎ、鵜飼の篝火を見る、というものである。
 この作品の重要性については、早くに川端香男里が「川端康成の青春――未発表資料、書簡、読書帳、『新晴』(二十四枚)による」(『文学界』1979・8・1)のなかで、次のように紹介していた。

   一番風変りなものとしては、26枚の未完の下書き『時代の祝福』がある。これは『篝火』でも書かれている長良川の鵜飼の描写から始まる。女主人公は16歳の加代子、ただこれは後日譚で、講演旅行に岐阜が選ばれた時に、その機会を利用して、加代子といっしょに鵜飼を見たことを思い出して、また長良川に行こうと空想する。草稿はその時に聴衆を前に講演するという話が大部分を占めている。大震災の話、心霊学の話がきわめてシニカルな口調で語られている。

 これ以後、この作品について触れているのは、『川端康成全作品研究事典』(勉誠出版、1998・6・20)の原善「時代の祝福」があるばかりであった。原は、作品執筆の時期を「昭和2年5月以降昭和2年内の執筆」と推定し、「その時期に何故『篝火』の体験を相対化するような作品を書こうとしたのか」などを今後の研究課題として挙げている。

 この、いわば忘れられた作品に光を当てて愛情をこめて論じたのが金森範子「―川端文学―『時代の祝福』を読む」「『西国紀行』と『時代の祝福』」(いずれも『小品』第32集、2012・11・14)の2論考である。

 岐阜市に住む金森は、「篝火」に描かれた鵜飼の篝火の場面と、「時代の祝福」の冒頭にたっぷりと描かれた6年後の篝火を見る「彼」とを重ねて、そこに康成の、忘れられぬ深い愛着を見るのである。
 「彼」は「8時が近づいて参りました。もう川原に篝火が燃え出した頃と思ひます。私は鵜飼を見に行かねばなりません」と強引に講演を打ち切って長良川の宿に急ぐ。


鵜飼いの感動的な描写

   闇が流れてゐる――彼には広い川幅が布のやうに沈んだ闇の滑らかな肌に見えた。それだけに、漂つて来る7つの篝火は感情的だつた。1列に並んだ篝火は次第に房のやうな長い尾を振り初めた。黒い船の形が火明りに浮び出した。鵜匠が、中鵜使ひが、そして火夫が見えた。楫で舷(ふなばた)を叩いて声をはげます舟夫が聞えた。松明の燃えさかる音が聞えた。舟は瀬に乗つて、彼の宿の川岸へ流れ寄つて来た。舟足は早かつた。彼はもう篝火の中に立つてゐた。炎の旗が船からゆらゆら流れてゐた。

   黒い鵜が舷でしたりげな羽ばたきをしてゐた。(中略)烏帽子のやうな頭巾をかぶつた鵜匠は舳先(へさき)に立つて、12羽の鵜の手縄を巧みに捌いてゐた。
   彼は頬に篝火を感じた。この焔があかあかと映つてゐた加代子の頬を思ひ出した。その時彼女は云つた。
   「あら、鮎が見えますわ。」
   「どこ、どこ。」
   「ほら、あすこにあんなに泳いでゐますわ。」
   彼は今もまた篝火が萌黄色に透き通つた水底を覗き込んだ。しかしやつぱり鮎は見えなかつた。

 「時代の祝福」は3章から成っている。冒頭と第3章が鵜飼の篝火の場面で、第2章は「彼」の講演の内容である。
 その冒頭で「彼」は宣言する。

   私の処女作は「篝火」といふ小説でしたが、舞台はこの岐阜です。つまり、長良川の川岸の宿から娘と一緒に鵜飼の篝火を眺める、だから「篝火」といふ題を附けたのでした。さつき出がけに玉井屋旅館で聞きますと、今夜は中鵜飼で八時の船出ださうですな。これから半時間ばかりしやべつて居りますと、ちやうど8時になりますが、そしたら話の糸口であらうと中途であらうと、仔細かまはずこの演壇を逃げ出して、もう1度長良川へ船の篝火を見に行くつもりであります。

 2つの鵜飼の篝火の場面の間に置かれた、この講演の内容は、まことに乱雑である。人工妊娠、発生学の研究、輪廻転生説、心霊学……のちの「水晶幻想」、「海の火祭」、「抒情歌」の先触れとなるような素材を乱暴に書きなぐっている。
 そして最終章では、篝火が消えはじめる。

   篝火の消えた川を見てゐてもしかたがなかつた。向ふ岸に町外れのともし火があるにはあつた。しかしそれが沈めたやうに低く見えた。そしていぢけて見えた。その上に、彼は加代子とこのともし火を見たことを思ひ出さずに弓子を思ひ出した。

 加代子とは、伊藤初代のことである。その思い出をふたたび体験するために宿に帰って篝火を見たというのに、作品の最後では、別の女性・弓子を思い出しているのである。弓子とは、「彼」の処女作品集の出版記念会で見た女性であると、作品の末尾に明かされている。

 このように、婚約のあと美しい表情を見せた初代の思い出を確かめるために宿に帰ったはずの「彼」の、予想外の心変わり――原善のいう「相対化」によって、この作品は閉じられている。


貴重な記録「西国紀行」

 同じ年の『改造』8月号(1927・8・1)に発表された「西国紀行」は、金森が指摘しているように、「時代の祝福」の背景を知ることのできる貴重な記録であるが、そこには、「講演会の時間に後れるので、大垣駅から自動車で急ぐ。途中岐阜郊外の名物の雨傘を作る家の多い加納町を注意してゐたが、通つたか通らないかも分らぬうちに玉井屋旅館に着いてしまふ。加納町は小説『篝火』に書いた思ひ出がある」と記されている。金森が解説を加えているように、「篝火」冒頭は「岐阜名産の雨傘と提燈を作る家の多い田舎町」と始まるが、「加納」という地名は書かれていない。しかし康成の脳裡には、しっかりと、この地名が刻まれていたのである。

 さらに、5月30日、「講演を8時にすませ、僕一人長良川へ急ぐ。長良橋を渡り、北詰の鐘秀館へ行く。『篝火』に書いた鵜飼の篝火を見たのも、矢張り鐘秀館の二階だつた」と記し、旧作「篝火」の一節を書き写したあと、「今日も同じである。公園の名和昆虫館にも思ひ出があるが、そこの名和氏はこの間死んだと新聞で見た」と書いている。

 6年前、康成は名和昆虫館も、紹介されて見学に行ったのだった。つまり康成は「西国紀行」においては「相対化」することなく、素直に岐阜の思い出の一つ一つに深い愛着を示して、1字1字刻むように、6年前の記憶を反芻しているのである。
 それほどに、六年後においても、伊藤初代の思い出、とりわけ結婚の約束をしたあとで一緒に鵜飼の篝火を見た、そのときの美しい顔を決して忘れることはなかったのである。

   そして、私は篝火をあかあかと抱いてゐる。焔の映つたみち子の顔をちらちら見てゐる。こんなに美しい顔はみち子の一生に2度とあるまい。

 「篝火」は、康成が一瞬に見た美しい夢であった。だが、康成の描いた、その夢を、だれが非難することができようか。ただわたくしたちは、康成の描いた美しい夢の物語が永遠に喪われたことを、慨嘆するほかにないのである。
 


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