(2012/7/21 注記)
(これは2011年に書かれたエントリーです。
2012年現在のものではありません。)
昨日友人の日記経由で初めて知ったのですが、今年ようやく開催の運びとなった「第21回定禅寺ストリートジャズフェスティバル(通称JAZZFES)」で、反原発デモが行われるとの事です。
デモを計画しているのは以下の2グループ。
「No Nukes Try As Long」(サイトはこちら) と「9/11 SENDAI」(→こちら)。
折りしも今年の9月11日は、あの「9・11テロ」から10年、東日本大震災からちょうど半年という節目にもあたり、この日に何かやりたいという気持ちはまあ分からないではありません。
準備期間も2ヶ月前からJAZZFES実行委員会とも打ち合わせを行って了承を得たとの事ですが、主催者の方はそもそも、反原発デモをこの日にぶつけるという事になんの疑問も湧かなかったのでしょうか。
言うまでもなく、仙台JAZZFESというものは市民参加型の数少ないイベントであり、それに参加するグループや観客も皆、純粋に音楽を楽しみたいために集まる人達です。
また特に今年はあの大震災もあり、参加グループの中には自身が被災した人達も大勢います。そんな状況の中、何とか出場にこぎつけた人達の思いはまた特別なものであると思われます。
そして観客がそんな彼らの音楽を楽しんで聴く事により、彼らがこれからに希望を持てるよう、間接的に後押しが出来るものだと思うのです。
そういうイベントのさ中で、観客である市民の立場から「反原発」のメッセージを唱える事が、いかに的外れであるのか誰も思いつかなかったのでしょうか。
もしどうしてもこの日に「反原発」のメッセージを伝えたいならば、デモという方法は間違っています。
この日はJAZZFESなのですから、メッセージを発したい人は音楽グループとしてエントリーし、ステージ上で堂々と反原発ソングを奏でれば良かったのです。それが表現者としてのあり方であり、支持する人達はそのステージに集合し、そこでパフォーマンスするなりすれば良いのです(もっとも他の観客の共感を呼べるかどうかは定かではありませんが)。
しかし、もしもこの日にデモをして、ただ注目度が上がったという事を喜んでいるだけならば、それは単なる便乗商法となんら変わりなく、逆に今まで出そうとして出せなかった「反原発」の声を、一層封殺してしまうという事にもなりかねないのです。
今週、地元紙「河北新報」に以下のような記事が掲載されました。ぜひこれを読んでいただきたいと思います。
(「河北新報WEB KoLnet」より。クリックで拡大 ↓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/3c/19e2bb88c6c2f18582a131b4bca1724d.jpg)
ここで紹介されているバンドのみならず、今回の参加者達は皆特別な思いを持っている事は間違いなく、そんな彼らを応援する事により観客である我々もまた、新たな勇気をもらえるものと私は信じています。
「反原発」を訴える事は大いに結構だと思います。
しかしその方法については、誰からも反感を買われない様もっと考えるべきでしょう。
私から反原発デモに参加しようとしている方々に言いたい事はただ一つ、
「TPOをわきまえろ」
これだけです。
(参考)
Togetterより『ジャズフェスで脱原発をアピールしよう!』という呼びかけへの反響(→こちら)
(追記)
poohさんとこでも同様のエントリー挙げてました。こちらもぜひ。
(これは2011年に書かれたエントリーです。
2012年現在のものではありません。)
昨日友人の日記経由で初めて知ったのですが、今年ようやく開催の運びとなった「第21回定禅寺ストリートジャズフェスティバル(通称JAZZFES)」で、反原発デモが行われるとの事です。
デモを計画しているのは以下の2グループ。
「No Nukes Try As Long」(サイトはこちら) と「9/11 SENDAI」(→こちら)。
折りしも今年の9月11日は、あの「9・11テロ」から10年、東日本大震災からちょうど半年という節目にもあたり、この日に何かやりたいという気持ちはまあ分からないではありません。
準備期間も2ヶ月前からJAZZFES実行委員会とも打ち合わせを行って了承を得たとの事ですが、主催者の方はそもそも、反原発デモをこの日にぶつけるという事になんの疑問も湧かなかったのでしょうか。
言うまでもなく、仙台JAZZFESというものは市民参加型の数少ないイベントであり、それに参加するグループや観客も皆、純粋に音楽を楽しみたいために集まる人達です。
また特に今年はあの大震災もあり、参加グループの中には自身が被災した人達も大勢います。そんな状況の中、何とか出場にこぎつけた人達の思いはまた特別なものであると思われます。
そして観客がそんな彼らの音楽を楽しんで聴く事により、彼らがこれからに希望を持てるよう、間接的に後押しが出来るものだと思うのです。
そういうイベントのさ中で、観客である市民の立場から「反原発」のメッセージを唱える事が、いかに的外れであるのか誰も思いつかなかったのでしょうか。
もしどうしてもこの日に「反原発」のメッセージを伝えたいならば、デモという方法は間違っています。
この日はJAZZFESなのですから、メッセージを発したい人は音楽グループとしてエントリーし、ステージ上で堂々と反原発ソングを奏でれば良かったのです。それが表現者としてのあり方であり、支持する人達はそのステージに集合し、そこでパフォーマンスするなりすれば良いのです(もっとも他の観客の共感を呼べるかどうかは定かではありませんが)。
しかし、もしもこの日にデモをして、ただ注目度が上がったという事を喜んでいるだけならば、それは単なる便乗商法となんら変わりなく、逆に今まで出そうとして出せなかった「反原発」の声を、一層封殺してしまうという事にもなりかねないのです。
今週、地元紙「河北新報」に以下のような記事が掲載されました。ぜひこれを読んでいただきたいと思います。
(「河北新報WEB KoLnet」より。クリックで拡大 ↓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/3c/19e2bb88c6c2f18582a131b4bca1724d.jpg)
ここで紹介されているバンドのみならず、今回の参加者達は皆特別な思いを持っている事は間違いなく、そんな彼らを応援する事により観客である我々もまた、新たな勇気をもらえるものと私は信じています。
「反原発」を訴える事は大いに結構だと思います。
しかしその方法については、誰からも反感を買われない様もっと考えるべきでしょう。
私から反原発デモに参加しようとしている方々に言いたい事はただ一つ、
「TPOをわきまえろ」
これだけです。
(参考)
Togetterより『ジャズフェスで脱原発をアピールしよう!』という呼びかけへの反響(→こちら)
(追記)
poohさんとこでも同様のエントリー挙げてました。こちらもぜひ。
「なお、9/11(日)に市内中心部でデモ行進が行われるという情報を警察署よりお聞きしました。市内に各ステージございますがJSF実行委員会としましては、ご出演される皆様や観客の皆様に影響のないよう本番まで情報を集め、当日スムーズにフェスティバルが進行できるよう努力致します。」
要は警察署が届けを受けてしまえば、実行委員会にはデモをやめさせる方法はないわけです。それでも、日をずらしてもらえるようお願いしたけど聞き入れてもらえなかった、みたいな話も聞いています。
こちらの引用部分を見る限り、デモの主催者側はジャズフェスの実行委員会に、「フェスの妨害にはなりません」と云うことを納得させているとは到底思いません(どう読んでも、対応に困っているようにしか見えません。そもそもこう云うペーパーが事前に配布されること自体きわめて異例のことです)。ちゃんと理解を得るための努力をしている、とも思えません。それを「合意を得ている」みたいに主張しているのは、デモ主催者側のスタンスを如実に示しているようにも思います。
ジャズフェスそのものもそのありかたから運用方針から賛否両論あるイベントです。それでも20年以上続いてきたと云うことは、そこでどんな努力が払われてきたのか、と云う話でもあると思います(主催者も、出演者も、観客も)。そこに理解が及ばないひとたちの行動が、どんな共感を得られるのか、と云う話でもあるのかな、と。
>そこに理解が及ばないひとたちの行動が、どんな共感を得られるのか、と云う話でもあるのかな
彼らのサイトを見てみると、例えば「9.11 SENDAI」では以下のような注意がされています。
(以下引用 ↓)
●サイレント区間を通過中、例えサイレントであっても演奏ブース付近を通行する際にはアピール行動を一時、自粛してください。(プラカード類を下げるなど)
【ただでさえデモを良く思わない人が多い現状です。ブース付近ではデモそのものが不愉快の対象である事を肝に命じてください。】
(引用終わり)
>デモを良く思わない人が多い現状です。
>デモそのものが不愉快の対象である
ここまで分かっていながらなぜやるの? という話なんですけどね。
もう一つのグループの方はデモとは言わず「パレード」と言ってまして、どちらかと言うとビジュアル重視のようですが、
(以下引用 ↓)
【メディアテーク前】
※ここら辺で
【Liveペイント】
が
【完成予定】
こんな
ヴィジュアルの群れが
メディアテークからはどんな風に見えるのかな?
(引用終わり)
>どんな風に見えるのかな?
という程ですから、かなり目立つ存在となるのを目指している様です。
でもこんなパフォーマンスそのものが、JAZZFESでは余計な存在なんですよね。
そもそもパフォーマンスするのは、観客ではなく演奏者の方なのですから。
逆にまぁ、わかっていてもデモはやるわけですよね、歴史的に。たぶん話し合っても無駄。
こう云う場合にはもう片方のほうがまずいんじゃないか、みたいに思ったりします。デモを統率するノウハウもなさそうだし、愉快犯くさいし、なんと云うか非常に悪い意味でネガティブな振る舞いをしそう。
まあ両者とも平和的に行おうとしているのは分かりますから、願わくば14:46分の「A(ラ)の音」の時ぐらいは、きちんと祈りを捧げてもらいたいですね。
後はとにかく、デモ参加者も周りの皆も、良識ある行動をしてもらう事を祈るだけです。
僕らは即興性みたいなものって大切にするけど、その時ってお客さんの反応見てるし、一体で音楽作ろうとしてるんだ。
僕らが、舞台の上で、僕らだけ演奏してるなんてジャズなのかね。
ジャズはお行儀よく、おすましして聞くより、酒でもくらいながら、奏者と一緒になって楽しんでほしいな。
それこそ、デモするくらいに、ね。
デモ隊に遭遇したら、僕は彼らにエールを送るよ。
TPOはわきまえるからさ。
大人の対応恐れ入ります。
まあここで表明した事は私個人の意見であるし、デモについては止めようとしても無駄な事は分かっています。
私はただTPOをわきまえて欲しいだけですから、何事もなく終ればそれで良いのです。
私はJAZZFESが好きですし、当日は勿論、酒を飲みながら聞かさせていただきます。
ただデモ当日の日ですが、ご存知でしょうがこの日は震災から半年であるだけでなく、あの同時多発テロから丁度10年を迎える日です。
今の若い学生さん達は知らないでしょうが、私はあの日の事は今も昨日の事のようによく覚えています。
ニュースステーションの生放送中、2機目がビルに突っ込む映像をリアルタイムで見た時の衝撃、その後朝まで海外報道に釘付けになったあの日の事は忘れる事は出来ません。まさに、自身の体験でもあの日は「世界が変わった日」でした(日本人の犠牲者も大勢出ましたし)。
ですから自分の中でこの日は、特に震災を経験して迎えるこの日はまた特別な意味を持っています。
それでもこの日は、「反原発」やら政府がどうのこうのとかという主義主張を表すのではなく、各自がそれぞれの思いを胸に抱きつつ、純粋に音楽の楽しさに身を委ねる日であって欲しいと私は思っているのです。
反原発デモなどはいつでも出来るのですからね。
>JAZZフェスを快く思っていない人はどうすればいいのですか?
行かなきゃいいだけの話です。
質問の意図が伝わっていなかったようですので補足を。
JAZZフェスは公共の場を使い、多額の税金が投入されていて、その行政サービスや経済の恩恵を受けるのは限定されたごく一部です。しかし、市民には公共の場を利用する権利があります。
そして、それと同等に市民には、デモ行う権利があると私は考えます。
そこに納税や生活があってJAZZフェスが不快であれば、それはデモとなんらかわりないことです。
JAZZフェスを否定している人も沢山いるはずですし、デモを肯定する人も沢山いるはずです。またその反対も。
音楽を楽しむ権利と、自分の意思を表明する権利はどちらが尊いかなんて貴方に言えますか?
そもそもパフォーマンスが表現であることを理解していますか?
デモの参加者は市民なので拙いものですが、一市民が参加出来るという意味が、とても社会的に重要なことなのです。
デモにおいて重要なのは、発信力です。
仙台で1000人が参加したデモより、全国で1000000人が参加したデモの方が、発信力があります。
また、9月11日という日は震災から半年。全国各地で連携してデモが行われます。決してJAZZフェスに便乗したのではありません。この日全国多発同日デモは4月には分かっていたことで、JAZZフェスだって調整すればいつでも出来たはずです。むしろ、デモ側も邪魔だと思っていることでしょう。
私はどちらも盛大にやって貰いたいと思っています。
JAZZフェスは良くて、デモは悪いとする貴方の根拠がわかりません。
仙南地域などに暮らす、小さな子供を持ち、故郷守りたいと思い、ただ声をあげる事しか出来ない人達の悲痛な叫びを奪うような発言は想像力を欠いたものではないでしょうか?
そこに理解が及ばないひとたちの行動が、どんな共感を得られるのか、と云う話でもあるのかな、と。
>音楽を楽しむ権利と、自分の意思を表明する権利はどちらが尊いかなんて貴方に言えますか?
私は「どちらが尊い」などと言っているつもりはありませんし、言った事もありません。
ただJAZZFESにおける表明者はプレーヤーであり、我々はあくまで「観客」なのですね。そしてJAZZFESに来る人達は圧倒的にそういう人達なのであり、デモを見たいと思って来る人は多分誰もいないと思います。
そういう場所で、ただ自分達の主義主張を発信するという事自体が「的はずれ」であると私は言っているのです。
私がデモの参加者に言いたい事はちゃんと赤字で表明していますよ。
>JAZZフェスだって調整すればいつでも出来たはずです。
河北新報の記事はお読みになりましたか?
今年のJAZZFESはプレーヤーにとっても特別な意味を持つのです。
>そこに理解が及ばないひとたちの行動が、どんな共感を得られるのか、と云う話でもあるのかな、と。
まったく同感です。