杜の里から

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ホメオパシーを考える

2010年09月01日 | ニセ科学
8月25日、朝日新聞に日本学術会議がホメオパシーを否定する談話が掲載され、以来ここしばらくホメオパシー関連の話題を巡っております。
そこでは当然肯定派否定派それぞれの意見が飛び交っており、私自身としては一応否定派に属するものの、肯定派の意見の中にも考えさせられるものがいくつかありました。
そこで今回、門外漢ではありますが感ずる所をここに書かせていただこうと思います。

日本学術会議の金澤一郎会長による談話では、ホメオパシーは科学的には完全に否定されるものであり、医療現場で医師が、【医療行為として】使用したり薦める事を禁じています。
それでもこの談話をよくよく読んでみると、注意書きの最後の部分で、
ホメオパシーについて十分に理解した上で、自身のために使用することは個人の自由です。
とも述べられております(強調は引用者によります)。
これは何を意味するのでしょうか。
肯定派の人達の拒否反応のブログなどを見てみますと、学術会議の談話内容があまりにも強烈なため、ここの所を見落としている人達が意外と多いのです。

ホメオパシー自体に効果があるかないかという事は、肯定派がどんなに訴えようが科学的には完全に否定されています。
実際に効果があったとされる事例についても、それはホメオパシー自体が効いたのではなくプラセボ効果によるものとされています。
このプラセボ効果を、ホメオパシー推進側は「プラセボではなく本当に効いている」と言い、否定派は「それはプラセボである」として平行線のままというのが現在の状況であると言えます。
別な見方をすれば、ホメオパシー側からすればこれは厳然たる「科学」であるという立場であり、しかし現在の科学側から見れば、それは「科学ではない」という対立の図式がここにある訳です。
でもホメオパシーの歴史などを紐解いてみると、これは元来科学の土壌に登るものではなく、その理論はあくまで「思想」であって人々の「信仰」の対象であるものだと思うのです(→参照)。
だから私から言わせてもらえば、ホメオパシー側から「それがプラセボでなぜ悪い?」と開き直る人がどうしていないのだろうかといつも不思議に思うのです。

「信仰」であるならば、それが病気に対しての「心の拠り所」としての効果などが期待され、またそれが良い方向に働くのであるならば、個人的にそれを使う事にはまあ理解も出来るというものです。そもそも我が国には元々そういう文化が根付いている訳ですから。
その文化とは、所謂「お守り」です。
例えば交通安全のお守りを例にとってみましょう。
日本では当たり前のように神社で交通安全祈願が行われ、そのお札を「お守り」として車内に取り付けています。こんな風景など外国人から見たらさぞかし奇妙な光景に映る事だと思います。そしてこんな行為など、科学的に見ればまったく意味がない事は誰にでも分かります。



しかし日本人はこれを非科学的だなどと言って嘲笑したり排除したりはしません。それはこのような「お守り」とか「げんを担ぐ」などの行為は、古くから「文化」として日常でも当たり前に行われているからです。
勿論当のドライバー自身も、お祓いをしてもらったから絶対大丈夫だなどとは思ったりはせず、あくまで「気休め」である事を知っている訳です。でも中には、「お守り」をぶら下げておく事で何だか気持ちが落ち着くという人も確かに存在するのです。
そしてその安心感が事故への恐怖心を解き、それによりストレスが減り、運転の集中力が持続する。などという効果を産むかもしれず、結果的に安全運転をしているという事になる訳で、そうなるとこの「お守り」は確かに効果があると言える事にもなる訳です。この場合、何よりドライバーが求めているのは「安心感」というものですから。
この事例は、いつ起こるとも分からない交通事故への漠然とした不安感、それを少しでも紛らわせる言わば「心の拠り所」として「お守り」がその機能を果たしているとも言えるものです。

そして、このような作用を期待するものがホメオパシーの「レメディ」ではないかと思うのです。
つまり、ホメオパシーに期待される事は病気の治療そのものではなく、心の拠り所としての「お守り」の機能であり、その事を使用者が理解して使用する分には何の問題もないし(元々無害だし)、また本来問題など起こるはずもなかったと言えるのです。

しかしこれが、もし自動車学校の教官が生徒に向かって、
「このお守りを持ってたら事故には会わないのだから、シートベルトなどしなくても大丈夫。」
とか
「絶対事故なんか起こさないから、どんなにスピードを出しても大丈夫。」
などと教えたりしたらこれは大問題となる訳です。
今回ホメオパシーのある団体は、結局これと同じ事をしてしまい、その結果不幸な事故が起こってしまった訳です。
本来科学ではない「お守り」を、その効果は科学的に解明されているなどと言って使用者に誤った認識を持たせ、そしてあるべくもない絶対性を植えつけてしまう。この事は結局、推進者自身がただの「お守り」に科学的な作用があるものと【思い込んでいる】事に他ならず、つまり、日頃科学というものを狭い了見であると批判しておきながら、実は科学に縛られているのは自分達自身である事に気付いていないのです。

また、ホメオパシー推進者の反論の中に、「それは200年間も使われ続けており、尚且つそれは効果があるからだ」というものがよく見られます。
たった200年!
日本には巣鴨という所にとげぬき地蔵尊(高岩寺)というお寺があり、そこの「御影」という御札(おふだ)は大変良く効くという事で現在も尚使われ続けています。この御札の起源は1713年、今から300年近く前の事です(→参照)。
レメディとそっくりですね。

お分かりの通り、この「御影」の成分はただの「紙」です。
しかし、使用者がその効果を信じて使用した場合は、それは効きます。実際私も試してみて、軽い腹痛が治った経験を持っています。
しかしそれは、本当はその腹痛は自然に治るものだったのかもしれず、或いは評判を先に聞いて効くかもしれないと期待しつつ飲んだおかげで、自分でも効いた気になってさほど感じなくなったのかもしれず、実際の所なぜ痛みが引いたのかは自分でも分かりません。
ただ一つだけよく理解している事があります。
それは、その御札はあくまで「気休め」であるという事を我々は皆知っているという事です。
「気休め」であると知りつつ、それを「信仰」というオブラートで包み込んで使用する事により、自身の内なる効果を引き出そうとするのが「お守り」の作用です。
そしてその内なる効果こそ「癒し」とか「プラセボ」であり、ホメオパシーも結局、もし効果があるとするならば、それはこのようなものではないのでしょうか?

レメディは現実にはただの水であり、ただの砂糖玉です(他の形状もありますが)。そしてその製造の仕方などは、はっきり言ってもう「迷信」の領域と言って良いでしょう(薄めた液体を強く振る震盪(しんとう)作業は、実際は聖書の上で行うとされています)。
初めの頃のホメオパシーは確かにある理論を持った「科学」であったかもしれませんが、時代を経てそれは「間違った仮説」である事が証明されました。
そしてそれが生き残るのであるならば、本来それは「御影」と同じ道を進まざるを得なかったはずなのですが、昨今の近代医療への不信や自然回帰運動、そして貧困など、様々な社会情勢をバックに医療現場に持ち込まれてしまい、やがてそれが「医療」として人々に認識されてしまった事が現在世界中で大きな問題を産む事になってしまいました。
私は、ホメオパシーがそういう医療であるとのイメージを持たれてしまう一つの要因が、この「レメディ」ではないかと考えています。
レメディは見た目には錠剤の形をしており、おまけに医師などから処方されたりすれば、イメージ的にはそれが何かの薬のような印象を患者に与えてしまい、ためにその行為が医療であるかの様な錯覚に捕われてしまうのではと考えています。
ではもしレメディが砂糖玉ではなく、「紙」であったならどうでしょう。
希釈震盪した水は、別に砂糖玉でなくても「紙」に染み込ませても良いはずです。そしてそれを「レメディ」ではなく「おふだ」と呼ぶ事にしてみましょう。
これを医者が患者に与える場面をちょっと想像してみて下さい。
「インフルエンザですか。ではこの「インフル」と記された「おふだ」を処方しましょう。」
「気が滅入る? では「癒し」の「おふだ」をお飲みなさい。」
「赤ちゃんにはこの「K2」の「おふだ」を飲ませておけば大丈夫です。」
「腹痛ですか? ではこの「御影」をお飲みなさい。ああこれは300年も前から使われているものですから大丈夫、よく効きますよ。」
医者が医療行為として「御札(おふだ)」を処方する姿が、いかにおかしなものであるかは誰の目にも明らかでしょう。
本来レメディは病院ではなく、協会などで神父や牧師さんから与えられるべき性格のものだと私は思うのです。

ホメオパシーが唯一現代医療に秀でている事としては、患者の話を熱心に聞くというカウンセリング効果が挙げられると言われます。確かにこれは現代医療の中では疎かにされてきた分野かもしれません。
これからの医療は患部の治療と共に、患者自身の「心のケア」というものをもっと重要視すべきであると思われます。
しかし、だからと言ってすぐにホメオパシーに飛びつくというのはあまりにも短絡的なのではないでしょうか。
8月30日、日本ホメオパシー医学会の理事長である帯津良一氏が、会員向けNEWSの形で「一連の報道と日本学術会議会長談話を受けての当学会の見解」と称する談話を発表しました。その中で彼はこのように述べています。
 医療とはそもそも、イコール医学ではありません。医学は科学およびそこから生まれた技術であるのに対して、医療とは患者を中心に家族、友人、さまざまな医療者が織りなす“場”の営みです。医学はもちろん重要ですが“場”に温もりが与えられて、“治し”と“癒し”が統合されてはじめて本来の医療です。
この部分については特に反論すべきものもはなく、まさにその通りと言えるものです。
しかし次の一文が私には引っかかるのです。
この癒しを担当するのが代替療法とお考え頂ければよいと思います。
なぜここで代替療法なのでしょう? 現代医療にも「カウンセリング」という分野があります。これが足りないと言うのなら、なぜここをもっと強化しようとは言わないのでしょうか?
現代医療でももっと患者のために変えられる所はたくさんあるはずです。それをする努力もせずに、科学的根拠に乏しい代替医療に飛び付く事が真の医療と言えるのでしょうか?
帯津良一氏は更にこう述べます。
 以上のような理由で、私たちは代替療法の存在意義を認め、なかんずく心身に対するやさしさでは最右翼に位置するホメオパシーを日本の医療のなかに弘めるべく日夜努力を重ねている次第です。どうか暖かいかつ厳しい眼で見守って頂きたいと思います。
最右翼に位置する
と言う事は、帯津さんはホメオパシーを「医療」の仲間として見ておられる訳です。そして帯津さんはこう続けます。
 今回はたまたま代役を果すべき治療法がホメオパシーであったわけで、これが漢方薬であってもアーユル・ヴェーダであっても結果的には同じだったでしょう。だから、この一つの事件をもっていきなりホメオパシーを非難するのはなにか唐突な感じがしてなりません
帯津さんはこのような事情など全然ご存知なかったのでしょうが、先に挙げた海外の事例など、以前からホメオパシーに関しては世界中から問題視されていた訳です。
ホメオパシーは「医療」ではなく「信仰」なのです。
この「信仰」を「医療」と勘違いされてきた事が、今日の様々な問題の根になっているという事を、もし本当の医師であるならばもっと自覚すべきではないでしょうか。
帯津さんは最後にこう述べています。
日本学術会議の談話も、医療と医学をはっきり区別せず、また医療現場の抱える問題に直面しないがための誤解と受取りました。ホメオパシーは代替療法の一つ、代替療法は本来の温もりのある医療の一翼を担うものとする本会の姿勢をおわかり頂きたいと思います。
この談話は8月30日に出されています。
しかしその5日前の25日に、先に紹介した朝日新聞「アピタル」のインタビューに登場した日本学術会議副会長の唐木英明さんは、そのインタビューの中でこう仰っています。
 医学を含む科学の発展は、我々に夢と希望を与えてくれました。しかし、夢と希望がふくらみすぎて、現実の科学や医学のレベルを超えてしまった。それが今の世の中の現状だと思います。

 人類の夢と希望を叶えようとすると、医師はさらに忙しくなり、じっくりと話を聞くといった患者のケアがおろそかになりがちになる。仕方がない面もありますが、この悪循環が近代医学への不満を生み出しているのではないかと思います。

 こういう状況で患者がホメオパシーに傾倒していっても、患者だけの責任とは言えない面があるのも事実です。難しい問題ですが、何としても解決しなければいけないでしょう。
医療現場が抱える問題はしっかり認識出来ているものと私は受け取りました。
逆に、ホメオパシーを他の代替療法と一緒と認識している帯津さんの方が、「現実の問題に直面しないがための誤解」を抱いているのではないかと思えてしまいます(私にはこのインタビュー記事を帯津さんが読んでいたようには思えません)。

帯津さんのみならず肯定派の人達は皆、ホメオパシーを「医療」であると【思い込んで】います。
でも実際は、それは「御影」と同様の「信仰」であって、それにより確かに「心の安寧」は生まれるかもしれませんが、決して現代医療の代わりとなる事は出来ないのです。
今回の学術会議の談話はこの事をはっきりさせたものであって、もちろん個人の「信仰の自由」まで否定しているものでは決してないという事を、信奉者の方々はぜひ誤解しないようにしてもらえればと私は切に願うのです。


今回門外漢の私がこのようなエントリーを挙げたのは、この方のブログ記事を読んだことがきっかけでした。この中で管理人さんはこう仰っています。

  〔「普及させたいという思い」が、道を誤る結果となってしまったのではと思う。〕

私は、普及させる事だけを目標にしてきた、とある微生物資材をよく知っているのです。
そしてその構図がこれと非常によく似ている事に気付き、つい他人事とはとても思えなくなってしまったというのが正直な所です(こんなものを見れば尚更の事です。)。
これを見て私はつい、行き過ぎた「信仰」の恐ろしささえ感じてしまうのです。





 ※本文中における「御影」の効果はあくまで個人の感想であり、すべての人に同様の効果が現れるとは限りません。
 また使用に際しては、くれぐれも自己責任でお願い致します。


6 コメント

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Unknown (保成)
2010-09-01 07:50:49
ホメオパシーについて調べて回っています。

私もホメオパシーには同じように思っており、医師がお守りや幸運の壷を売りつけたり、お祓いに行けと言うのと同様にしか感じていません。

信仰として個人の自由は仕方ありませんが、それを医療行為と勘違いさせるようなことは否定されるべきです。
Unknown (OSATO)
2010-09-01 21:53:09
いらっしゃいませ保成さん、初めまして。

ホメオパシーの一番の問題はこれが「医療行為」と受け取られている事ですが、それを多くの現役の医師や助産師が広めているという事も問題であると思います。
保成さんのブログを拝見させてもらいましたが、保成さんは現役のカウンセラーの方なんですね。ホメオパシーに憂慮なさっておられる様子、よく分かります。
今後は医療の問題点も含め、こうして現役の医師の人達からもどんどん意見を述べていただけたらと思います。
エントリーの方、ブックマークさせていただきました。
Unknown (ホメオス)
2010-09-10 02:17:55
ホメ使用者です
信仰とは、ちょっと違うような気がします
日本の医療の問題は利権で汚染されているということです
薬害エイズ、B型肝炎等々いろんな利権で動いているんです。
それに伴い薬剤師会も同じこと・・・
鳩山がホメを率いる代替療法の検討をうたってからだから・・・敵が多いんだよね

現在、耐性菌のウィルスが発生していますが、それも現代医療の負の産物ですね
風邪ごときに「とりあえず・・・」って抗生物質を配っているんだから・・・
そんな医療はわざわざ病院行かなくてもいいじゃない?医者も楽になったもんだね
風邪なんてほっとけば治ると思いません?
わざわざ病院行って抗生物質飲んで、悪い菌と一緒に必要な菌も殺菌して・・・当然強い菌は増長するわ

いっその事ウィルス感染広がれば面白いねぇ
免疫力勝負で生き抜いてみるかね

Unknown (OSATO)
2010-09-10 23:14:31
いらっしゃいませホメオスさん、初めまして。

>信仰とは、ちょっと違うような気がします

確かに「信仰」という単語には様々な意味合いが含まれるのでこれを使うのには躊躇があったのですが、それを分かりやすくするために「御影」の例を出した訳ですね。
つまり、昔から言い伝えられている事を信じる事をここでは「信仰」と呼んでいます(その意味で同様の例に「ルルドの泉」があります)。

ホメオスさんは「信仰」とは違うと仰りますが、ではご自分ではどのようなものだとお思いでしょうか?
こういう事は実際に使用している方から直接お言葉をいただくのが一番いいと思っておりますが、ホメオスさんはこれ以降何も語ってくれていませんね。

また、
>日本の医療の問題は利権で汚染されているということです

と仰りますが、ホメオパシー業界自身、相当なものであると私は見ていますが。↓
http://transact.seesaa.net/article/134150110.html

それと以下のコメント、
>風邪ごときに「とりあえず・・・」って抗生物質を配っているんだから・・・

どうも一部の特殊な例を出して一般化している様に思えます。
少なくとも僕の周辺の医院では、風邪については特に患者からの要望があった時に熱さましぐらいの薬を処方する程度ですよ。

>風邪なんてほっとけば治ると思いません?

健康な人ならば確かにほっといても直るかもしれませんが、風邪だと思って実はインフルエンザであったという事もあり、抵抗力がない者にとってはそこから肺炎などを誘発するかもしれず、決して侮ってはならないものです。
僕はこれで友人を失っていますから。
Unknown (ホメオス)
2010-09-11 20:48:30
風邪に抗生物質って病院が多いんですよ・・・最近は特に・・・うち等の地区だけか?
最初は合理的だ思っていましたが・・・
熱さまし・・・風邪は熱によって免疫力を高めて菌を殺しますので、やたらの熱さまし利用もあまりお勧めできません
インフルエンザも免疫が強ければあまり影響がありません
インフルエンザに関して私が感じることは、タミフルやワクチンを接種した人ほど、かかりやすいような気がします。(これは私の考え)
再発が多いですね。
私はかかったことがないので、インフルエンザに感染した人に聞いてみると、以前にもなった、とか、予防接種を受けていた、という回答が殆どでした
なぜでしょうか?科学的に結論出ませんか?
免疫力を測る装置が開発されればいいんでしょうが・・・
ちなみに、ポリオワクチンも腸内細菌に悪影響を及ぼす可能性がありますね。
だから、薬、ワクチンは副作用があると思って使用した方が良いでしょうね
それはホメオパシーにも言えることですが、使用者が使用するものを理解する、当たり前のことで出来ていないことだと思います。
Unknown (OSATO)
2010-09-11 23:20:50
>ホメオスさん

>私はかかったことがないので、インフルエンザに感染した人に聞いてみると、以前にもなった、とか、予防接種を受けていた、という回答が殆どでした

まず一点、どうもホメオスさんは自分目線だけで色々判断していらっしゃるように感じます。それは危うい事ですよ(私自身やらかしてしまいましたが(^^;))。

>なぜでしょうか?科学的に結論出ませんか?

風邪やインフルエンザにかかりやすいかどうかなどは、今はかなり分かってきていると思いますよ。
ただ私は医者でもありませんし医学に関しては素人です。ですからここで無責任な事は語りたくありません。
この辺の質問ならば、NATROMさんにでもお聞きすればよろしいかと(「NATROMの日記」で検索してみて下さい)。

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