origenesの日記

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高階秀爾『バロックの光と闇』(小学館)

2008-04-29 16:20:29 | Weblog
至極真っ当なバロック美術の入門書である。もともとバロックは「歪んだ真珠」を意味する言葉であり(パノフスキーの興味深い異説はあるが)、17・18世紀芸術への悪口とも言える言葉であった。美術史家ブルクハルトもその友人ニーチェも、バロックをルネサンスよりも低いものと見なした。バロックをルネサンスとは別の価値を持つ芸術のムーブメントだと規定したのは、ブルクハルトの後任としてバーゼル大の教授となったハインリッヒ・ウェルフリンである。ウェルフリンはルネサンスの均整の取れた芸術とバロックの過剰に美的な芸術を比較しつつも、その双方に別々の価値を与えた。以後、バロック芸術は再評価されることとなり、またモンテヴェルディ~ヘンデルに至る西洋音楽も美術のように「バロック」と呼ばれるようになった。
著者はバロック美術を、映画のような大衆への芸術的な宣伝の先駆と見なしている。宗教改革の「憂き目」に会い、自らの正当性を証明することを余儀なくされたカトリック教会はトレント公会議以降、芸術をも宣伝手段の一つとして見なし、反宗教改革運動を進めた。その意味では、バロック芸術とはイエズス会的な芸術なのである。アンドレア・ポッツォが描いた『聖イグナティウス・デ・ロヨラの栄光』は、イエズス会の創始者を讃えるものであり、バロック芸術の宗教的な面を上手く表現したものだと考えることができる。「感覚的なものを通して人びとを教化するバロック芸術のひとつの極致」(89)である。
バロック芸術の経済的な基盤となったのは、第一にイエズス会を始めとするカトリック教会であり、第二に富裕なパトロン層である。特にカトリック教会の勢力が弱かったオランダやイギリスでは、このパトロン層がバロックの芸術家たちを経済的に支えた。イギリスのウィリアム・ホガースらによる「カンバセーション・ピース」(家族の肖像)はパトロンの経済力を示すための絵画でもあったという。
本書はバロック以降のロココ芸術についても触れられている。ロココはその過剰さにおいてはバロック芸術の遺伝子を継承しているが、しかしより繊細で、洗練されているという。
以下、気になった作品。
ニコラ・プッサン「鹿児島で少女を蘇らせる聖フランシスコ・ザビエル」
タイトル通り。全く日本的でない情景の中で(日本に関する情報量も少なかったのだろう)、少女を蘇らせるザビエルの姿が描かれている。
ヤーコブ・ファン・ライスダール「ユダヤ人墓地」
メメント・モリの一つの表現形態。
ニコラ・サルヴィ「トレビの泉」
バロック芸術の中でも最も有名な建築物。

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