釈尊から達磨へ、そして慧可、臨済宗の栄西と曹洞宗の道元へ。日本の鎌倉以降の仏教を考える上で決して無視できない禅というものに対して、小説家の水上勉が書き記した本である。一休宗純、沢庵、白隠、鈴木正三、良寛など、禅を重んじた日本の仏教者の思想を、豊富なエピソードを交えながら語っている。特に道元に関する説明からは著者の熱気が感じられ、『正法眼蔵』の解説も力が入っている。「人が悟りを得るということは、月が水に宿るようなものである。月は水にぬれないし、そのため、また水が破れるわけではない」
著者はインドの僧侶・達磨を老荘(特に荘子)に比している。自然との一体化を重んじ、万物を平等に見なす。荘子の不立文字も老荘と禅の双方に通じる思想である。中国に仏教が入ってきたとき、老荘思想との融合が行われたが、それも故なきことではないだろう。
「夫れ人間の一生涯は、夢の中の夢なり。楽、身にあまるとも、楽、はずべきにあらず」山本七平が『日本資本主義』の中で日本版カルヴァンと評した江戸時代の禅僧・鈴木正三。労働に打ち込むことを説くその思想がなかなか面白い。
白隠の友人であった臨済宗の盤珪の言葉。「寝れば仏心で寝、起れば仏心で起き、行けば仏心で住し、眠れば仏心で眠り、覚めれば仏心で覚め、語れば仏心で語り……」。常に仏心でいることの大切さを説いており、心に残る。このように生きてみたい。
著者はインドの僧侶・達磨を老荘(特に荘子)に比している。自然との一体化を重んじ、万物を平等に見なす。荘子の不立文字も老荘と禅の双方に通じる思想である。中国に仏教が入ってきたとき、老荘思想との融合が行われたが、それも故なきことではないだろう。
「夫れ人間の一生涯は、夢の中の夢なり。楽、身にあまるとも、楽、はずべきにあらず」山本七平が『日本資本主義』の中で日本版カルヴァンと評した江戸時代の禅僧・鈴木正三。労働に打ち込むことを説くその思想がなかなか面白い。
白隠の友人であった臨済宗の盤珪の言葉。「寝れば仏心で寝、起れば仏心で起き、行けば仏心で住し、眠れば仏心で眠り、覚めれば仏心で覚め、語れば仏心で語り……」。常に仏心でいることの大切さを説いており、心に残る。このように生きてみたい。