独り言ブログ

ただの独り言。自由気ままに書きたいこと書きます。できるだけ毎日を目標に。

醜いぼっちの愚痴

2017年09月23日 02時17分00秒 | 日記
最近、流行語などのインパクトの強い言葉が飛び交うようになりました。
私はそれを聞いていて、なんだか気分が悪くなります。
初めて聞いた単語に新鮮さを感じて興奮する小学生に相似しているからなのかなと思います。
そうではないにしても、なんでフレーズだけの言葉が飛び交うのが気持ち悪いかというと、会話になっていないからです。
会話は何のためにするかというと、相手を理解したり、自分を理解してもらうためにするものなのだと考えます。
一方、フレーズの投げかけは、言葉に意味はありませんから、事前にその意味を知っていなければ成り立ちません。
つまりそれは、お互いがお互いをしっている状況でしか起こりえないのです。

だから、人が知り合う時、決まった質問に決まった回答をする、いわば暗号のような決まり文句が必要になる。
違ったことを言えば、「あの人は何か違う」といった目線にさらされることになる。
知り合ってからも特に考えを深めようとすることもなく、集団でなれ合うだけ。

こう思うようになったのは、大学の授業の合間に耳に入ってくる会話がきっかけでした。
大きな声で何を話しているかと思えば、セックスの話、彼氏がクソだとかいう話、遊ぶ予定についてなどなど。
大学生らしいまともな話を聞く事はめったにありません。
私がコミュ障じゃなければもうちょっと積極体に話しかけてみたりするのですが、それでも学校でセックスがどうとか大声で話しているやつらの集団に入っていく勇気はありません。

私は普通の会話がしたい。
私が話しかけられない理由は、天然でコミュ障ゆえ相手の意図を理解できないことにあります。
しかし、だからといって会話を避けることはできないわけで、社会に出る前に訓練として大学で経験を積もうと考えるのは間違っていないはずです。
先生と会話をしようとしても、それは会話になるでしょうか。
先生の一方的な攻撃にあって負けるだけのような気がします。
まぁ、負けることに意味があるならそれも試してみる価値があるかもしれません。

真剣な議論をしたいなら、先生に吹っ掛けるのも悪くないとは思います。
でも、ただ雑談をしたいときにはどうしたらいいのでしょうか。

今日、「さみしさの力」を読み終わったのですが、人間の力の根源はさみしさにあるのではないかという内容の本です。
同じ年の友達にこれについて話しても「ふーん。」程度で終わってしまうでしょう。
いくつか世代が上の人に聞いても「考えたことがなかった。」で終わり。
年配の方と会話する機会はありません。
機会があったとしても、まずはありふれた世間話からでしょう。
結論だけ急ぎすぎてもよろしくないってことですかね。

実は勉強した気になって、ちっとも考えられていないアホは私なのでしょうか。
自分以外の人と議論をしないと、自分が正しいのか間違っているのかさえわからないので、非常に不安になります。
勉強をする意味も次第に見いだせなくなるので、本を読むモチベまでなくなっていきます。
やはり人生に必要なのは他人。
自分一人では生きていけないことを痛感します。
それだけに孤独が痛い。

ゆっくり時間をかけて知識・経験あるおっちゃんと会話ができるようになりたい今日この頃(若い綺麗なお姉さんなら尚可)。