~ 秋 の 夜 長 に ・・・ ~
使用人として様々な仕事を終え、アンドレがオスカルの部屋にやって来たのはいつもの彼の登場よりやや早い時間だった。
後から最高のデザートを届けるよ、と夕食の給仕に着いたアンドレが耳元でそう囁いた時にドキンと鳴ったオスカルの心臓は、実際にアンドレが現れると、さらに早鐘を打っているような気がした。
「デザートを届ける『仕事』だから堂々と来ることができたよ」
そう言って笑うアンドレの微笑みに益々頬が染まる。
明日から休暇だ、やっとゆっくりできるよと帰りの馬車の中でもたせ掛けた時の体温が、急激に蘇った。
「今年はリンゴも豊作だが……」
オスカルの内心の動揺など意にも介さず、アンドレがにこやかに説明する。確かに甘い香りが漂っている。オスカルは平静を装い、
「何……?」
ワゴンの上で、勿体をつけたかのように銀のクロッシュ(ドームカバー)を被せられた皿に視線をやる。
「アプフェルシュトゥルーデル」
「おお!」
感嘆の声を上げるオスカルに、アンドレは、
「しかも栗の甘煮が入ってる」
更に上機嫌にさせる呪文でも唱えるかのように告げる。オスカルの口からは、
「何という贅沢だ! 我が家の厨房の菓子担当には、ボーナスを大盤振る舞いしなければならんかもな」
そんな軽口が出て来る。
「使っているリンゴは……」
言いつつクロッシュを取るアンドレ。先ほどまでよりももっと芳醇な蜜の香りが部屋中に広がった。
「裏庭で栽培していて……先週の台風で落ちた物だ。あ、栗も」
「落ちた?」
「ああ、収穫寸前だったのにあの雨と風だろ? リンゴは地面いっぱいに転がってて鳥の餌にしてしまうのには量が多すぎるし、甘味は十分だったのでそのまま持ち帰った」
「……おまえが?」
「……と、聞いた」
細かいところに突っ込むな、とアンドレは笑いながら菓子にナイフを入れた。が、
「おい……」
迷わずにナイフを動かす手つきに見惚れながらも、肝心の所はきちんと押さえるオスカルに、大丈夫だとアンドレは笑って見せた。その呼びかけひとつで何を言わんとしているのか分かってしまう。
「本当に半端ない量だったんだ、リンゴ。とりあえずジャムにして……しばらくは食事の際もリンゴジャム消費に協力しろよ」
「そんなに?」
「ああ」
アンドレは深く頷き、両手をいっぱいに広げると、
「厨房の一番大きな鍋を持ち出して来て、煮た」
こんな大きな、と言う。そして、先ほどのオスカルの、声にしないままの問いに答える。
「だから。たとえおまえが、このシュトゥルーデル1個を丸々平らげても、皆にもちゃんと行き渡ってるよ。と言うかお毒見を兼ね、みんなが先に試食した。それで、これならお出しできると料理長が判断した……というわけだ」
説明しながら、その手は器用に動き続け、既にシュトゥルーデルは皿に盛りつけられた。
「本当は、ジャムを使う為にロシアンティーにしようかと思ったんだが……」
今度は紅茶を蒸らしながらアンドレが言う。
「ウォッカ……か」
オスカルが諦めたように呟いた。
「そうだ。アルコールは禁止だ。甘い物ばかりで胃にもたれてももったいないしな」
「そんな……ジャムをのばす為の量など飲んだうちに入らないぞ」
文句を言ってみるものの、アンドレの言い分にそれ以上の意義は唱えない。
「まあ、良い」
そう言い、にっこりと微笑んでみせる。
「酒がない夜も、それはそれで風情があって良いかもな」
「ほぉ~」
あまりにも簡単に引き下がる恋人に、アンドレは拍子抜けする。
おまえがいればそれで良い、とオスカルは黙ったままアンドレを見つめた。
各々の前に置かれた菓子と茶を、まず香りを楽しみ、アンドレが言った。
「それでもまだ、リンゴは残ってる。このまま放っておくと今度は本当に傷んでしまうから……」
一瞬首を傾げ、そうだな、と右手のグーで眉間をトントンと叩く。
アンドレが考え込んでいる様子がオスカルにも伝わった。恋人はどんな妙案を導き出すのだろうとドキドキしながら待った。
しばらくそんな仕草を繰り返していたが、やがてアンドレは、
「明日にでも、今度はリンゴキャラメルのロイヤルミルクティーを作ってやるよ」
「ミルクティー?」
「ああ」
アンドレはオスカルがシュトゥルーデルにフォークを刺す様子を見ながら、微笑んだ。
「リンゴをバターでソテーする。リンゴを取り出したら、そこに砂糖を入れ、そのまま煮る。つまり、キャラメルを作るんだ。……茶色っぽくなったら火を止めて生クリームを入れる。そこにリンゴを戻して、絡ませたら、ティーカップに入れる」
アンドレは聞かれもしないのに、自慢げにレシピを言う。
「今度は紅茶だ。牛乳と水を入れて火にかける。沸騰直前まで我慢したら、先にさっと熱湯で浸しておいた茶葉を入れ、素早く火からおろす。そのまま蓋をして3分ほど蒸らす」
「茶葉は何を使う?」
「う~ん、ロイヤルミルクティーにしたいなら、ルフナかな? ディンブラでも良いかも。これも収穫の時期だから、ゴールデンディップス使う?」
「新芽を?」
ああ、と自慢げに頷くアンドレに、
「それは贅沢が過ぎるだろう」
オスカルは苦笑いする。
そんなオスカルの様子にアンドレは、そう言うと思ったよと呟く。
「おまえはもっと贅沢をしても良いくらいなんだけど……」
そう笑って見せる。
「セイロンから取り寄せた超高級茶葉を使ったお茶に、ほんのひと口つけただけで後は廃棄処分なんて他家では当たり前なのに……」
「そんな真似、私にはできない」
即答する。
「この茶もリンゴもシュトゥルーデル生地の小麦も……砂糖も、塩も、ミルクも……みんなの労が集まっている、と……」
「……知ってしまった、か……?」
オスカルは、黙って頷き、
「だからこそ、美味しくいただける」
最上の笑顔を恋人に向けた。
「それならば尚更、使用人達が苦労して集めたリンゴを無駄にしない為に、明日はキャラメルミルクティー作りだ」
オスカルは目を見開きアンドレを見つめていたが、深く頷き、言った。
「……では、私がみんなにミルクティーを振舞おう!」
「えっ……」
思いもしなかったオスカルの発言に、アンドレは口に運びかけていた茶器の手を慌てて止めた。オスカルは自信満々に頷き、
「ミルクティーの作り方の続きは?」
「あ……。後は、ひと混ぜしたら、さっきの煮たリンゴを入れたティーカップに注ぎ分ける。お好みで砂糖やハチミツを加えるとより甘みが出て美味しくなります」
明らかにしどろもどろな説明に変わる。
「なるほど……」
腕組みをしながら微笑むオスカルに、アンドレは思わず十字を切りたい気持ちになる。
そんな事をしたら、厨房の機能は一日停滞してしまうだろう、と思った。恐る恐るといった感じに、
「……本気、かな……」
尋ねるというより、確認の為の独り言に近かった。
「勿論」
大きく頷き躊躇せずに答えるオスカルに、
「天気が良いと嬉しいな」
アンドレは白々しく呟きながら立ち上がると窓辺に寄り、アンドロメダを見上げた。
オスカルは良かれと思って言っているのだ。協力は勿論惜しまない。いや、むしろ、自分こそが率先して行わなければ厨房はカオスと化すに違いない。
まだ寒い時期ではない。下ごしらえ担当の者達に事情を話し、申し訳ないが外の洗い場でリンゴの皮むきを手伝ってもらおうと算段を始める。
しかし、祖母への説明はどうしようと一瞬不安がよぎる。
祖母の事だ。次期当主が、よりによって使用人の為に厨房に立つなど、知れ渡ったらヴェルサイユ中の笑い者になると言って憤慨する事は必至だ。きっと、あの手この手で主を説得しようとして、最終的に取る手段は泣き落としだろうと、アンドレは溜息を吐いた。
「ばあやは納得しないだろうな」
心の内を見透かされたような恋人の言葉にアンドレは、
「おばあちゃんの事は、執事さんに任せよう」
と、計画を練りながら頷く。オスカルも大いに満足し、
「そうだな。モルガンは、ばあやに上手に話してくれるだろう」
オスカルが嬉しそうにアンドレの背中から抱きつく。
「反対しないのだな」
アンドレは、胸に回されたオスカルの指先をギュッと握りしめる。
「反対は、しないよ」
それは本音だ。ただ、願わくば物事が平穏に進みますようにと、もう一度空を仰ぐと向き直り、正面からオスカルを抱きしめた。
秋の夜は長いなどという嘘を言ったのは誰だっただろうと思いながら、オスカルはアンドレの背中に回した指先に力を入れる。
恋人達に与えらえた甘い時間は、あまりにも短い。
アンドレがそこを引き上げる為に、オスカルの指先を解こうとする気配が伝わって来た。
あまり長い時間一緒に居ると、ますます離れがたくなってしまう事は十分に分かっていた。
ふーっと大きく息を吐いたのはどちらが先か。
「……明日……また会えるよ。何よりも紅茶を作る準備をしておく」
己が指先で、軽く恋人の機嫌を取ってみる。優しく触れられた頬を膨らませたまま、オスカルは何も言わない。アンドレは困ったなと言い笑う。しかし、さほど困った様子はない。
「じゃあ、厨房の準備にかかる前に……」
一瞬、目を忙しく動かし考えて、
「朝一番に……そうだ。裏庭のダリアを摘んで持って来よう。何色が良い?」
「ダリアは嫌いだ」
「そうか? 色とりどりだぞ」
「ダリアは秋を思わせる」
「そりゃあ、秋だからな……」
恋人は風情などお構いなしに、事実を告げる。
「ん……。じゃあ……一緒に早起きして、朝の散歩としゃれ込むか?」
「散歩は……嫌いだ」
「そうか。知らなかったな……」
悠長に答えるアンドレの体を、オスカルはもう一度ギュッと抱き寄せた。
「……痛いよ、オスカル……」
アンドレは澄ました顔でそう言うと、声を立てて笑う。
「痛くはない」
その顔を厚い胸板に埋め言い切るオスカルに、
「いや、痛いのは俺であって……おまえが決める事じゃないだろう」
取るに足らない、そんなやり取りさえ、悔しくて、そして嬉しかった。
「オスカル……」
アンドレは、そっと耳元でその名を呼んだ。だが、オスカルは返事をしない
「オスカル、顔を上げて?」
幼子が嫌々をするように、ただ黙って首を振る恋人に、アンドレはもう一度、
「困ったな……。顔が見たいんだけどな……」
何も言わないオスカルを、今度はアンドレが強く抱きしめた。
「愛しているよ、オスカル……」
「……うん……」
「明日、また会えるから……」
「うん……」
「ミルクティーと……」
ほんの一瞬の沈黙の後、アンドレは、がばりとオスカルの体を引き離すと同時に叫ぶ。
「そうだ! ハロウィン用にカボチャもたくさんあったから、それでプディングを作ろう」
「プディング?」
「ああ」
得意げに頷く恋人に、
「ランタン用のカボチャが食用ではない事は私でも知っているぞ」
使用人たちの立ち話から得た知識を、さも最初から知っていたかのように披露してみせると、
「大丈夫だよ」アンドレは言った。「今年のカボチャはプッチィーニだ。甘いから食用にも向く」
一人悦に入った様子でうんうんと首を小さく何度も上下させる。
「ジャック・オ・ランタン用に中をくり抜くだろう? ランタンに実はいらないからな。種は炒って、果実はプディングにする。無駄がないなぁ」
「おまえ……」
オスカルは、半ば呆れた様子でアンドレを見つめた。抱きしめていた腕を離す為の口実のような気がしたが、クスリと笑いが漏れた。
いつまでも我儘を言って引き留めていても仕方がない。これ以上、恋人を困らせて何になるのだろうと思いつつ、今、思いついたばかりの悪戯心は止められそうになかった。
「わかった」
大きく頷くとオスカルは言い切った。
「そのランタン作り、私にも手伝わせろ」
「えっ……」
「面白そうじゃないか?」
「あ、いや……。カボチャ、そんなに沢山はないし、失敗できないんだ。飾る場所はもう決まってるし……」
「何ぃ? それは失敗する事が前提の言いようだな」
「いや……。そうは言ってないだろう?」
アンドレは大きく息を吐き出した。
そして、大騒ぎの屋敷だと、追い払わなくとも悪霊は勝手に去って行くかもしれないなどと思いながら、もう一度オスカルを強く抱きしめた。
≪fin≫
【あとがき・・・という名の言い訳】
ご訪問ありがとうございます。おれんぢぺこでございます。
ご無沙汰いたしております。皆様、お変わりございませんでしょうか。
先週末の大型台風の被害はございませんでしたでしょうか。
期せずして、ちょっと台風の事にも触れた今回の内容となっておりますが、この話は、まだ私が20歳代だった頃にやって来た超大型台風で、青森県のリンゴが壊滅状態。収穫前だったリンゴは“落ちたリンゴのジュース”として、ものすごい廉価で販売された、という記憶に基づいています。
科学が発達した現代においてさえ、自然の力には勝てないと災害が起こる度に痛感しておりますが、またまた台風接近中とのニュースも耳にしております。どうぞ、皆様、お気をつけてお過ごしください。
またお時間のある時にお立ち寄りくださいませ。