古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

拉薩 河口慧海

2010-08-25 00:08:08 | 日記
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その72

2010年 8月20日(金)

チベットの旅行記を書こうと思ったが、今になって考えるとたいした感動が無い。
余りに期待が大きかったからかもしれない。

ポタラ宮はもっと大きく壮大なはずであったが一寸がっくり、
拉薩の街も有り触れた中国の田舎の大都市、
巡った寺も観光業に毒された商業施設、、、
小生のチベットは何処に行ったのだろうか。

セラ寺の河口慧海の仏塔だけが感動した。
「チベット旅行記」が頭に浮かんだ。何度読んだだろうか。
彼の足跡が目の前にある、手が届きそうだ。
涙が出てきた。誰にも解らないように手を合わせる。
連れに話す言葉が上ずっている。
そうだ、何も言わずに自分の心の中だけで彼に話しかけよう。
憧れの人に直に会ったような気がした。
こんな気持ちは初めてだ。
彼女と会ったときとも違う、ビビーと来た。
涙が出てくるのだ。只とめど無く涙が出てくるのだ。
そしてただ手を合わせる。
小生にも力を下さい。手を合わせる。

訳も解らずに涙が出てくる。
目の前に河口慧海がいるのだ。
感動だ。

峨眉山 盂蘭盆会

2010-08-21 00:01:01 | 日記
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その71

2010年 8月16日(月)

中国の四大仏教聖山の一つ、峨眉山に行って来た。

住めば都と言う諺がある。
だが、同じ様に住めば色々な軋轢、支障、障害等が生じてくる。
住むという事は難しい。定住者と、旅人との違いはあるが何れにしても障害や軋轢は何処に居ても有るものだと思う。
定住者はそうはいかないが旅人は簡単だ。
朝に旅立てば良いだけのことだ。

さて何処に行こうか。
放浪者の最大の悩みだ。そして最高の贅沢な時なのだ。

パスポートもビザも手に入ったが、今回はどうも気が重い。
何となく全てに億劫な感じがする。多少の軋轢や障害は我慢しようかとも思う。
動く意欲が無いのだ。

異国の空に在ってひどく故郷が懐かしい。
盂蘭盆会なのかもしれない。そんな気がする。
故郷の花火大会を思い出してしまった。

Mと見上げた花火大会を想い出した。
そんなに楽しかった訳では無いが、今となっては確かな過去の情景だ。
だが、Mに如何しても会いたい、情を交わしたいという訳でもない。
もう過去の事だし、Mは今、幸せに暮らしてるはずだ。
そう信じる事しか出来ない。

Kと言えばもっと遠い昔になる。
彼女には思いの丈は一言も話していない。
片想いの恋だったのか。
いや、解っていてくれる筈だと思っている。
いや、もう50年もの昔だ。
そうだ、高校生だったんだ。十五の春だったのだ。
年数からだけ言えばもう化石だ。

さて、如何しようか。
全ての煩悩を振り払うことなど出来はしない相談だ。
まだ悩み苦しみを味合わなければ為らないのだ。
さて、如何しよう。

もうビールを五本も飲んでしまった。
頭だけはシッカリしている筈だ。身体はもう沈もうとしている。

祖霊を祭る盂蘭盆会は残酷だ。

掏摸の後遺症 ビザ取得

2010-08-10 02:53:59 | 日記
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その70

2010年 8月 9日(月)

ビザ添付のパスポートを受領する。ビザ代160元也。
8月6日受付、8月31日までの26日間ビザだ。
何とも中途半端な日数だ。
8月2日に預けたので、それから30日間のビザという事かもしれない。

中国銀行四川分行でネットバンキングの手続きをする。
新しい口座でのネットバンキングが出来るようになった。
後ろに並んでいた孫小×と言うネーちゃんが色々と手伝ってくれる。
如何したのと言われたので、実はと西寧市の掏摸(スリ)団の話をすると、
当ったり前でしょう、中国にはプロがいるのよ、
大事なものはこうやってと言いながら胸の前でバックを包んだ。
さらに、中国人はみんな泥棒と思いなさいと言う。
えええ、、
あなたも中国人でしょうと思うが言葉が出ない。

良い所のネーちゃんらしく母親と一緒に3000英ポンドを下ろしていた。
外貨での預金も出来るようだ。

盗られたものは戻ってこないが、パスポートとビザ、カードの一枚だけは何とか手にする事が出来た。
これで、何とか、旅は出来る。
丁度25日目だ。意外と時間が掛かった。

さて如何しよう。
ドッカに行こうか、何をしようか。
二十日しか無いと旅は出来るが放浪するにはちょっと短すぎる気がする。

一度日本に帰って最強のビザを手に入れようか。

それからまた出直しだ。

掏摸の後遺症 ビザ申請

2010-08-06 12:42:42 | 日記
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その69


2010年 8月 2日(月)

成都市出入境管理所へビザの申請に行く。

受付に報案証明と護照報失証明とパスポートを見せると、それらのコピーを撮り、着いて来いと別室へ案内された。
同じような人間が良く居るということだ。慣れたものだ。

そこは「三科」と書かれた標識が出ているだけで、中に二人の係員とそれぞれのデスクとパソコンがあるだけの小さな部屋だ。
その内の一人に直接面談する形で事情を聞かれ、パソコンのデータを打ち出したり、住所はとか、電話番号はとか聞かれた。
15分程で全ては終わり、レシートを渡されて、来週の月曜日の午後に此処に来なさいというだけだ。慣れたものだ。

レシートにはパスポートとビザを入手するまでは成都を離れてはならないと記載されている。

ただ一週間待つだけの生活だ。

しかし、これで掏摸団との関わりが全て無くなる。一寸寂しい。

君達の成功をお祝いしよう。
中国西寧掏摸団の益々の発展を祈ろうではないか。

中国西寧掏摸団万歳!  中国西寧掏摸団万歳!  中国西寧掏摸団万歳!

万歳三唱したその手を揚げて、背伸びをしてみる。
一つ溜息を付く。

ああ、完了った。
ヤラレタ。

掏摸の後遺症 預金解約2

2010-08-05 14:37:37 | 日記
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その68

7月30日(金)その2

宿のオーナーは言う。
中国では、担当者が法律なのだとも。
多分、中国銀行四川省分行に行っても同じではないのかと。
ドッカの誰かに責任を廻してやるだけでないかと。

時計は16時を過ぎた。
中国銀行の営業時間は17時までだ。
どうせ駄目もとだ。やけ糞だ。
行って暴れてやろうか。

本省なら日本語の出来る人間も、また能力ある優秀な人間も居るだろう。
どうせだ、暴れてやろう。
俺の金だ。

16時30分に中国銀行四川省分行に着く。
受付で三度目の正直よろしく事情を説明する。
実習と名札の付いた行員だ。頼りない。
そのまま窓口に案内された。

窓口のオネーチャンは丸顔のにきび顔だ。
美人が揃っていると聞いたのにガックリだ。

ちょっと書類を眺めてから隣の行員に話しかけている。
住所は、電話番号は、、「没有」   えええ!
そうだ、中国では乞食でも携帯を持っている。
宿の電話番号を言う。

彼女の後ろにまた人が集まりだした。
ああ、ヤッパリ、、、、

しかし彼女はそんな彼らとにこやかに話しをしながらキーを叩いている。
プリントアウトされた数枚の書類にサインしろと言う。

彼女が何か問いかけている。初め中国語で、そしてキャッシュと
イェス、イエス、、キャッシュ、キャッシュ、、、
慌てて答える。

やった、、、
彼女が現金を数えてる。間違いない。成功だ。
やった、、、
彼女が偽札検査機の数を見ろという。間違いない。成功だ。
やった、、、
間違いない。

光り輝く女神を見た。
彼女の何と神々しい姿だろう。
いや、可愛い。グラグラだ。
中国銀行四川省分行営業部は能力も有り美人揃いの素晴らしい支店だ。
特に任小×は飛び切りの別嬪だ。

実はと、中国銀行上海支行で作った口座の通帳を見せて、この口座のカードも一緒に盗まれてしまって下ろせないと言うと。
彼女は暫らく考えていたが、、通帳を預かって上海へ送り、、、ううん

四川省分行に新しい口座を開いて、インターネットバンキングで口座振替は出来ないかと質問してみる。そこに振り込めないかと聞く。
上海の口座のカードの再発行や解約は上海へ行かないと出来ないからだ。

彼女がやってみようと言う。
1000元を出して口座を開く。カード一枚貰う。

構内にインターネットバンキングの出来る端末機は有るのだが、一度も使ったことがないというと、彼女は自分の机を片付けながらちょっと待てなさいという。
そして、表へ回って出てきた。

時間は17時を過ぎている。
付いて来なさいと言う彼女の後に従う。
端末機の前で、彼女に口座番号、暗証番号の書いてあるメモともう一つの暗証番号用の数字発生器を手渡す。
彼女に全てお願いする。

上海の口座にアクセスできた。
定期預金を解約して普通口座に移す手続きをして貰う。
うんうん、上手く行ってる、、
よし、成功だ。

次にその口座の全額を新しい四川省分行の口座に振り替えればいい。

彼女が首を傾げて、没有と言う。
ええええ、ヤッパリ駄目か。
彼女が別の画面を開いて何か確かめている。
全額送付は出来ないようだ。
要するに振替手数料を引かれるので口座がマイナスになるために不可能なのだと解った。

彼女はその画面を見せながら了解かと聞く。
明白了と答える。
完全に息が合ってきた。

次の瞬間、、成功、、
やった、、やった、、
思わず拍手をする。
彼女が照れたように微笑んだ。

任小×は飛び切りの女神だ。