『 何してる?調子はどう??』
…午前中に そんな声が聴こえたような氣がしまして…
「さて、何のことだろうと想いつつ、すぐピンときました。」
最近、想いを持たないとか、物事や人を仕分けしないようにと実践している訳ですが、
それ(分けない・想いを持たない)で居ることに慣れてきたのかい…と尋ねられたのだと!
「まだまだ慣れていないし、ホトンド実践できていない…と想っているかも知れないけど、割とやれているよ。」
「まだ実践できていない君と、それをできていないな~と観ている君が居る…その差が成長の一段階だ。」
「損得勘定・吉凶禍福・優勝劣敗に心を囚われることなく、物に執着せず私心なく、物事にこだわらず、
あっさりなんてしていたら、たちまち誰かに騙され、出し抜かれ、不利益に…なんて考えが君の心配の種だ!
そこで、少しだけヒントをあげる!」
『 無為自然 』…って知って居るよね!
この無為は 『 恬淡 』と同じで、物に執着せず心安らかであること。
恬淡虚無 の 『 虚 』も、つきぬけて空っぽであるの意味で、 『 無 』も、同様の意を持っている。
つまり、東洋思想における「無為」と「恬淡」or「虚・無・空」は、空っぽ(何も無い)の状態ではなく、
超越した状態と捉えることができる。
解るだろうか…無為自然…無為と自然は同時に成立するってことなんだ。
つまり、無為、損得勘定・吉凶禍福・優勝劣敗に心を囚われることなく、物に執着せず私心なく、
物事にこだわらず、あっさりなんてしていたら、空っぽ(何も無い)の状態になるんじゃなくて、
超越した状態…自ずから然らしむ状態になるんだ、しかも、これは同時に成立する。
※逆に言えば、「有為」は「自然」じゃないってことなんだ。 本来が「無為」=「自然」。
だから、君が心配しているように、たちまち誰かに騙され、出し抜かれ、不利益に…
なるなんてことは無い!
「信じろ!」 …なんて言わない。
「信じるんじゃなくて、…識るんだ。」
※このセリフも聞き飽きただろう。
※ 今までこのブログで伝えて来た…無為自然ってのは、これからの生き方そのものです。
物事を操作・計算しようとしないこと・固定した考えを自ら持たない、相手に対して求めないことなどです。
そして、無為自然で生きると言うことは、自分から能動的に動くな!…という意味ではありません。
アナタ方が得意な…吉凶禍福・損得勘定・優勝劣敗などの…
頭で考えるロクでもないことに拘って・執着し、良い悪い、好き嫌いetcと判断・処理して、
アナタ方が身の回りに、…勝手に不調和を起こしていく…
…そのスパイラルから卒業する為の心得… です。
※ 何かをキッカケに想いきって、…試してみる… というのも、
案外良いタイミングかも知れません。 …是非! お試しください!…