長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

當代記 古宮城元亀四年説付けたり北条氏政のこと

2012年03月04日 | 古宮城
『愛知の山城ベスト50を歩く』(サンライズ出版)の古宮城の項に当代記に「元亀四年四月、信州通皈(帰)陣、長篠在陣中、作手へも人数を遣有普請、被入番手」とあり、元亀四年武田が作った、とのことでした。城所道寿関連の資料を漁りに岡崎市中央図書館へ行った際、當代記の翻刻(ふにゃふにゃした崩し字を漢字に翻訳してくれていること。レ点や送り仮名が付けられ読みやすくしてある。)があったので、併せてコピーしてきました。



すると『同四月、信州通皈陣、長篠在陣中、作へも人數を遣有普請、被入番手』と書いてある。

ん?
作平?

作手の手を奥平の平に誤植してしまった可能性が高いのですが、本当に誤植なのかは私にはわかりません。ちなみに私がコピーしたのは平成7年発行の株式会社続群書類従完成会のものです。
まぁ、文章の他の部分との流れからすると、後の部分で「作手城」と言う表現が多数出てきますので、誤植と考えた方が良いのでしょう。が、気になる。崩し字状態のものがあれば、今度見てみようかと思います。わからんでしょうけど。もし作平だったら、一体作平って何?という新たな袋小路に入っていかなければならなくなるので、それはそれで困る。

ま、そんな誤字発見(?)の報告はこれまでにしまして、これを読んでいる途中にえらいものを見つけてしまいました。
小田原の後北条氏四代目北条氏政のことです。豊臣秀吉に臣従することを拒否したために小田原征伐を引き起こし、結果的に小田原評定をする羽目になり、後北条氏を滅ぼす原因を作ってしまったあの人です。
當代記の中に、
「此氏政好酒事超人たり、常に長座して大酒也、酒の中に立座事は為法度之間、大小便も不自由、毎度見苦敷事多し、氏政是を見て快気云々、」



とあって腰を抜かしました。
うらにわがざっくりと意訳しますと、
「この氏政は酒席が大好きで、常に長いこと宴会して大酒飲んでいた。酒の席では中座することを御法度にしたため、参加者はトイレに行くことができず、毎回見苦しいことが多かった。もっとも、氏政はその状況を見て喜んでいた。」
ということになります。

氏政…。
そりゃあ、国を滅ぼすわ。

まぁ、国を滅ぼした人だからこんなひどいことを書かれているのかもしれませんがね。
しかし、火のない所に煙は立たない。
案外そういう趣味があったのかもしれない。

なんだか前半と後半でえらいこと雰囲気の違う話になってしまいましたな。


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