田後(たじり)発~オカリーナ吹きのみゆう

オカリーナ、クラリネット吹き、ギター弾きのみゆうです。ここは山陰海岸にある田後港、アニメfreeの舞台としても有名です。

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久しぶりの更新

2013-09-16 | 日記・エッセイ・コラム
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このブログは、久しぶりに更新します。タイトルに「田後(たじり)発~」と書き加えました。ここのところ、私が暮らすここ田後には、観光で来られる方が増えました。

田後は、以前から釣りでは有名なところでしたし、最近では、スクーバ、カヌー、ジェットスキーなどのマリンスポーツが盛んです。近くにはサーファーもよく訪れる浦富海岸もあります。

なにより山陰海岸国立公園、というより、ジオパークで有名な美しい白砂青松の海岸が広がっています。以前から写真撮影、映画撮影、絵画のスケッチなど、知る人ぞ知るという土地だったと思います。

食通の方には、新鮮な魚介、特に冬の松葉ガニは、ここでたくさん水揚げがある田後漁港があります。

最近は訪れる方の中に、若い女性だけのグループが増えたように思います。たいてい、カメラを持っています。どうやら、京都アニメーション制作のアニメ「Free!」の影響なんだそうです。私は、よく知りません。このアニメで登場するシーンにこの田後の風景がよく使われているんだそうです。ちょっと注目してみようと思います。どうぞいらっしゃいー。

そうそう。「永遠の0」を読みました。偶然なのか、宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」もゼロ戦の物語でした。「生きねば。」ただ生きるだけでなく、思いを込めて生きることを少し深く考えるようになりました。

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「美」について。

2010-10-30 | 日記・エッセイ・コラム
 最近、「美」を意識する。といっても、着飾ったり、何かを磨いたり何か特別なことをするということではない。
 今までは、いろいろなことをなりふりかまわずやってきたように思っている。それは、どれをとっても、自分なりにせいいっぱいだったのだと思うが、そのためか、振り返ると、反省することも多かったりする。
 「靴を脱ぎ散らかしたり」、「かかとを踏んでかけ出したり」・・・。イメージとしては、そういうことなのかも知れない。
 ひとつひとつの節目で、その時できることを、その後にすることに気を取られて、見過ごしてきたような気がする。
 「今やろうとしていることは、自分にとって、美的にどうなんだろう。」そう思うことによって、見過ごしてきたことを見なおそうと思うのだ。何しろ、意識の中では、そうして脱ぎ散らかしてきた靴が山積みになっているような気がするのだ。
 50歳。折り返しはとうに来ているだろうし、これからできることは、ひとつひとつ形にしたい。余計なモノは残さず、きれいに生きたい。いつかは、きれいに死にたい。そうそうすべてうまくいくとは思わないが、できることはやっておこうと思う。

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オカリーナ教室の日

2010-10-28 | 音楽
 今日のトピックスは、昨夜、全国で木枯らし一号が吹いたことだろう。札幌や東北の方などでは、積雪もあったようだ。夏の猛暑(酷暑)のあと、やっと秋らしく過ごしやすい季節が訪れて、これから紅葉のシーズン到来かという時期である。場所によっては、10度近くも下がる、急激な寒さはかなりのインパクトがある。

 鳥取市扇町21番地にある県民ふれあい会館では、月に2回のオカリーナ教室を開催している。今日はその教室のある日だった。
 まず、午前9時半からその一日がスタートする。
 自宅から会場まではクルマで約30分の距離にあって、家を出たあとで、いつも持ち歩いているiPad(アイパッド)を自宅に置き忘れたことに気が付いた。もう道中の半分まで来ているし、到着もぎりぎりの状況だったので、引き返せない。
 日々のスケジュールは携帯電話でもインターネットに接続して確認できるし、iPadに保存してある楽譜も今日は何冊かの楽譜集がカバンに入っているので「大丈夫。」と判断し、ひと安心してそのまま会場に向かう。

 オカリーナ教室はとても楽しい。個性は、集まる人々によって形作られる。集団の、グループの個性というものが不思議と強く存在する。その違いが音色や雰囲気に現れてくる。面白いし、不思議な気がする。計画(いちおうのカリキュラムのようなもの)を立てて、同じことを繰り返しやろうとするのだが、その個性の違いに影響を受けて、別々の進め方をすることにもなっていく。

 あることがらを「ムズカシイ。」と感じるグループもいれば、すんなり通過してしまうグループもある。あるグループで、ネックになる部分がほかのグループでは、まったく問題にならない。その違いがけっこうあって、各教室は、それを思い出しながら、進められることになる。

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山陰の冬、雪が降りました

2010-01-05 | 日記・エッセイ・コラム
 今朝の鳥取は、吹雪いていて、風も強く、車を走らせると前が見えないほどでした。ワイパーがフロントウインドウの下に雪をかき集めて、「ごっごっ。」と音を立てるたび、どこかで車を寄せて雪を取り除かなければと思いながら、何事もなく目的地に到着することができました。
 吹雪いたといっても、道路に積もるわけではなく、かつてのようにタイヤチェーンを求めてカーショップやホームセンターに駆け込むなんてことはここ数年は記憶にありません。今乗っている車のタイヤチェーンは持っていないので、もしかしたら10年以上、そんな雪は降っていないのかも知れない。
 圧雪の上をガタガタと車を走らせるというのは、常日頃車に楽器を積んで走っていると、あまり想像したくはないものです。
 午後は、雪も一段落して、道路はあまり混乱はなかったようです。汽車は少々遅れたようですけど。でもたまには降らないと、山陰の冬らしくないですからね。年々だんだん薄れていくような気がしますが。

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陶芸作品の展覧会

2009-12-23 | インポート
先日、ある有名な作陶家の方の陶芸作品の展覧会に行ってきた。どの作品も目を見張る素晴らしい作品で驚き、感激した。

が、しかし。何となく物足りない。
何故なんだろうと考えた。

「作品には手を触れないでください。」

当然のように注意書きを目にしたし、どの方も手に触れることはなく、遠目で感心しながら眺めている。

本当にそれで満足できるのだろうか。

手触り、重さ、手に取って眺めることで変わりゆく光と影のハーモニー、そのどれも作品の大切な要素なのではないか。
もちろん、作者の方は、できれば触って欲しいと思っているのかもしれない。触らないとわからない部分というのは、陶芸作品にとってはかなり大きい要素だと思うのだ。
それだけではない、壺であり、花生けであり、皿である彼らは、その用途に使われたときにこそ、輝くのだ。

無理を承知で、願いたい。
展示会に来た方に、希望があれば、抽選で直接作陶家の方の立ち会いのもと、触れる展示会に招待願いたいものだ。

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