映画なんて大嫌い!

 ~映画に憑依された狂人による、只々、空虚な拙文です…。 ストーリーなんて糞っ喰らえ!

ゲッタウェイ ~映画の読解 (1)

2008年08月07日 |  ゲッタウェイ
     ■『ゲッタウェイ』 (1972年/米) サム・ペキンパー監督


 バイオレンス映画としての魅力を前面に押し出しながらも、“フェミニズム”を上手く内包させていました。まず、男女の関係が《恋人》ではなく《夫婦》という設定が見事で、妻から夫への関係が《依存》から《対等》へと変化していくことで、当時の結婚観の変化を絶妙に反映させています。“夫は経済力に物を言わせて妻を養っていくもので、妻はそんな夫に黙って従っていれば幸せになれる”…といった古い結婚観が、“ウーマンリブ ”の台頭で崩れていく時代でした。この作品では、ゴミ処分場で古い結婚観(男尊女卑)が廃棄されます。ゴミ収集車からゴミと一緒に夫婦が捨てられるシーンは象徴的でした。バイオレンス映画として有名な作品ですが、フェミニズムを内包させたサスペンスフルな恋愛映画とも言えるでしょう。

 以前に見た際、ドク(スティーヴ・マックィーン)が撃たれる印象を抱きました。今回改めて見返してみたのですが、やはりドクが撃たれているように見えます。前半部であれだけ複雑な描写/編集にこだわったペキンパーが、観客の勘違いを誘うような紛らわしい描写/編集を無自覚に犯してしまったとは、とても思い難いです。画面の向こう側へ去って行くラストシーンは、観客に背を向けて去って行く様子ですから、表現としては悲観的なものです。淀川長治先生の映画解説でも、「決して楽観的な未来を示唆した終わり方ではない…」といったような事を仰っていました。確かに、電信柱が十字架のようにも見えます。まるで『シェーン』(1953年)のような謎めいた終わり方です…。

 撃たれたフランク(ボー・ホプキンス)が車から放り出され、その側を子供たちが歩いて通るショットがあります。アウトロー(夢のない未来-死)と子供(夢のある未来-生)の対比が効いていました。メキシコに逃れて直ぐ、子供たちが遊ぶ広場の脇を、トラックで通り抜ける描写もあります。ドクの孤独を帯びた眼差しも全編に亘って印象的に描写されており、大金は手に入れたけれど、夢が断ち切れている男のようにも見えます。将来、子供を儲けて幸せな家庭を築けるのか…。そんな道を所詮は歩めないアウトローの性(さが)も嗅ぎ取れます。

 銀行強盗の段取りを話し合う場面で、ルディ(アル・レッティエリ)がドクの顔に懐中電灯のライトを当てる描写がありました。その時に効果音が入り、次に、キャロル(アリ・マッグロー)の顔へライトを当て、ルディが「バーン!」と口にします。この演出と、ドクが撃たれたように見える場面は、無関係ではないように思います。よくよく考えてみれば、この映画で最もタフなアウトローとして描かれていたのはルディの方で、ドクは刑務所暮らしにも耐えられなかった男として描かれていました。壁を乗越えようとするドクとキャロルへの発砲は、アウトローとして生きるしかなかった男(ルディ)から、家庭(女)に逃げて行こうとする男(ドク)への一撃でもありました。つまり、家庭(女)へ逃げて行こうとする男を撃ったのは、アウトローとして生きるしかなかった男、即ちペキンパー自身でもあった…。着弾の描写が不明瞭なのも頷けます。

 銀行強盗を実行した後、皆が落ち合う場面で、ドクは裏切ろうとしたルディを撃ちます。その時、6発撃ちますが、3発目と4発目の描写/編集の繊細さには、脱帽です。別の角度から撮影された2つのショットを、発砲の瞬間に繋げています。迫力のあるバイオレンス描写が、あのような繊細さの積み重ねであることに頭が下がる思いです。

 銀行から逃げる車の中で、ルディはフランクを撃ちます。その際、股間への発砲と脇腹への発砲の間に、藁の中の爆弾が、派手に爆発する描写が挟まっていました。爆音で発砲音が掻き消されたことを観客に促すような編集でしたが、同時に、男性シンボルが激しく爆発する印象を観客に抱かせる意図も感じました。冒頭、出所したばかりのドクが国旗と州旗のなびくポールの下でキャロルを待つ場面、その足元の形状も、男性シンボル風のフォルムでした(権力=男性)。舞台となったテキサス州は、保守的な土地柄としても知られています。権力と保守主義が結び付いた価値観の中で、当時、女性は一番の犠牲者と言えたでしょう(権力≠女性)。反権力志向のペキンパーが権力との闘いを描く為にも、その犠牲者であった女性を“フェミニズム”という新しい価値観で擁護し、その表れとして、男性シンボルを撃つ描写/演出が必要だったのでしょう…。

 ルディを撃てないドクの“優しさ”は、アウトローとして生きるには致命的な“弱さ”を感じます。だからこそ、堅気になろうとする者の幸せを邪魔しないように、ペキンパーは二人を逃がして上げた。引導を渡す一撃と共に…。そう思うと、走り去るラストシーンは、「行けるところまで、夫婦で力を合わせて頑張ってみろ! 決して、アウトローの墓場へは戻ってくるなよ!」という親心のようでもあります。

 冒頭のタイトルバック映像で効果的だったのは、ストップモーションでした。あのように使用すれば、間が取れるので、ちょっとした時間の飛ばしに違和感がありません。それから、時間を前後させる編集。刑務所で過ごす一日のプログラムを、あのように切り刻んで編集すれば、数日分のようにも思えますし、一日の出来事のようでもあります。実際、日にちは経過していました。

 強盗のシーンでは、銀行へ着くまでの車2台と、銀行内部の模様を捉えた、併せて3つの描写が細かく編集されていました。強盗シーンとダイナマイトを仕掛ける描写/編集も含め、もう少し詳しく見ていく必要があります。銀行から逃亡する際のカーチェイスでは、基本的に以下の描写が編集されていました。

   ①走る車を外側から捉える描写…状況説明。
   ②車内の人物を正面から捉える描写…人物の表情。
   ③ドライバーの肩越しに進行方向(前方)を写す描写…臨場感。


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3 コメント

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Unknown (クウガ555)
2013-12-10 17:42:07
初投稿です。

なかなか深い考察で為になりました。
現在23歳ですがこの「ゲッタウェイ」が自分のベスト1です。
いつかスクリーンでフィルムで見たい!と夢に見ています!
返信 (映画なんて大嫌い!)
2013-12-12 19:51:30
 はじめまして。タランティーノとロドリゲスが組んだ『フロム・ダスク・ティル・ドーン』という作品の前半部分には、ペキンパーの『ゲッタウェイ』が仕込んであります。お気付きになれれば、きっと楽しめると思いますよ~。
Unknown (シャナ・マリー・マクラフリン最高!)
2023-09-28 15:38:00
興味深い評ですね。面白かったです。
本作を大絶賛している井筒和幸監督の評も面白いです。
ネット連載のは、すぐ読めますし、著書の、アメリカの活動写真が先生だった等オススメです。
アンチ黒澤明な所や、パワハラ撮影方など当然、井筒監督には全て共感できませんが、評は一読に値します

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