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忘れられない、二十世紀の爪あと…旧海軍司令部壕

2014-02-25 | 平和

 那覇市と豊見城市の境にある、「旧海軍司令部壕」を訪ねました。

「旧海軍司令部…昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われています。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵士が収容されていました。戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元されました。」

引用(旧海軍司令部壕 [旧海軍司令部壕について]  http://kaigungou.ocvb.or.jp/about.html

 交通アクセスは次の通りです。

【那覇空港方面より】国道332号線から奥武山公園手前の信号(山下)を右折し県道7号を直進 そのまま県道7号バイパスへ進み、トンネルを抜けると標識有り、右側に見えるりうぼう豊見城店の手前交差点を左折

【那覇市街より】国道58号線を空港向けに進み左手、奥武山公園を越えた信号(山下)を左折し県道7号を直進。そのまま県道7号バイパスへ進み、トンネルを抜け、右側に見えるダイレックス豊見城店の手前交差点を左折

引用(旧海軍司令部壕 [交通アクセス]  http://kaigungou.ocvb.or.jp/access.html

01-0222 海軍壕公園総合案内板

02-0222 慰霊之塔

03-0222 慰霊之塔

「旧海軍司令部壕…この壕は太平洋戦争中沖縄方面根拠地隊司令部のあった場所で昭和二〇年六月十三日午前一時戦い利あらず遂に大田実司令官は『大君の御はたのもとに死してこそ人に生まれし甲斐ぞありけり』の辞世の句を残し将兵四千余名と共に壕内で壮烈な最期を遂げ 太平洋戦争中最も悲惨を極めた沖縄戦における海軍部隊の組織的戦闘はここで終わった。鍬やつるはしで掘った壕には司令官室作戦室等があり当時の姿をしのび世界の恒久平和を祈念するにふさわしい戦績である。」

04-0222 展望台

05-0222 ビジターセンター

06-0222 ビジターセンター

07-0222 ビジターセンター

08-0222 資料館

参照(旧海軍司令部壕 [資料館] http://kaigungou.ocvb.or.jp/shiryokan.html

09-0222 資料館

10-0222 資料館

11-0222 資料館

12-0222 資料館

13-0222 壕入口

14-0222 壕内

15-0222 壕内

16-0222 壕内

17-0222 壕内

18-0222 壕内

19-0222 大田司令官の電文

参照(大田司令官の電文 http://kaigungou.ocvb.or.jp/shiryokan.html#denbun

20-0222 壕内

21-0222 壕内

22-0222 壕内

23-0222 壕内

24-0222 壕内

25-0222 下士官室

26-0222 下士官室復元図

27-0222 壕内

28-0222 出撃風景(出口付近)

29-0222 壕内

30-0222 壕内

31-0222 米軍上陸全般図

32-0222 沖縄戦

33-0222 沖縄戦

34-0222 壕出口

35-0222 壕出口

36-0222 壕出口

37-0222

38-0222 月光橋


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