文学・生活・風土

高橋信之(愛媛大学名誉教授 俳人)

今日の俳句/9月14日

2008-09-14 15:19:20 | 今日の俳句
雲の中の月の丸さの明らかに
抽んでて黄のやさしさの女郎花
月見団子重なり合って影がある

今日の俳句/9月8日

2008-09-08 15:27:45 | 今日の俳句
 水煙300号記念大会
秋朝日昇らせ今日のお祝いに
秋風の吾を包みてはほぐれ去る
高き樹あり秋蝉鳴くを止まらせる

今日の俳句/9月7日

2008-09-07 15:33:04 | 今日の俳句
秋海棠の水を含みし淡紅に
秋蝉の声降ってくるメトロの駅
秋朝日昇らせ真っすぐな道

今日の俳句/9月3日

2008-09-03 18:46:27 | 今日の俳句
秋風の吾を包みては解れ去る
湯上りの肌を秋風に曝し歩く
一仕事終えし開放感の秋風に

今日の俳句/8月30日

2008-08-30 17:02:10 | 今日の俳句
秋海棠の水を含みし淡紅に
新蕎麦の香を確かめて今日の楽しみ
秋暑き金曜の子の声高に

●私の文学

2008-08-30 17:01:14 | 今日の俳句
●高橋信之三十句

芽吹く樹へつぎつぎ心遊ばせる
春灯へ丸い口開けている湯呑
さくらさくらさくらさくらてのひらに
天ぷらがからりと五月の音をたてる
梅雨の畳に体重のせて歩く音
花火大輪団地の窓に入り切らず
涼しくて山の樹々ひそひそ語る
こおろぎ鳴く同じ地面にわが両足
秋天をひとつ誰もが頭上にもてり
晴れた日の落葉している木の匂い
十一月の薄日の影を横切った
ここでも子等笑う大晦日の湯舟
屋根雪の屋根をずり落ちつつ光る
枯れてゆく岸に空気のきれいな流れ
咲きはじむ野ばらの白よ旅衣を解く
わが影の付き来て楽し寒き日も
囀りの強き一声して去れる
梅雨の光り一本のわが万年筆
メーデーや家の柱の垂直に
 足摺岬
秋雲つぎつぎ寺の庇より離れ
ネクタイ吊るタンスの中も秋の空気
花苗買うわれに妻子のある生よ
花蜜柑インターネットの静かな夜
雪載せてものの形の明らかに
 鎌倉東慶寺
山門があり冬天のきりりと青
 東京小石川植物園
若葉の空がありその下に仲間といる
 琵琶湖
湖の冬うららかに平らかに
きしきしと鳴らして茄子を買い帰る
枯れてゆく匂いの真っ只中にいる
永き日のここはどこかと振り返る


●私の文学
      高橋信之

 水煙を創刊したのは、私の文学の師である川本臥風先生のお
勧めによるもので、信之文学を育てなさい、ということであっ
た。その深くを理解することもなく、水煙創刊に踏み切ったの
だが、通巻三百号を発行するこの頃になって、ようやく理解出
来るようになり、そして、自分の文学の輪郭がはっきりとした
ものとなった。
 私の俳句には、五七五の定型とは違った、いわゆる破調とい
った句がある。
 まっすぐひび割れし円柱へ秋風
 第一句集「水煙」に収録されている句で、この句の四五五四
のリズムを京都大学の飛鷹節先生に指摘していただいた。
 秋雲つぎつぎ寺の庇より離れ
 足摺岬の金剛福寺を詠んだ句で、第二句集「硝子体」に収録
しているが、角川書店の「名句鑑賞辞典」に採り上げられ、俳
人協会理事長の宮津昭彦氏にその破調を認めていただいた。
 山門の前には太平洋がひらける。寺の庇を離れた白い雲は太
 平洋へ出て行くのであろう。視覚がのびのび働いている句で
 、八・八・三の破調も作者の感興をいきいきと伝えている。
 宮津昭彦氏の指摘にあるように、私の句が「のびのび」と、
そして「いきいき」しているならば、そのことは、その破調と
無縁ではない。
 メーデーや家の柱の垂直に
 この句は、破調ではなく、定型を守っているが、私らしい句
である。現実容認の心境句である。家の柱が垂直なのは、当た
り前だが、鴨居は水平、柱は垂直、ということで、「当たり前
」のことへの驚き、その大切さへの思いが句となった。「メー
デー」には、政治的な思いはなく、社会的な「季感」がある。
 私の句は、破調の「足摺岬」の句にしろ、現実容認の「メー
デー」の句にしろ、作者自身の心の在りどころが問題で、句の
技巧的なところは、作者の考えにはない。
 芽吹く樹へつぎつぎ心遊ばせる
 秋天をひとつ誰もが頭上にもてり
 永き日のここはどこかと振り返る
 子規の言葉に「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写
生して居ると造化の秘密が段々分って来るやうな気がする。(
病淋六尺)」がある。芭蕉に「松の事は松に習ヘ、竹の事は竹
に習ヘ(三冊子)」がある。また、時宗の祖として知られてい
る捨聖一遍上人には、「華の事は華にとヘ、紫雲の事は紫雲に
とヘ、一遍はしらず(一遍上人語録)」がある。いずれも本質
的には、同じであり、それは、結局日本人の古くからある思惟
方法と、全く同じものであると気づく。つまり、『比較思想論
』というユニークで綿密な業績をなしとげだ中村元氏が言って
いる「与えられた現実の容認」ということなのである。ただ、
何を、「与えられた現実」と認識するか、によって、大きな差
異が生じる。
 日本人の「与えられた現実の容認」は、誤解を招いてはなら
ない。自在の境地、「無法の本法」といった「自在」の境地に
つながるものなのである。
 富田溪仙は、「仙の芸術」について次のように記している
。「仙和尚は型の反対に自在がある。森羅万象が日々に新に
又日に新に生れ出て来る。ここが和尚の道力である。画であ
る。書である。詩である。歌である。俳句である。活発に地に
躍動してゐる。従って、これと云う塊が無いから、自も他もな
い。」また、自らの芸術観について、「美術家は単なる技巧家
であってはならない。深い深い宇宙観とか世界観とかができて
こそ芸術観となる。」といっている。仙とか、溪仙とかの芸
術は、その宗教的経験から出て来た宇宙観や世界観を離れては
、存在し得ないのであろう。「無法の本法」といった「自在」
の境地でもある。こういった境地の作家から生まれた俳句が生
き生きとして新鮮なのである。
 私の文学は、こういった心境を理想としている。
 

●高橋信之の講座とコラム●

2008-08-30 16:45:24 | Weblog
俳句講座/入門から上級まで

日曜俳句コラム/高橋信之

句集の序/高橋信之

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今日の俳句/8月15日

2008-08-15 07:41:58 | 今日の俳句
盂蘭盆の雲の白さよ浜の町
銃持ちし少年の日の八月よ
昇りゆく位置の確かさ盆の月

今日の俳句/8月10日

2008-08-10 07:44:09 | 今日の俳句
七夕の暁けゆく空のみずみずし
暁けてゆく時の速さと鰯雲
かなかなも混じり朝蝉鳴かす山

今日の俳句/7月2日

2008-07-02 07:34:10 | 今日の俳句
地下鉄新駅その裏の夏木の勢い
早朝の一歩一歩に涼風生まれ
七月の暁けゆく空を広いと思い

今日の俳句/7月1日

2008-07-01 17:16:45 | 今日の俳句
 日吉本町金蔵寺
葉桜の幹くろぐろと寺への道
芭蕉の葉青あお透けて夕陽の刻
葉桜のふところ深し風を生む
この蟻のこの蟻の影急ぎゆく
葉桜の葉の風に揺れすべてが揺れ

今日の俳句/6月30日

2008-06-30 16:55:53 | 今日の俳句
梅雨空の切れ目があって陽がきらり
梅雨の土ふわり山への入り口は
夏シャツの袖まくりして風を通す
梅雨空の少し明るし樹が匂う

今日の俳句/6月28日

2008-06-30 16:53:40 | 今日の俳句
梅雨晴れの今朝空の青雲の白
紫蘇の葉の水吸い上げて濃き色に
胡瓜苗育てて朝の喜びに
早咲きのコスモス野菜畑を囲み
立葵白をいくつもほがらかに

今日の俳句/6月27日

2008-06-27 06:30:06 | 今日の俳句
夏至過ぎし夾竹桃よ午前四時
夾竹桃の白の溢るる午前四時

今日の俳句/5月21日

2008-05-21 09:17:07 | 今日の俳句
 横浜日吉本町・鯛ヶ崎公園
庭木みな若葉となりて風の中
石崖に蔦の若葉をあおあお這わす
薯の花咲かせて丘に日がさんさん
薯太る丘の畑の楽しさよ
丘の上平らに地下の薯太る
竹落葉過去と未来を重ね降る
若葉の森その上の空真青
松の芯風吹く中に真っすぐに
じゃが芋の花咲く畝の幾筋も
若竹のひかりの奥に水音す
花多き五月の街の楽しさよ
若葉風子ら遊ぶ声運び来し
卯の花の今満開に風の丘