連載!海外勤務の落とし穴

現地法人の社長になったら必読、「野呂利 歩、アメリカを行く」。どつぼに嵌った駐在員の悪戦苦闘の物語。

野呂利 歩 奮戦記(第七章) 採用(19)魔の金曜日

2019-02-27 13:39:31 | 連載、海外ビジネス
アメリカ人従業員にとって、魔の金曜日というのがある。解雇の通告は圧倒的にきりの良い金曜日が多いからだ。これを知らずに、不用意にした発言の一言でアメリカ人をその日眠れなくすること請け合いだ。

野呂利氏は、ある木曜日の夕方、帰るジョンが、部屋の前を通りかかったので、明朝金曜日にミーティングをしようと思い立ち、こう切り出した。「ジョン、明日はオフィスにいるね。朝9時から君とミーティングしようと思うので、そのつもりで」。ジョンが「イエス・サー。ところで準備するものは何かあるか」と聞くと、野呂利氏の答えは「いや、これといって特にないのだが、ちょっと君と話がしたくて」。このところ、ジョンとはあまり話すチャンスが無く、意思の疎通を欠いてはいけない、という軽い気持ちだった。 翌朝、会議室で野呂利氏はジョンを待っていた。9時にジョンが入ってきたが、顔が強張っていて、いつもの陽気さが無い。

「さて、ジョン」と野呂利氏。ここでジョンは次なる野呂利氏の言葉が何か、さぞかし緊張したことだろう。「最近の市況と顧客動向について聞いておきたい」。思わず、ジョンから、「オー」といかにもホッとしたかの大きなため息のような声が漏れた。ジョンのあまりに大きなジェスチャーに今度は野呂利氏がいささか驚いた。「ジョン、どうした、何かあったのか?」。

前日の木曜日の帰り際に明日のミーティングを告げられ、特に準備する物もないと聞けば、明日の花金は魔の金曜日に変わり、エライこっちゃ、となる。ジョンにとっては、帰路の運転も殆どパニック状態。仕事でミスがあったか、いや思い浮かばない。それなら他にどんな理由が考えられるか。いくら考えても出て来ず、結局その晩は一睡も出来なかったと言う。

日本では、上司が、「君、久しぶりに雑談したいが、明日は一時間ほど時間あるかい」と特定テーマなしで言ってきても、部下は、「仕事で何か聞きたいか、探りをいれたいのだな」と了解する。そこには、「解雇」ということが通常では入り込まないことを前提としているからである。
日頃から、レイオフや解雇が付き纏うアメリカでは、ちょっとしたショートミーティングを持つ場合でも、キチンと話すテーマを相手に明示しておく必要がある。具体的に、「コレコレの件で話したい」と伝えなければならない。舌たらずでも、相手が理解してくれる日本、言葉や文字にして初めて伝えられるアメリカ。この違いを痛感する。

野呂利 歩 奮戦記(第七章) 採用(18)日本人採用と社長の落とし穴

2018-10-20 13:01:59 | 連載、海外ビジネス
採用はHR及びそのマネジャーが取り仕切るのが常識であるが、日本人の採用となると、何故か組織を無視して、日本人トップが勝手な行動を取り、物議をかもす事が多い。日本人の事は日本人が一番良く分かっているからアメリカ人には任せられない、とばかり、その時だけは異様に張り切るのだが、後でしっぺ返しを受けることになりかねない。

中西部の会社が、日本人の営業を採用することにした。日本人の採用だからと、社長自ら日系人材会社に人探しを依頼。候補者を何人か面接し、三郎君の採用を決定した。面接まで全て社長が段取りを付け、面接は日本人駐在員のみで行った。決定事項だけは伝えておこうと、三郎君のレジュメと、給与額のみをHRマネジャーに告げた。マネジャーは、一瞬むっとしたが、気を静めて、「面接レポートを欲しいのだが」と聞いたが、社長は、「日本人同士だったので、特に記録は取らなかった。仕事は出来そうだし、ハキハキしているので合格点だ」と言うだけだった。
仕事を外された形のマネジャーは、それだけでも内心怒り心頭であったが、面接の報告書として人物評価の定型書類の提出を社内ルールとして義務付けているにも関らず、社長自らそれを破るとはけしからん、と憤懣やるかたない思いであった。

一方、採用された三郎君は、面接では一度もマネジャーが顔を見せず、採用後も直接話をしてこないのを不思議に思ったが、直接の上司が駐在員の副社長なので、気に留めなかった。営業に慣れた頃、社長は、三郎君の仕事に、購買業務を加える事にした。報告義務は従来通り日本人副社長宛としたが、組織上は、オペレーション部門のアメリカ人マネジャーの下で、アシスタント・マネジャーとした。通常、このような組織変更や職務変更が有れば、HRで職務記述書を改定するが、三郎君の職務記述書は入社した時も無く、今回も作られる事は無かった。

二年経過した頃、社長は、三郎君をマネジャーにしても良いだろうと判断、現在の部下二人を付けてオペレーション部門から独立させ、営業購買課を新設、彼をマネジャーにした。今回もHRマネジャーは、組織改変と三郎君の昇格人事には、一切タッチせず、又する積りも全く無かった。
 この頃から、景気が悪化の一途を辿り、各業界でレイオフが始まり、三郎君の会社も例外ではなくなった。そして、誠にタイミング悪く、この時期に社長が日本に帰国となった事から、三郎君の悲劇が始まるのである。

レイオフ計画は、社長が帰任し不在となったがHRマネジャー主導で着々と進んでいた。三郎君は知らなかったが、対象者には、彼の部下が入っていた。HRマネジャーは、新社長着任を待ってレイオフ計画を説明、承認を求めた。着任早々、細かい事情が皆目分からない社長は、良きに計らえ、とばかり、あっさり計画を承認、直ちに実行に移された。突然二人の部下を失い、独りで、営業と諸々の購買業務をやる事になった三郎君だが、所詮無理な話で、まともに仕事が出来る状況ではない。部下を確保する為に、日本人副社長に談判するも、社長決定事項だからと、埒が明かない。HRマネジャーも、社長決定済みを理由に、聞く耳持たず。最後に社長に直談判したが、着任早々にアメリカ人と波風立てたくない思いが先行、当面我慢してくれの一点張り。結局駐在員の協力を得られず、責任ある仕事は出来ないと判断、予てから進めていた転職先を決め、辞表を出した。

このエピソードも日本人トップがしばしば陥る落とし穴である。HR担当やマネジャーが居ない小さな会社なら頻繁に起こってもおかしくないかも知れないが、HRマネジャーが居る会社には起こらない、と言うのは明らかに間違いであって、百人、二百人の会社でも簡単に起こってしまう現実がある。日本人も日本人だが、暴走を阻止出来ないHRマネジャーはもっと問題だ、と言う意見もないわけではないが、絶対権力を持っている日本人にどれだけ体を張って抵抗するアメリカ人が居るだろうか。これは間違いなく日本人のルール違反の方が問題で、HRは間違いなく、日本人の暴走事実を克明に記録し、離職時に有利に交渉する為の大切な書類として、密かにファイルするであろう。

どうしても日本人主導でやりたい場合は、それなりのルールを敷くなり、説明をするなりして、HRマネジャーと事前に協議しておくべきで、これさえ実行していれば、マネジャーも臍を曲げる事は無い。心すべき事である。

野呂利 歩 奮戦記(第七章) 採用(17)日本人採用と残業

2018-08-20 08:11:51 | 連載、海外ビジネス
日系企業にとっては、現地で生活している所謂バイリンガルの日本人は便利だ。必ずどの日系企業にもそういう方が活躍しており、頼りになる存在である。しかし、見えにくい問題を起こしているのも事実で、原因は殆ど企業、即ち雇用者側に起因する。

根本的な問題は、残業当たり前の日本で長く働いてきた者がアメリカでマネジメントする事にある。アメリカ人は肌や言葉が違うから日頃から別人だと思って意識するのだが、現地採用の日本人は顔も言葉も同じなので、ともすれば自分達駐在員と同じ様に思い込み、彼らに対して配慮すべき事を怠ってしまう。そして問題が起こるのである。

アメリカの大学を出た太郎君は、アメリカ企業に4年勤めたあと、日系企業に転職。出来事は初日に起こった。5時になり、帰りかけると、社長が「君、もう帰るの、未だ仕事有るんじゃない?」。その側で、帰るアメリカ人にはニコニコ顔で「シーユートゥモロー(又明日ね)」とやっている。即座に他の3人の現地採用日本人を見ると、まだ黙々と仕事をしているではないか。ここは様子見と決め込んで、残業することにしたが、社長が帰ったら、途端に他の日本人も帰り始めた。昔どこかで見たような光景である。翌日のランチ時に現地採用日本人に聞くと、この会社は社長より早く帰ると文句が出るという。

典型的コテコテ日本企業が持つ昔からの体質をアメリカでも引きずっているケースだが決して珍しい事ではない。アメリカ人には気を遣い愛想がいいが、同じ顔の日本人だと、気を遣うどころか、日本に居るのと同じ感覚で酷使したりもする。そこまでひどくはないとしても、つい、同じ日本人のよしみという事で、担当ではない仕事まで頼む。日本人の性格からすれば、嫌とは言えないからやってしまう。これに慣れてくると、当たり前のように仕事が振られてくる。職務記述書には書かれていない事がドンドン増え、会社はそれを当然と思い込み、いつの間にか日常となって、問題は解消したかに見える。そして、ある日、この日本人はなんの前触れも無く突然辞めていくのである。慌てるのは会社だ。同じ日本人なのに現地の日本人は冷たい、事情があるなら相談してくれたらいいのに、と暢気なものだ。漸く理由を聞き出して愕然とし、慌てて引きとめに入り、給与アップ等を提案しても、本人は既に次の転職先を決めているから、後の祭りとなる。太郎君は、もう日系企業はこりごりだと、一ヵ月後オレゴンのアメリカの会社に職を得て旅立って行った。

現地採用の日本人は、駐在員とアメリカ人の間に挟まり悶々としているのが実態だ。社長はそこをキチンと見据えてマネジメントしないと、辞めなくても良い人材まで放り出す事になる。日本人のバイリンガルは貴重な存在だけに、日系企業に失望感を抱かせてしまうとは、もったいない話である。

野呂利 歩 奮戦記(第七章) 採用(16)日本人現地採用とビザ

2018-07-19 13:35:42 | 連載、海外ビジネス
駐在員は必ず就労ビザを取得してから赴任するので、ビザでトラブルが発生する事は滅多にないが現地採用の日本人には特定の就労ビザが必要となる。最もポピュラーなのがHビザと言われるもの。毎年、ビザの条件が変わるので、注意を要するが、基礎知識が無かった為に、企業も候補者も痛い目に遭う
ことがある。

野呂利氏は、日本人を現地採用することにし、早速リクルーターを通じ、人集めにかかった。ポジションはセールス。応募してきた候補者を数人面接した結果、K君を気に入った。まず口上手で、営業にはもってこいのタイプで、フットワークも良さそうだ。何より性格が明るい。他の駐在員にも評価させたところ全員ゴーサインなので、内定をして、諸手続きを始めた。ビザを会社でサポートする必要があるので、早速移民専門弁護士にコンタクトしたが、思わぬ障害となってしまった。候補者の大学での専攻が犯罪法学。ビザの基本は、学校の専攻と職務内容が一致していなければならないから、犯罪法学を学んだ者が、何故セールスをやるのか、一致しないのである。彼がマーケティングかそれに類する専攻を取っていたら問題無かったのだが、結局ビザ申請を諦めざるを得なかった。慌てて断った他の候補者に連絡を取ったが、既に他社に決まってしまった。野呂利氏は思わず呟いた。「アメリカの人事は大変だ」。

神戸出身のUさんは日本から二年制大学に留学して好きなデザインの勉強を無事卒業した。アメリカで就職しようと思ったが、なかなか就職先が無いので、思い切って一般職種で働くことを決め、日系の会社に応募した。ポジションは通訳。会社としては、何とかこのUさんに来て欲しいが、二年制卒であること、専攻がデザインであること、がビザ取得を阻んだ。会社としては、現場通訳がいないので、英語の出来ない日本人駐在員とアメリカ人の間での仕事の意思疎通に大きな問題を抱えており、一刻も早く採用したい状況だった。当然雇ってもらえると思っていたUさんは、びっくり仰天してしまった。ビザが障害になるとは考えもしなかったのだ。Uさんにとって一つだけ手が有ったのは、卒業後一年間に限って働ける卒業学生特権のビザ(オプショナル・プラクティカル・トレーニング)だった。早速一年だけ採用してくれるよう談判し、双方合意した。一年後、Uさんは、再び大学に戻り、今度はビザ取得の汎用性の広い、ビジネスを専攻することに決めた。

企業も候補者も、ビザの情報には疎い。企業側は、採用のタイミングを逃し、時間と金を浪費してしまう。候補者は、大学の専攻とビザの内容を理解していないとトラブルに巻き込まれ、最悪は、日本へ帰らなければならない事態に遭遇する。折角、夢を追いかけてきたアメリカに失望するという皮肉な結果になる。

野呂利 歩 奮戦記(第七章) 採用(15)縁故採用

2018-04-15 16:29:22 | 連載、海外ビジネス
整備された従業員ハンドブックのある会社は、そのルールの中に、縁故採用の可否を設定している。マネジメントのトラブルリスクを避ける意味では、縁故採用は極力しないほうが良い。

野呂利氏は、会社立ち上げで、まず生産現場のマネジャーを採用した。採用したビルは、軍隊の経験もある為か、指示もテキパキとしており、人物も良く、仕事も熱心で、まずまずであった。次第に生産量が増え、一年も経たない内に増員する状況となり、現場のスーパーバイザーも必要となった。リクルーターに人材探しを頼んだが、中々適任者が見つからない。その様なタイミングに、ビルが「俺の息子がその仕事をこなせると思うのでどうか」と提案してきた。野呂利も、マネジャーの息子なら、問題ないだろう、と軽く考え、採用する事にした。そして、この考えは正しく軽い考えであった。

ビルを信じて暫く様子を見ていたが、どうも、不肖の息子のようである。集中力に欠け、仕事に穴を開ける事も多く、その都度、親父であるビルがフォローしている有様だった。非情に徹して、解雇したい所だが、マネジャーの息子ともなると、躊躇してしまう。悶々とするうちに、数ヶ月経った頃、出来の悪い息子をめぐって現場の連中がザワつき始めた。野呂利氏も、そろそろ限界かと思っていたら、ビルが息子を辞めさせると言ってきた。部下達がビルから離れ始めた為、自分の地位が危なくなると感じ、手を打ったのである。これで一件落着すれば良かったが、結局ビルは周囲の信頼感を回復することが出来ず、又、それを放置した社長の野呂利氏にも風当たりがきつくなる、と言うダブルパンチになってしまった。その後、ビルは転職していった。折角会社としても落ち着いた所で、再びマネジャーとスーパーバイザーの二人を探す羽目になり、時間と余分な経費を使うと言う残念な結果に終わった。

日本人がアメリカで企業マネジメントを行う場合、最初から相当なハンディを負ってスタートすることになるので、縁故採用のようなトラブルの元は出来るだけ遠ざけておく必要がある。