耳が不自由なママが3人育児日記

ただ今、健常児(小2)&全盲児(年長組)&難聴児(1歳)の子育て奮闘中!

自己紹介

2005-10-01 | ママ
リサ&ツバサ&マサトのママのことノリコです。1976年11月7日福岡県M市に生まれ、デフファミリーで(デフファミリーの意味は、ろうの親のもとで生まれ育ったろう者である)高校2年までずっとM市で育ち、高3の時、両親が離婚した為、母親と弟と福岡市H区へ転居。2004年新正月から愛知県へ転居し現在5人暮らしております。
幼稚部は聾学校に通園し、小学校&中学校は普通学校へ通う。母親は耳が不自由でも普通学校へ頑張って行けるはず。と気持ちが強いで教育委員会が認めて貰い、頑張って普通学校に通った。高校は聾学校へ通う。高校卒業後、銀行に3年勤めて辞職。
旦那は高校の同級生で高2年から(高1の入学してすぐ交際したが2週間に破局=笑)約3年位に交際して社会人になってからしばらくしてから合わなく破局し、前夫と出会い20歳で結婚し二人の子供、1998年8月18日愛娘=リサ、2000年12月21日愛息子=ツバサを産まれる。5年目に離婚(当時=25歳、リサ3歳、ツバサ1歳)。二人の子供を引き取り母親と弟と(元々ずっと一緒に暮らしてた)暮らす。1年半後、同窓会の飲み会で旦那と久々再会し、再交際し半年後に再婚(当時=27歳、リサ5歳、ツバサ3歳)。旦那は愛知県で勤めている為、転居して結婚1年後になる前に2004年12月9日愛息子=マサトを産まれる。
色々あり過ぎた。リサは健常者。ツバサは生まれつきで全盲=視神経がやや曲がっているだけで見えないと言う。眼球は異常なしで意味不明です。生後3カ月頃に視線に合わないし後追いもせず心配で病院に通い、11カ月に入院して検査した所で全盲と言う事に分かり(なんとなく分かったけど)さずがショックになったな。身体障害者でショックした訳ではない。もし耳が不自由なら別に気にしない。私は聴覚障害者で耳が聞こえないから目で見て聞く。視覚障害者は目が見えないから耳で見て聞く。私とツバサとは必要な分が逆でコミュニケーションの問題でこれからどうやって行くかに不安でたまらなく、私が必要な目がツバサがないなんでそれがショックでした。くよくよするより、前向きに育て行こう。育つのは難しいなら施設とかあずかったらどうとか言われたが、私はツバサが母親からの愛情が知らないを育ていくのは大抵抗である。私は母親からの愛情がたっぷり貰ったから、私も自分の子供にたっぷりに愛情を育てあげたいと気持ちが強いからハンディに乗り越え、子育てを頑張って行こうと決心した。今になってもやはりコミュニケーションが大変難しい。マサトは生まれつきで耳が不自由である。ろうの親で子供が健常者、全盲、聾、それぞれ育ていくのは私だけだろうか・・・旦那は日本の中に誰かにいるはず、世界にもどこかにいるだろうって。