なまけものの鏡

「フェミニズム」これを正しい知識を得て、男性視点から見つめなおしてみよう、という趣旨のブログです。
 

男女同権同義務ということ

2016年05月16日 07時00分03秒 | 男女同権とは

まずソース元から

https://ameblo.jp/sakurany/entry-10304228046.html

(元記事が消えたので、別の記事をご紹介します)
抜粋すると

ある地上空港職員の話によると、日本人の特に若い女性(たまに中年の女性も)に、”譲らない精神”を持った方が多いそうだ。長い時間待たされて、やっと自分が次だという時に、”車椅子の方を先に行かせてあげて下さい”と言われると”え~!私の後じゃいけないんですかぁ~?”とか”信じられない!ちゃんと並んで待っていたのにぃ~!”とか”私だって疲れているのにぃ~!”とかぼやいて、渋い顔して、なかなか素直には譲ってくれないという
(中略)
その地上職員の話では、今までに、他にフィリピンの若い女性が1人、”譲らない精神”を披露しただけで、 後はすべて、その”譲らない精神”を披露してがっかりさせたのは、 日本人女性だったという。
(引用終わり)

公共の場所で「譲らない」精神というのはどういうものか・・

ようするに、これは「公共」という意味が分かっていないということであり「私」が常に優先されてしかるべき、という考え方である。ひと言でいえば「わがまま」なのであるが、これを別の視点から見れば「社会において果たすべき義務を果たしていない」ということである。社会はもちろん権利を主張してもいいのだが、並ぶ、という行為ひとつでも権利がぶつかることもある。そのとき「誰の権利を優先するのが正しいか」と考え実行することが、権利の裏にある義務、であって(残念ながら)一部の日本人女性はそれを実行できない、ということである。

問題なのは、それがほとんど「日本人女性だけである」ということ。日本人男性は問題を起こしていない(少なくとも男性も問題になるなら、日本人女性とは書かれないだろう)ということを考えれば、日本人女性特有の「権利意識(義務意識)」が透けて見えてくる。

つまり「権利は主張するが義務を果たすべきとは考えていない」ということだろう。

もちろん、女性すべてがそうだ、とは言わない。しかし、日本における男女差別の問題を考えるには「なぜ日本人女性だけが義務意識に欠けるのか」を考える必要があるだろう。

今までの私の論からいえば「日本の女性は権利の上に胡坐をかいている」ということであり、男性と同等に義務を果たすべきという意識が薄い、ということである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 忘備録 | トップ | 保護と自由 »

コメントを投稿

男女同権とは」カテゴリの最新記事