お彼岸

2016-09-21 23:25:56 | 日々の流れ

声がどうにもこうにもひどいので

昨日友達にも病院へ行って薬もらって早く治した方がいいと言われてたので

病院へ

昨日の疲れを引きずっていたけれど、今日は雨が降っていないし

明日の天気も怪しいので

気になっていたお墓へ行ってきました。

枯れて悲惨な姿になっていたお花の掃除をして

新しいお花を供えてやっと自分の気持ちが落ち着きました

今年から父と母

二人が眠るお墓です

久しぶりの再会を楽しんでますか!?父さん、母さん

 


トーテム

2016-09-21 22:01:42 | お出かけ

今年の初めに友達と購入してたトーテムのチケット

(あぁこの頃はまだ母が私の隣にいてくれてたなぁ・・いかんいかん又後ろ向きな回想)

昨日20日は台風とガチンコ勝負の日となってしまった

どうしてよりによってこの日なんだよ!と友達とラインでぼやきながらも公演が行われる以上

行かねば!と

午前中にたった1本運行された特急列車にとりあえず飛び乗った

途中遅れながらも無事友達との再会場所にたどりついた(ホッ~~)

来れたねぇ(*^^)v!と3人で喜び合った

雨のなか飛ばされそうになる傘を必死で握りしめて会場へ

トーテムは良かった。公演中は別世界。その世界を堪能して外へ出ると

4時からの公演だったのでもうすっかり暗くなっていたが雨も上がり風もなく

なんとも穏やかな天気となっていた。

でもでも悪夢はここから

PM8時以降に運行が再開した特急に乗れてほっとした途端

止まる止まる、信号で止まり他の電車との調整で止まり

止まったら、もうすぐ発車しますと言うアナウンスが繰り返されるだけで

ちっとも動かない>_<

結局定刻だとPM10時半過ぎには着く予定が、着いたのがPM11時55分

には午前様

おまけにこの日の2日ほど前から喉の痛みを感じていた私は昨日20日ちょっとかすれ声だった

今日起きたら見事にガラガラ声になっていた

昨日の友達との再会で夢中でしたお喋りと長時間の列車の疲れが原因

声を出すのにこんなにもエネルギーがいるとは・・・・

 あっチャーのことも書かなくっちゃ

台風の日お留守番を頼むチャーのために大好物のウェットをあげました

フムフムパクパクとすごい勢いで完食

予想外の遅い帰宅となった私

チャーチャーと呼んでもシーン

急いで2階に行くとこの頃のお気に入りのソファーで爆睡中

カリカリのフードも空っぽ、ウ●チもころころ、おしっこもたっぷり(笑)

チャーには台風関係なかったみたいだね、よかったよかった

留守番ありがとうね


走りきりました

2016-09-04 23:07:58 | 

8月13日のAM1時24分、母さん父のもとへ旅立ちました。

11日昼食介助のときに吐血をして

それでも機嫌は良かったので祭日でもあり様子をみてました

でも夕方施設の車で、車いすのまま乗って総合病院へ

そしてそのまま入院

その夜また吐血、でもやっぱりその後苦しそうな様子もなく

寝息を立ててすやすや

深夜に高速をとばして病院に駆け付けた妹と

母を看病しながら二人で少しほっとしていた

翌日もあくびをしたり頭をぽりぽり掻いたりと普段通りの様子の母

病院の先生も吐血の色がかなり黒いので多分今まで溜まっていたのが

一気に出てきて新たな出血ではないと思いますと言ってくれたので

これを私は良い方に解釈してまたまたほっとしていた

夜自宅に帰るのもしんどいしこのまま今日も泊まろうかと軽い気持ちで

妹と二人仮眠室でうとうとしてたら

起こされ病室に駆け込むと2時間ほど前とは全く違った母の姿が・・・

苦しそうな息遣いの母

「大丈夫、大丈夫、一人じゃないよ。そばに居てるから」

「お母ちゃん大好き、大好き」

と二人で20分ほど涙声を張り上げた

「いつもいつも一緒に居てくれてありがとう」

母の最期に傍に居られたこと

そして一人ではなく妹と一緒だったこと、良かった

でも何が起こったのか訳のわからない2日間だった

2013年の年末

肺に腫瘍らしきものがあることを突然告げられた。。。。

でも高齢で認知症もあるので詳しい検査はしなかった

肺がん=咳 と思っていた私はそれ以来母の咳におびえ続けた

でもたいした咳もなく日々は流れて

もしかして肺がんではなかったのかもと思い始めていた今年

5月に体調を崩し、その後元気になったようにみえたが

7月は良い時悪い時と不安な毎日

検査で肺にはやはり魔物が住んでいてそれが大きくなっていることを

聞かされていたのである程度は覚悟していた

でも早くて秋、うまくいくと今年いっぱいは母と一緒に居られるかもしれないと思っていた

母が認知症になって

母が母でなくなっていく日々のなかで母も私ももがき苦しみ悲しみ

そしてお互い傷つけあった

でも段々と私の中で母への愛しさが大きくなっていき

ここ数年は愛しさしかなかった

認知症になってしまったけれど、母は自分の人生に負けないで堂々と最後まで走り切った

私はそう確信しています

今は生活の中で突然涙が流れてきたり

買い物に出かけおむつのコーナーの前を通りかかっただけで涙がでたり

まだまだ日にちが必要な弱虫の私ですが

私も自分の人生のゴールテープを母のように堂々と切れるよう

頑張って日々を重ねていきたい