私のひとりごと

私は自分の思うまま気ままな生活をおくっています。

飯田大火 2

2007-03-11 11:53:00 | Weblog
  非難する途中で、学生さんが2人バケツを持ってくれましたが、落としてしま  いました。 戸板に、怪我人が運ばれていきました。
  次の日は雪  その後追手町の知人宅、追手町小学校の講堂に非難し、現在の
  常盤町に、常盤寮が出き焼け出された人たちが住んでいました。小学校入学も
  そこからいきました。入学の朝母が私を力いっぱい抱きしめ大きくなったなー  その温もりが今よみがえって来ました。あの時母の目から涙がこぼれたような
  記憶があります。無一文で、全部焼けてしまい、まだ子供は、小さい今母の
  苦労を思うと頭が下がります。母の愛情いっぱい受けて今は姉妹仲良く、それ  ぞれの生活を楽しんでいます。大火から60年飯田は変わりました。
  火事さえなければ飯田を離れなくても良かった人たちも、居ることでしょう。
  
  

飯田大火 1

2007-03-11 11:26:59 | Weblog
 昨日伊那史学会で発行している飯田大火60周年特集を読みました。

 飯田の大火について思い出が寄せられていました。

 私も火事の記憶をたどってみました。今の常盤町のバスセンターに、映画館があ
 
 りました。

 すぐ下の妹とそこで遊んでいて、半鐘の音にびっくり家に飛んで

 いきました。火の回りのことは覚えがないけれど、母が一番下の子を、おぶい

 右、左に私と、もう一人の妹そしてバケツを下げていたような気がします。

 バケツの中入っていたものは記憶がないですが谷川線の知人の家に非難しました

長島さん

2007-03-08 10:30:15 | Weblog
 今朝のテレビで長島巨人名誉監督が出ていました。

 少ししゃべり方はぎこちなかったけど、元気な姿に、感動しました。

 また勝つ、勝つ、勝つ三回大きな声で、選手に、エールを。送っていました。

 後ろに並んでいた選手の(*^^)v緊張していました。

 きっと今年の巨人軍はいい成績を残すことでしょう

 フレーフレー巨人

金毘羅様へ

2007-03-06 09:54:23 | Weblog
  高松の有名な金毘羅様へいってきました。

  年のことも考えて、タクシーでいけるところまで、

  いよいよ魔の階段登りです。自分のペースで無理をせず一段一段

  ゆっくりと登りました。 本宮では讃岐冨士の、雄大な姿に、感激、

  瀬戸大橋もかなたに見ることが出来ました。

  行きは良い良い帰りは怖いと 歌にあるように降りる石段は大変です。

  でも思ったよりもえらくなく足も筋肉痛にならずすみました。

  まだまだ体力があるナーと感じた私でした。