気分はいつも、私次第

マーリオン・ザームエルという名の少女は、確かにいた

           「暗闇の中で
            マーリオン・ザームエルの短い生涯1931-1943」
                ゲッツ・アリー



 マーリオン・ザームエル賞というものがある。これは、ザインシュ夫妻創設の想起基金が主催する賞である。ホロコーストを始め、ナチ時代にドイツ人が行った人道に対する罪を記憶にとどめようとする活動や研究に与えられるもの、だそうだ。著者ゲッツ・アリーはこの賞で表彰されると言う連絡を受けた。その時彼が考えたのは「マーリオン・ザームエルとは一体誰なんだろう?」と言う率直&当然の疑問であった。ザームエル夫妻は、この賞によって、殺されたユダヤ系の子ども達を記憶にとどめようとし、その為賞に冠する子どもの名前を収容所に移送されたドイツ系ユダヤ人を追悼する本の中から、偶然に任せて選び出したのだ。アリーは、自らの疑問を解くため、そして賞の授与式でこの子どものスピーチをしようと決意し、マーリオン・ザームエルを捜す行動を開始した。この本は、アリーがマーリオンを捜す過程を記している。

 とは言うもの、難航と言うか、広範囲に散らばるパズルの断片を拾い集め、集めた部品で、何とか全体を完成しようとする作業である。マーリオン一家は、両親と彼女の3人。地方の田舎町から大都市ベルリンに移住してきた。マーリオン一族は田舎町で商店を営んでおり、裕福とは言えないが、中産階級の暮らし、その人柄から店は繁盛し、地域住民の信頼も厚く、普通の平穏で幸せな生活があったように推定される。しかし、そんな田舎町でもユダヤ人商店のボイコットが始まり、嫌がらせ等の拡大から、一族はそれぞれ大都市へ移住したようだ。昨日まで交流のあった人達からの冷たい仕打ちに耐えられなく、すぐ人物を特定できる田舎よりも、人ごみに隠れて暮らせる都会を選ぶユダヤ人が、数多く居た時代だ。マーリオン一家もベルリンへ出たけれども、暮らしも楽ではなく、その後両親は強制労働者として、別々の工場へ働くようになった。マーリオン自身も小学校に入学できたが、直ぐ退学。ユダヤ人学校へと通うようになる。アリーは様々は公的資料に目を通すと共に、新聞広告で呼びかけたりして、マーリオンを捜し求める。マーリオンの一族で生き残りの女性から、マーリオンが写っている一族の写真を得たり、また呼びかけに同級生だったと言う女性からクラス写真を得たり・・・このお陰で、マーリオンは顔を得、名前だけの存在ではなく、1人の息する少女として我々の前に出てきてくれる。
 
 アリーは、マーリオン捜しを主に置きながら、様々な当時を見せてくれる。マーリオンの生まれた田舎町の様子から当時のユダヤ人への弾圧の様子。思い出を語ってもらいながら、語り手当人の戦争の体験など、小さなエピソードではあるが、ハッとする内容があり、読んでいて緊張感が走るシーンが幾度もあった。

 その中で、最も胸に刻まれたのは、公的文章の数々である。例えば・・・マーリオンの父、エルンスト・ザームエルが強制労働者としてドイツ企業で労働している。安い安い賃金が支払われる。その中から当然として税金(社会保険料)が差し引かれる。雇用者は雇用者負担分の社会保険料を支払っている。しかし、ユダヤ人には児童手当の支給は無く、疾病保険や社会保険給付を受ける権利は全く認められていなかった。つまり・・・ユダヤ人の賃金から引いた税金は。多数派のドイツ人住民の生活の安定の為に使われていた、と言う事である。その後、マーリオン一家は強制輸送の対象となり、列車の乗り込む事になるのだが・・・では居住はどうなるのか?先ず家具や再び使用できそうなものは、役人が査定し、特別に認可されている古物商に渡される。それらは、空襲等で家財道具をなくしたドイツ人達がクーポン券と引き換えに得ることができるシステムになっている。またブルジョアのユダヤ人が所有していた高価な品々は、骨董屋等の手に渡り(国が売り?)、そこでドイツ市民達に販売される。このように商品不足による市民の不満をクーポン券で解消し、また骨董屋に売り飛ばす事で、国庫に金が入る等次第になっている。また輸送された後、家財道具の査定等で、実際には住居は使用できない状態だ。それに輸送されたユダヤ人が支払わなかった(支払えなかった?)家賃ははどうなるのか?家主はこう言う保証を当局にシッカリ申し出ている。またユダヤ人が強制輸送された後の、未払い賃金はどうするのか?いやその分の税金はどうなるのか?等々・・・こう言うやり取りが、公的文章で残っているのだ。当時のユダヤ人の「東方への移送」がゴロツキ共のその場の思いつきで暴力的に行われたのではなく(行われた地域もあるが))、国家としての施策であり、役人が公的文書を持ち、規定されている行動をしていると言う、極めて細部にまで仕組まれた仕組みである事が分かってくる。ナチスの蛮行で、何が恐ろしいかといって、私はこの部分が一番恐怖を感じる。当時のドイツでは、これらの行動は法で定められた合法的活動であり、国家事業である。そして公務員等のインテリ役人達が粛々と仕事を片付けている・・・。残虐行為にどうしても視点が集まりがちだが、こう言う恐怖もあることを知ってほしいと思う。

 マーリオンの両親は、それぞれが働いている工場で別々に捕まり、輸送されている。マーリオンは多分自宅で1人捕まったと思われる。彼女はたった1人で集合場所で待っていたのだろうか。しかし、またもや文章を確認すると、マーリオンは予定されていた輸送列車に乗らず、翌日の列車に乗り込んである。これはマーリオン自身の財産申告書(?)を父エルンストが書かねばならず、その為、マーリオンは翌日輸送予定であった父と合流できた、と推測されるのだ。そして2人は他の大勢と共にアウシュヴィッツへ・・・多分マーリオンは即抹殺されと推測される。マーリオンの資料はもう残されていない。このことはアウュヴィッツでは即殺を意味するからだ。父エルンストはほんの僅かな間、労働者として生き残っていた事が文章に残っている。これでマーリオンの物語は終わったのだ。

 この本は私はとても惹かれるものを感じている。訳者あとがきにもあるように、アリーの試みはとても新しいものだからだ。ホロコーストについて書かれた本は大きく2つに分けられると考えられる。個人が記したものと、歴史家や研究者が著したもの。前者は個人の受けた反ユダヤ主義や収容所等の体験等を主に書かれており、個人的体験からホロコーストを伝えてくれるが、国家として、全体として絶滅過程等がどう機能したのか、分かってこない。後者はその反対の事が言えるだおる。アリーのこの本は、マーリオンという少女を、この2つの面から見ようと試みている。それは残されている公的文章が数多く掲載されている事からも分かる。マーリオン一家とはじめ、数え切れないほど多くの家族が、こう言う風に追い詰められていく過程が分かってくる。全体のシステムが稼動し、その中で1人の少女が消え去っていくのが悲しいけれど、分かってくる。

 マーリオンの同級生が、マーリオンとの個人的なエピソードを話してくれる。それは決して楽しい話題ではない。ユダヤ人の悲しみ苦しみを伝えるような、どちらかと言うと忘れ去りたいエピソードだ。しかし、この出来事が、マーリオンに声も与えてくれた。マーリオンは、数百万単位の犠牲者の1人である。そしてマーリオン・ザームエルという両親に愛され、未来が広がっていた1人の少女でもあったのだ。この本の表紙に、マーリオンの小さな写真がある。明日が来る事を信じていた少女の瞳が私を見つめている。明日。今度の週末。春になったら。私達はなんと安易に未来を信じて疑わないのだろうか。マーリオンも同じであったのだ。辛いことではあるが、認めて覚えておかなければならない事だと思う。
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