ニッチなわーるど考察記

周囲から特殊と言われる自分が、自分の思考などについて、(できるかぎり)客観的に考察することを目的とする。つもり。

もし人類全員が菜食主義者になったなら

2020-03-22 18:28:09 | 雑談
久し振りすぎだ。
人間なんて二年もあれば変わる。
だから過去の発言には目をつむりながら、そんなこともあったなぁと自分の今を噛み締めよう。
実際、久し振りに見てもなに一つ変わらない今の自分に溜め息しか出なかったが…

さて、ベジタリアンやヴィーガンについての、私目線の話をしよう。
いきなり?
しょうがない。
他の世界とのズレをごまかして生きている私にとって、ズレた自己主張ができるのは未だにここだっただけだ。
Twitterの海に投げることも考えたが、幾分文字数が多くなる。
だから、誰も読んでいないだろうここにおいとこうと思った。
……PVみたら見に来ている人もいるようだったが、どうやってここに?

ハロー、こんにちは。
こんなぼやきでも、見てくれる人がいると思うととても嬉しい。

さてさて、つまらない嘆きを落とそうか。
あ、ちなみにここでいう菜食主義者は、環境的負荷から、動物への倫理感から菜食主義をとる人で、かつ意見を押しつけてくる人への意見だ。
肉が嫌いだからという人のことではない。

私は生き物が好きだ。
命を大切にするべきだと思っている。
植え付けられた道徳を、心の底から正しいと思っている。
動物も植物も人間も、皆等しく命がある。
その道徳を信奉している。

だからこそ、私はみんなが菜食主義者になったら嫌だなぁと思う。
私にとってそれは、生命への差別だからである。

みんなが今すぐ菜食主義者になったら?
まず、今いる家畜は廃棄処分だろう。
いくらかは動物園に入るかもしれない。
でも、すべては入りきらない。
菜食主義者の主張に家畜を育てることの環境的負荷がある。私もそれは課題だと感じているが。
だからこそ、需要がなくなった。生態系へ負荷を与えるだけの邪魔者は殺処分だ。
食べることもせず、燃やされるのかな?食べちゃ駄目だもんね。
今いる家畜全部を終生飼育なんて、無理だろう?
野外に離すなんて馬鹿げたこと言うなよ。それこそ生態系の破壊だ。
家畜は既に人間が望む自然環境からは切り離されている。
彼らは全世界に人とともに広がって、だから人の都合によって切り捨てられる。

今すぐじゃなく、段々菜食主義者が広がって、じわじわと家畜の飼育頭数が減る。
それならまだ、そこまでの虐殺は減るだろう。
でもその過程で何人の人が不幸になるだろう。経済的に追い詰められ、食べてることを責められて悪だと言われて魔女狩りが起きるんだろうな?

さて、そんな悲しい歴史を経て、緩やかにみんな菜食主義者になりました。

ですが、ある日気候変動によって野菜がいつもより育たなくなりました。
一部の国では、国民の半分しか足りなくなりました。
さて、それでも肉食はしちゃだめ?
こういう時に犠牲になるのは貧しいものからだ。
そもそも人が雑食なのはいろんな食物を食べられることに適した体だからだ。
草食のように草だけで生きていける体ではなく、かといって肉食ほど獲物をとる苦労を背負わなくていい。
せっかく何かがダメになったときに、他で生きられるように適応したのになぜにもったいないことをするのか。

そもそも、だ。
環境への負荷が問題なら、人間を減らすべきなのだ。
個体数調整でシカとかは増えたから殺しているのに、人は減らさない。
一人っ子政策もバランス悪すぎて、続かなかった。
産む数を減らして、支えなくちゃいけない層を減らす。姥捨てをやらないと、解決しない。
家畜だけを消しても、人が望む理想的な自然環境は返ってこない。

じゃあ、環境負荷は置いといて、道徳的に倫理的に肉食はだめということについて。
だったら、ライオンも否定しろよ。
私は平等主義だ。
人だけを特別扱いしてること、人と同じに扱おうとして動物を差別していることが、何よりも気にくわない。
私たちは環境の一部だ。
動物の上でも下でもない。
だからこそ、根本的に善も悪もこの世界にはなくて、ただ人間同士がよりうまく生きるためにルールがあるだけ。
他種を同種として、人と同じに扱うのであれば。
ライオンやシカに、道徳と倫理を押し付けなければ平等ではない。
そして、それは不可能だ。
私たちは同じ命だけど、違う。
それこそ世界が違う。
世界が違うものに、こちらのルールを押しつけるのは侵略行為だ。自分達を上とする、傲慢な行いだ。
多様性が素晴らしいとほざきながら、一方で同一化を勧める。
矛盾甚だしい。

哺乳類も魚も昆虫も植物も、そして人を私は平等に扱ってほしいと考えている。
だから、植物は可とする、魚は可とすると、既に選択している時点で、菜食主義者の主張に合わない。

もちろん、改善できる点はある。
家畜の飼いすぎは確かに大きな課題だし、なるべく苦痛のない飼育法などもまだまだ試行錯誤の余地がある。
でも、それは余裕がある社会だからできるのだ。
今、餓えるおそれも命を奪われる心配もなく、安全な家に住んで、選べる生活が出来ているからだ。
ライオンもシカも魚も植物も、生きることに余裕などない。
現在の人は余裕があって、だからこそ他種へ気を向けられる。   
人に余裕があるから、こういうことがいえる。なんて贅沢なんだろうなと、おもって。
動物や魚や植物を愛する人は、人が上手に余裕をもって生きていける社会作りをした方がいいと思う。
自分のことで手一杯の時に、他のものなんて見られないだろ?
その余裕作りの過程で他種への負担を減らせるように、自分たちが望む理想の生態系や環境を残せるように、手を加えていく。

人間みんなが幸せになれば、余裕があれば、取り組めることはある。

私はそう思う。
だから、同種全体のことが見えてなく、他種を差別するようにみえる主張は苦手だ。

肉はおいしい。
私は誰かを犠牲にしている。
でも、そもそも命なんてそんなものだ。

この行為に罪があるならば、遊びで鳥を殺したネコに同じ罰を与えてください。
ネコと私で背負う罪が違うというならば、どうか私を特別扱いしないでください。
私が罰せられるなら、それは万物に当てはまる絶対ではなく、人が作ったルールで人が裁くものなのです。

今日の雑談はここまで。

多種多彩な世界があったから、今がある。
私の世界はこんなだよ。
あなたの世界もあなたのままでいいと思うよ。











世界を隠すことの難しさ

2018-03-12 11:04:04 | 雑談
みんなそれぞれ、違う世界をもっている。
他人と重なっているように見えて、微妙に異なる。
同じように見えて、よくよく見れば子細が違う。
でもその違いを認識できず、同じと誤認する。
自分の世界しか本人には見えないから、違いを明確にすることができず、大雑把に捉えてしまう。
小さな誤解が積み重なって、共通認識を描き、常識という拙いルールが生まれる。

他人と完全に理解しあうことはできない。

お互いに誤解を重ねることで、共有できたという虚実の上に平穏を得る。

一方的に誤解されると、理解しあえないと感じる。
それは私の世界の言葉じゃないと拒絶したくなる。
でも、同じものを持たないお互いでは、説明しても誤解でしか把握できない。
完全なる意思疏通は不可能だ。
だから諦めが重要だ。
どれだけ胸が辛く痛みを叫ぶほど軋むけれども、この心は伝わらない。

誤解を許容できないと、この社会を歩くのは辛いと思います。
孤独感に、どこかに逃げ去りたくなる。
私のいとこは常識というルールから少し離れた価値観を持っています。
何度も彼女は理解してと叫んでいました。でも、返ってくるのは諦めと無視。
それでも優しい方です。否定はされてません。
理解できないと突き放され、傍観される。見逃されているうちに、隠すしか術はありません。
自分の世界を変えても、誰とも重ならないのだから、腹のうちに呑み込み隠さなければ、理不尽な暴力から守ることはできないのだから。

なーーんて、語ってしまったが、なんということはない。
ちょっと辛いことがあった。
それは身内が亡くなったことではない。
身内の死は悲しいが、嘆くことではなかった。
子を生み、職を全うし、老後を過ごしていた彼。
不意な事故で、平均寿命を超えることはできなかったが、それでも十分に生きただろう彼。
何を悲しむことがあるのだろうか。
私は寂しく思うけれど、もういない彼に思うことは何もなかった。

だから、違うんだ。
あなたが言った言葉は。

私が泣きたくなったのは、あなたの感情の渦が恐ろしかったから。
感情のままに、私にぶつけられるものに、恐怖して恐くて泣きそうになったのだ。
それを共感だから、泣くのを恐れなくてもいいだなんて、誤解は。
とても辛かった。
理解されないことを実感して、寂しさや空しさ、一人という実感。

でも弁明はしなかった。
私とは違う世界の彼女にとって、彼の死は悲しかったのだろう。
私は彼女の世界を否定したくない。
私の世界の言葉は、彼女の世界を壊すだろう。
言えない。
私は彼の死を、悲しいとは思うけど、なぜ泣くのかは分からない。
彼女が見ている常識を壊したくない。
自分の世界を壊されたくないから。

だから私は、ここで一人でないた。
誤魔化して、なんの感情もないように装って、孤独に耐える。
きっとこんなにも辛く、わかってもらえないことを嘆き悲しむのは、やっぱり諦めきれていないのだろう。
正しく通じ合える。
そんな誤解を得られることを。
通じ合えなくても、せめて許容して、そういう世界もあるか認識をしてくれればいいんだけど。
無理なんだろうなぁ、あの人には。

ねぇ、世界を守るのは大変だね。



自分は何になったのか

2018-03-06 23:14:20 | 日記
今日、身内が危なくなったらしい。助かるかわからないらしい。
これを受けた。私の心境を書こう。残そう。
誰にも話せないから。

報を聞いても、特に驚かなかった。
身内は歳だし、確かについ最近までピンピンしていたが、明日何があってもおかしくないとは考えていた。
人間、いつ死ぬのかわからないものだ。
生きてるものは、突然死ぬのだ。
だから、私は別れるときに心の中で最後の挨拶と思いながらしてる。
だから、きっと、驚かなかった。
むしろ葬式やそういうスケジュールがこのあとある場合をいろいろ想定して、面倒とおもったほどに、人でなしな冷静だった。

と、言っても、別に死んでほしいわけではない。
長く生きてほしい。また会いたい。
でも、無事に生き残っても障害が残った場合、歳だからボケてしまった場合。
どうなのだろうか。本人にとっての幸いとは。
できれば私以外の身内のために助かってほしい。彼らは心の準備ができていないのだ。

私も昔からこんな考えではなかった……と、思う。
親の死を想像して泣いたこともある。
でも、そういえば曾祖母が死んだ小2のときは、めんどくさいと思って、それを口に出してしまって、母に大分しかられたのだ。
でも、それは私が幼く、かつ長くボケてまともに会話がなかった相手の死だったからだろう。
次の葬儀は中学生だったが、既に私の世界の形成が始まっていたので、今と同じ反応だった。

今危ない身内は今まで私が経験したものの中で、一番近い相手だ。
こんなに悶々と、これからどうしようとスケジュールに悩み、自分の心が他者にばれないようにどうすればいいかと考えてしまっているが、もし本当に彼が亡くなった場合、私は素直に悲しめるだろうか。

悲しみたい。人間らしく。
だが、その感情を私は受け止められない。その辛さに耐えられない。
弱く脆い、自分の器では。
だから私は死に対して、一切思うことを捨てたのだ。
すべての死が悲しかった私は、その辛さから逃げるために、死後を捨てた。
死後、人の意識があることを否定した。
もう悲しまない、辛くもない、その人について泣くことは、あくまで自分の感情であり、その感情は自分のことを思って泣くだけだ。
それを自己中心的なヒロイズム感情だと否定した。
だから私は悲しめない。素直に。
本当は抑圧しているだけだとしても、私にはもう分からない。
悟りでもなんでもない、逃避は自分の弱さの露呈で恥ずかしいなぁ。

ここまでつらつら語ったが、昨今の日本の医療は進んでいるから、どうかあの人には生き残ってほしい。
祈ることも捨てた私には空々しい希望しか語れないが、どうかどうか。
この私の気持ちは本当で、まだ捨ててないものだ。

世界は違うから、大変だよね。

私の世界は私の死で消滅するのにな。
世界がそんなに単純にできてなくて、辛い。

それでは皆さま、あなたが続くまで、世界を続けてください。
この願いはきっと本物。





世間とのずれ

2018-03-01 08:30:12 | 雑談
にっちです。
何とも前から時間が空いたものだ。

口調とかキャラとかころころ変わるだろうが、別にいいだろう。
自分が一人だなんてもう思っていない。
多様な自分が集合して「○○○○(本名)」を作っていると思う。
だから私自身が○○○○ではなく、○○○○の一部が私だ。
だから私は自分が○○○○という確信がなく、明日にはいなくなっててもおかしくないと思う。
でも○○○○はいるのだ。一人の人間として、この社会に。
だったら私はその人物が生きていけるようにとりはかる。
サポーターみたいなものだ。

さて、この人物。まあ、私だ。本当は実感ないが、私として○○○○について語ろう。
○○○○=私は世間からずれている。
というか、そった試しがない。
それは特にテレビというツールに関してだ。

実家にはテレビがありそこそこ見ていたが、ついているから見る。
積極的に見たいとなるのは、動物番組とアニメだけ。
ドラマやバラエティーは周囲が見ているから。
基本、自室にこもっていた私はドラマやバラエティーについての知識はほとんどなく、学校で話がわからず苦労した。
これだけで世間とのずれというのは大袈裟かもしれないが、周囲と違うだけで排他的になる環境にいたせいで、ほんの少しの違い、気にしなくてもいいはずの違いを私は看過できず悩んだ。
まったく興味が湧かない。
芸能人のすったもんだ。スポーツの勝ち負けは気になっても個々の選手に興味はない。
ドラマを見ていても俳優名は覚えられない。
ストーリーと、そのストーリーのキャラは好きでも演じている人にまでは興味は届かなかった。
親も心配して、アイドルが載った雑誌を買ってきたが、それこそ同じ顔ばかりで何を注目すればいいか分からない。アイドルの××くんのインタビュー記事。過去や好みを知って、何を思えばいいのか。

だから一人ぐらしをはじめて、テレビを見なくなったのも当然だ。
私はアニメだけを見て、しかも全部録画だった。
テレビはあくまで再生画面だった。
アニメをネットで見るようになってからは、本当に触れていない。

両親はそんな私を受け入れられないようだ。今度テレビを捨てるのだが、信じられないという顔をされた。
世間についていけないとまで言われた。
もともとついていけていなかったのに、ついていけなくなるとはおかしい。
むしろネットだけで情報を得るようになってからのほうが、世間の話題がわかるようになった。Yahooニュースやニュースアプリのおかげで、まとめた情報を知ることができる。
テレビのコメンテーターのコメントとかどうでもいいのだ。流行りのお店の紹介とか、都内の話だろうが。そんなことより国際情報が知りたい。国会がどう動いているのか知りたいのに、テレビのニュースでは待っても待っても出てこず、出てきても一瞬で押し流される。

私の興味は限定されている。私の脳はキャパが狭く、入れられる要領に限度があるから自動的に選んでいるのだろう。
だから世間からずれを感じる。

でもその世間とは、あくまで私の周囲の世界のことだ。
たかだか数十人程度。そこからずれていて、なんだというのだ。
生きるのが多少不便になっても、その世間とのずれを直そうと芸能人の名前を一つずつ暗記して脳内メモリを減らすほうが面倒だ。

確かに友人と会話が合わないのは悲しい。
正直辛い。
常識知らず、ありえないという名で見られたことも幾度とある。

でも、彼らは知らないのだ。私が彼らと同じ位置に着くためにはどれだけの努力を果たさねばならないのか。
その努力をしているときの惨めさと空しさと苦痛を。
あなたと話ができないのはつらいけど、その対価をはらってまであなたとの僅か10分もない会話に尽くそうとは思えない。

こんな私でも許してくれるあなたたちに感謝しています。

私は私のわーるどにいることを許してください。

雑談終了。

どの世界もきっとすばらしい。

他人と違うということ

2017-07-30 23:37:12 | 雑談
よっしよーし
にっちです。

今回は暗い話になります。
なぜなら、私の気分が沈んでいるから。
他者の不幸話なんて聞いて面白いもんじゃない……ただ、
まったく知らない他人の不幸話はネタになったりするよね。どうしてかな。
とりあえず、あまりそういう話が好きではないかたは、そっと閉じてくださいね。

前置きが長くなったが、私の世界の話だ。
ここから先も長いぞ。
飽きたらいつでも帰ってもらって構わない。聞いてくれるなら、少しだけ私は救われるかもしれない。

私は人と違うとよく言われる。
幸いにして他人にあまり迷惑をかけないタイプの変人らしい。
それは救われるが、私はなぜ他人から普通じゃないと言われるのかがわからない。

確かに違うとは感じているが、どうすればいいのかわからない。

でも、幼い頃はね。それが「誇り」だったのさ。
先生はいい子だと誉めてくれたし、私が憧れる小説の主人公たちは変わり者がほとんどだった。
だから、私は人と違うことを恐れていなかった。
変だね、と言われてもむしろ嬉しかった。

あのまま成長してたらどうなってたんだろうね?

でも、当時から私は奇妙な寂しさを感じていた。
友人は少なく、グループの輪に入れず、
ひとりぼっちで帰ることもあった。
漠然と寂しかったけど、私は意識してなかった。

ある日、親から私が「友達がほとんどいない、クラスでひとりぼっちでいる子」と周囲から認識しているまでは、
私は自分が孤独であることを知らなかった。
他人から自分がどう思われているかなんて考えてなかった。

私は主人公ではなく、影でひそひそ言われる「変人」だったのだ。

私の人生が180度転換した。

誇りは劣等感に変わった。

私は他人が自分をどう見ているのか初めて意識して考えるようになり、他人の視線が、考えが、すべてが怖くなった。
他人と違うということは、嗤われることだった。

違う方面が優秀な方ならよかったのだが、私はそうではない部分が違うことが、他人にどう見られているなんて指摘されるまでは気づかなかった。

今は多少は劣等感は薄れた。
まぁ、根強く私を形成してしまったので、今日もたまにくる周期的な劣等感の波に押し潰されそうになっていたのだ。

だから、こんな話を愚痴りたくなったのだ。
すまないね。聞いてもらって。

ついでに質問したいのだが、君は嫌なことが絶えず頭に去来して頭を抱えたことはあるかい?
急に呻いたり、笑いだしたり、動かなくなったりしたことは?

でも、人前ではそんな素振りはひとつも出さない。
ひとりでいるときだけ。

君はそういう人間か?

君もそうであるならば、すこし安堵する。
同時に複雑だ。

なぜなら私の「人と違うこと」に対する劣等感が多少薄れた結果、それを誇りと思う気持ちも帰ってきたからだ。
いや、きっとずっともっていた。
だが、認められなかった。
でも、私は「人と違うこと」を誇りとし、自分だと考えている。

そりゃあ、こんなわーるどに引きこもるはずだ。
私は私の世界を憎んでいるが、何よりも大切で壊されたくないんだ。

覗いてくれてありがとう。

君も君の世界を大切に。

今日はここで、雑談終了。