NEOMAP Web Forum

総合地球環境学研究所プロジェクト4-4「東アジアの新石器化と現代化:景観の形成史」のwebフォーラム

比叡山から見た京都盆地

2008-09-04 19:29:19 | NEOMAP本部
比叡山から見た京都盆地です。
写真中央の緑地、下が御所で上が二条城。
左上の奥には大阪の高層ビル群が、
ちょうど雨あがりで上昇する雲がありますが、うっすらと見えます。

こうして見渡すと、三方山に囲まれ、
南に開いた絶好の地形をしていることがよくわかります。
平安京は周知のごとく、中国古代都城制に習ったのですが、
本場中国でもこれだけ理想的な立地をした都城はないかもしれません。

長安や開封は論外、大都も大きく見れば北側が山ですが・・・。
しいて洛陽がそうかもしれませんが、開いているのは洛河に沿った東西で、
南は龍門石窟がある地点で狭まっています。
華南の都城は複雑な地形と水利との関係で設計思想は異なっていました。

平安京を想像すると、そこに占地したことが感覚的に分かる気がします。
ひとつ気になるのが、南です。
巨椋池は、奈良盆地への交通を遮断しているように思えます。
東西と北の山地で気を断ち、
さらに巨椋池でも気を断つといった論はあるのでしょうか?
もし適うならば、平城京以来の因習をどうにか断ちたかった
桓武天皇の気持ちも分かるかもしれません。

あまりにも「歴史ロマン」に浸った文章になりました。

もうひとつ気になるのが、緑地です。
現在の京都は、御所と二条城しか目立った緑地がないことに改めて気付かされました。
江戸時代二条城の縄張り図を見ていても屋敷で埋め尽くされおり、
現在よりさらに緑は少なかったようです。
洛中洛外図を見ると、雲隙間に緑が散漫に見えるので、
緑が全くなかったわけではないでしょうが、
それにしても緑地と呼べる空間はなかったのではないでしょうか。
都城の中に、現在の都市公園法のような規則に準じた緑地があったとは、
やはり想像できません。
もちろん庭園はあったでしょうが、都城には緑がなかったのでしょうか?
もしそうならば、古代都市(都城)とは完全な人工的空間の創造であって、
自然を寄せ付けない設計思想が背景に存在しているのかもしれません。

さらに空想が過ぎました。(makiba)




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