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2006-03-15 22:21:32 | 社会
新聞の「特殊指定」堅持を…新聞協会が特別決議(読売新聞) - Yahoo! ニュース


「特殊指定」とは聞き慣れない言葉であるが、要は、「不公正な取引」を禁じている独禁法-公取委が告示(*注1)で例外的に認めている『販売契約制限の特例措置』のことである。新聞業の他には、百貨店業や教科書業、海運業などでこの特殊指定がある。

平たく言えば、新聞においては、大量一括購入などの例外を除いては、地域や客の違いで異なる定価をつけたり定価を割り引いたりしちゃいけませんよ、というものだ。
この「特殊指定」と、メーカー(ここで言えば新聞発行業者=新聞社)が販売価格を拘束してもよい「再販制度」によって現在の販売形態になっている(既得権益が守られていると言った方がいいかもしれない)。公取委はこの特殊指定の見直しを進めていて、各新聞が結束して必死になってそれを止めさせようとしている、というのが今回のニュースである。

その「必死さ」は、各新聞がこぞって社説や世論調査などで世論誘導を図っていることからもうかがえる。例えば読売新聞は2/20の記事、毎日新聞は3/2の記事で、特殊指定や再販制度・宅配制度に関する世論調査の結果を載せたうえで、「国民は特殊指定の廃止など求めていない」と結論付けている。(読売新聞の世論調査の記事についてはこちら

どの新聞も「全国一律の定価・今の宅配制度が維持できなくなる」から特殊指定はなくしちゃいけないんだという論理だが、そもそも、このリクツは強引というか、少なくとも実態は有名無実であることは間違いない。


新聞の宅配制度を支えているのは、全国に2万店舗以上あると言われている販売店である。販売店は勿論新聞を仕入れて原価を新聞社に支払う訳だが、原価率はかなり高く、人件費・販促費などは購読者からの購読料だけでは全く捻出できない。
じゃぁ何故経営が成り立っているのかというと折込チラシの手数料収入があるからだ。というより、この折込チラシの手数料がないと新聞の原価さえ支払えないなんてことはザラにあるらしい。

一方、親方の新聞社の方は、販売店が慢性的な過当競争の中で必死こいているのに、立場が強いのをいいことにノルマだけは厳しくし、"過剰に"販売店に新聞を買わせる。これが『押し紙』と呼ばれるものだ。
実は、これは冒頭に書いた公取委の告示の中では禁止されていることである。注(1)の下のほうの条文を読んで頂ければ分かる。まぁ各新聞社はこの押し紙の存在自体否定していて、だから今回の件でも自らそんなことを紙面に書かないが、これはどうやら事実のようだ。

で、この『押し紙』は、販売店にとってはただの売れ残りで無駄になる。だからこそ、『拡材』(定期購読の勧誘の際に客に渡す景品のこと)として『無代紙』(拡材として無料で提供される新聞そのもののこと。拡張団の勧誘員が「1ヶ月タダで入れるから6ヶ月お願いしますよ~」っていうアレ)がバンバン横行していると考えられる。

又、『押し紙』が存在し残紙があるということは、押し紙と同じ枚数だけ発行される折込チラシも無駄になっていることでもある。販売店にとっては折込手数料収入はできるだけ増やしたいから、実配部数ではなく公称部数でスポンサーと契約する。スポンサーからすれば、当然全て配られることが前提でチラシ制作経費+折込料を払っているが、この押し紙によって、折込手数料の何割かは無駄に払っていることになり、つまりこれはどう見ても「詐欺」な訳だが、ノルマを押し付ける元凶の新聞社はそんなことは口にしない。


拡材についても、2000年に公取委の定めた(改正した)所謂「6・8ルール」によって、景品提供の上限額は「新聞購読料の"6"ヶ月分の"8"%以内」となっているのだが、無代紙を1ヶ月でも提供する時点でそんなルールは軽く破られてしまっている。
(購読料1ヶ月3,000円計算だと3,000×6×0.08=1,440、4,000円だと同様に1,920)

別に無代紙でなくても、洗剤・ビール券・各種イベントのチケットなどの拡材は、十分に6ヶ月分の8%なんて超えてしまっている。私は今は新聞は取っていないが、以前読売新聞の定期購読契約にあたって、洗剤沢山+巨人戦のチケット(外野自由席だが)を貰ったことが何度もある。

更に、新団(新聞拡張団)の勧誘員=拡張員の行儀の悪さについては、これを読まれている方も一度は経験あるだろう。暴力団の構成員もかなりいると言われているくらいだから行儀の悪さはある意味当然だ(苦笑)。
で、販売店や新団に何かトラブルがあると新聞社は関係を否定するが、新聞社は販売店に対して毎月勧誘状況を報告させているそうで(カード報告と言うらしい)、新聞社→販売店→新団のラインがあることは明らかだ。


ざっと書いたが、これらの実態を見ても、新聞社が「活字文化」だ「知る権利」だと持ち出して特殊指定や再販制の維持を主張するのは、正直白々しい。
まぁそんな悠長なことを言ってられるのも今のうちで、新聞社もジャーナリズムを謳うのであれば、さっさと自浄作用を発揮して改めるべきところを改めなければならないだろう。プレスリリース垂れ流しや果てには捏造記事まで珍しくなくなった新聞の質の低下は実際相当酷くなっているとも感じられる訳だし。

発行部数の年々の低下のみならず、平成17年版の総務省『情報通信白書』を見ても、国民の新聞離れが進みインターネットが生活に浸透している度合いがよく分かる。
平成17年版情報通信白書/第1章第2節2-(2)行動・支出の変化

素人の私見ではあるが、私は、新聞という活字メディアは、今後は、現場で得た一次情報を出来る限りのバイアスなく如何に"淡々と"正確に発信できるかにかかっていると思う。
勿論、TVでさえ完全に客観的な(バイアスのない)報道なんてまず有り得ない。せいぜい、特定の記者会見の一部始終をライブでorノーカットで流すといったような限定的な状況でなければ客観性なんて発生のしようがない。インタビューでさえ、「どこを使うか」編集されてしまえば、それは「編集者の主観による報道」でしかない。活字なら尚更、である。

だから、どれだけ正確にと言ったところで、言葉にする時点で主観は入らざるを得ないし、報道対象の素材を選択するだけでも主観は入ってしまうのだが、それはどうしようもない。
記事を書く記者がそれを念頭に置いたうえで、記者個人の感情思想信条世界観などをできるだけ排除して、「解釈」になってしまうような言葉・表現も避けて書く、しかないだろう。「淡々と」はそういう意味だ。

しかも、言葉というのは本当にデリケートなもので、例えば誰かのコメントの抄録を載せるような場合、接続詞や助詞一つのあるなしで、発言者の意図がガラっと変わって読まれてしまうなんてこともある。(*注2)
その注意は、私もこうして文章を書いている以上はしなければならないが、新聞記者の方も「そこまで」配慮して・考えて記事を書いて頂きたいものである。


最後、そーいえば、『国家の品格』の著者藤原正彦氏が、この特殊指定見直し問題についてコメントされていた。
活字復興に水差すな(MSN毎日インタラクティブ)

その記事からの引用。
《テレビがあればいい、という声もあろうが、それでは民主主義は育たない。国民の成熟した判断力が民主主義の前提だからだ。》

一方、『国家の品格』p.83。
《もちろん国民が時代とともに成熟していくなら問題はありません。昔の話は単なるエピソードとして片付けることができます。しかし、冷徹なる事実を言ってしまうと、「国民は永遠に成熟しない」のです。
・・・(中略)・・・したがって、「成熟した判断が出来る国民」という民主主義の暗黙の前提は、永遠に成り立たない。》



・・・どっちやねん(ー_ー;)ゞ ・・


*注:
(1)
平成十一年七月二十一日
公正取引委員会告示第九号

 私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(昭和二十二年法律第五十四号)第二条第九項の規定に基づき、新聞業における特定の不公正な取引方法(昭和三十九年公正取引委員会告示第十四号)の全部を次のように改正する。

新聞業における特定の不公正な取引方法

1 日刊新聞(以下「新聞」という。)の発行を業とする者(以下「発行業者」という。)が、直接であると間接であるとを問わず、地域又は相手方により、異なる定価を付し、又は定価を割り引いて新聞を販売すること。ただし、学校教育教材用であること、大量一括購読者向けであることその他正当かつ合理的な理由をもってするこれらの行為については、この限りでない。
2 新聞を戸別配達の方法により販売することを業とする者(以下「販売業者」という。)が、直接であると間接であるとを問わず、地域又は相手方により、定価を割り引いて新聞を販売すること。
3 発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。

一 販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む。)。
二 販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。

(2)
この例については、エッセー『ぬえの名前/橋本治/幻冬舎文庫』の「狢の腹鼓の語るポンポコリン」の項に面白い話が書いてあるので、興味のある方はご一読を。