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誰のために?何のために?自分のために?

2005-05-28 22:58:05 | 社会
ニート支援、NPOが親たち対象のゼミナール (読売新聞) - goo ニュース


ニートは、非常にデリケートなテーマである。「デリケート」というのは、皆の持つ意見が極端に・過激になり易い、いやむしろ既にそうなっている節があるということで、「ホームレス」や「引きこもり」という言葉が広く一般に知れ渡り社会問題化した時よりも、感情的に考えたり論じたりしている人が多いようだ。

まずニートについて簡単に知識を整理しておくと、ニートはNEET(Not in Employment,Education or Training)の略で、主に「職に就いておらず学校機関に所属しておらず、就労に向けた具体的な動きをしていない15~34歳の若者」を指している。そのニートのよく知られる分類としては、独立行政法人労働政策研究・研修機構のの小杉礼子による4つのパターン、ヤンキー型・ひきこもり型・立ちすくみ型・つまずき型がある。

さて。
『働かざるもの食うべからず』は元々新約聖書の言葉で、一方でカトリックの考え方では労働は(神からの)懲罰だったりもするのだが、とりあえず今の日本では「労働は美徳」という道徳観念は根強くある。儒教的精神から来ているとする説はよく聞くが、具体的に出典などがどこに求められるかは私は寡聞にして知らない(知ってる人がいたら教えて下さい)。
「小人閑居して不善をなす(*注1)」って言葉は儒教にはあるが、まぁこれだけではないだろうし、大陸の儒教と日本でアレンジされた朱子学や陽明学は又異なるだろうし。一つ考えられるのは、儒教の根本の一つでもある「孝」「忠」の「忠」、すなわち国・天子に対する服従を説く忠君愛国の精神が、現代日本の表面的な民主主義の下では勤労の道徳という形で残っているってことだ。(教育勅語なんて持ち出すとキナ臭い話にはなってしまうが)

ただ、労働を美徳とする道徳観念そのものよりも、NEETという言葉を作ったイギリスではこれが普及しなかったのに、日本ではあっという間に普及して社会問題と捉えられるようになった、この現象こそが日本的で(日本の)儒教的と言った方がいいかもしれない。
確かに憲法(*注2)で勤労は国民の義務(及び権利)とされ、納税・教育と並ぶ国民の三大義務の一つともされているが、それを根拠にニートを批判する人は、私が情報を集めた限りでは意外に少ない。引きこもりの人間が起こした幾つかの殺人事件が印象に強いせいか、どうしても上の段で引用したような「閑居して不善」という観点でニートの反社会性を強調してしまうケースが全体としては多い訳で、その辺りに組織と組織の秩序を重んじる儒教的精神や総国民中産階級意識、裏を返せばそれに馴染めない人間への反発心を感じるのである。

勿論、マスコミなどは国全体としての労働力(人口)や地域社会・家庭という観点から論じていたり、個人の労働に対するモチベーションやインセンティブ、それを含めた経済的観点から論じている人達も沢山いるのだが、そうやって感情的・道徳的ではない形でニートを斬ったとしても(感情的・道徳的に斬れば尚更)どうもすっきりしないというか後味が良くない。

どうしてかと言えば、ニートという存在がいいか悪いかはともかく、やはり単純に「日本がこれまで創ってきた社会そのものがニートを生み出した」だけかもしれないからだ。

例えばそれは、団塊の世代がガムシャラに頑張ってきた結果その子供の世代にラクができる人間が増えたってことかもしれないし、バブル期までは散々大量雇用しておきながら弾けると一転リストラを敢行し新卒採用を「氷河期」と呼ばれるまで狭めた企業の責任って部分もあるかもしれないし、5/25のブログで取り上げた談合事件のようにマジメに会社のために働いていることが社会の害悪になってしまうような現実を作っている日本社会全体の問題なのかもしれないし、内実は様々なことが考えられる。

まぁ一つ言えるであろうことは、4,5年前専業主婦否定論がちょっと話題になったけれども(何だっけ?「くだばれ専業主婦」とかいう本でしたっけ?)、労働を「対価として金銭報酬を受け取る行為」のみと一義的に捉えるとどうしても無理が出てくる、ってことだ。
少なくとも現在のこれだけ大規模で(人口という面でもGDPという面でも)モノが溢れている社会では、「一人(の労働)が全体に奉仕している」とはとても言えないんだし。それは例えば極論だと、第三次産業の方が今は多い訳で、つまり他の大部分の人間とはまるで関係のない「ごく一部」で需要と供給(経済活動)が存在して、それで仕事と客という関係も成り立っているケースが幾らでもあるってことでもある。資本主義社会はとにかくお金が循環してないと話にならないが、逆に言えばお金が循環できるならたった一人の人間にしか必要でなくても仕事・労働もそこに見出せてしまう。(それが悪いってんじゃなくて、だからこそ一義的に捉えるのは無理があるってことだ)

そもそも、こんな新しい言葉が登場するずっと前から、「ヒモ」とか「地見屋」とか「風太郎」などニートやフリーターに類すると考えられる言葉はあったんだけど。まぁニートの場合は、私は実状を知らないけれども、「食事と睡眠と排泄以外本当に全く何もしていない」イメージが付いてしまっているから、余計攻撃対象にし易いって部分があるとは思うが。

ところで、冒頭のニュースにはちっとも触れていなかったので少々。
NPO(専門家含む)がニートの親を指導するのは全く効果がないとは言わないが、それは個々の状況によりけりだと思うし、これまで述べたように仮に問題視するにしても根は相当深いと思われるのでやっぱり対症療法には限界があると言わざるを得ないだろう。

最後に、ニート自体やニートに対する主張・態度の分類で面白いブログがあったので一つ紹介しておく。「ふっかつのじゅもんがちがいます。」


*注:
(1)
徳のない人間は、暇になるとロクなことをしない、という意味。所謂「四書五経」の四書の一つ、『大学』からの言葉である。
(2)
第27条
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。