goo blog サービス終了のお知らせ 

水車むらへようこそ

水車むら会議、水車むら紅茶、水車むら通信のご案内

茅葺民家

2011-05-09 00:23:50 | 日記
水車むらの開村は1981年。「有機農業と自然エネルギーの実践の場」、「水土蘇生」をめざして。

茅葺民家は翌年、安倍川上流、梅ヶ島より移築。

つり橋

2011-05-09 00:21:42 | 日記
つり橋は水車むらの入り口です。

「脱原発は水車むらの原点だった」(『水車むら通信』、119号、2011.4.16)

2011-05-08 23:50:03 | 水車むら通信記事
脱原発は水車むらの原点だった
寺田良一

 水車むらの会員に対して、いまさら書く必要もない内容かもしれない。しかし、紅茶を購入していただいて、初めて水車むらの存在を知った方もおられるであろうから、こんな事態になった今、水車むらの原点を再確認しておきたい。

 私個人について言えば、まだ大学院生であった1979年にスリーマイル島の原発事故が起こり、畑違いにもかかわらずにわか勉強を始めた。水車むら会議の前身ともいえる室田武氏らの研究会にも首を突っ込んだ。室田氏らは、石油危機の後に採るべき道として、原発ではなく、再生可能エネルギーの利用を主張していた。そのころ生活クラブの学習会で聞いた埼玉大学の市川定夫氏(放射線生物学)の話は、きわめて原理的で明解であった。

 この間、飛行機に乗ってもCTスキャンをしてもこれだけの放射線を浴びるのだから、原発事故による放射線によっても、「直ちに健康に影響が出るわけではない」という「専門家」の言い回しに辟易とした方も少なくあるまい。それならなぜヨウ素131、セシウム137の規制値を設けるのかと。

 簡単に言えば、自然界にすでに存在する放射性物質(核種)に対しては、人間を含む生物体が、何億年もの進化の過程で、対処方法を「学習」してきたのに対して、原発から出る人工放射性物質に対しては、まったく無防備だからである。

 もう少し具体的にいえば、元素の中には、放射性の同位体のあるものと、それがないものがある。生物は進化の過程で、いろいろな元素で体の構造を作ることを試みてきたが、放射性同位体が天然に存在する元素で構造物を作った生物は、内部被曝によりDNAが破壊されるなどして絶滅していったのだろうと市川氏は言う。

 しばしば問題になるヨウ素131であるが、天然のヨウ素はほぼすべてが放射性ではないヨウ素127である。ヨウ素は、甲状腺で成長ホルモンを作るのに不可欠である。天然には放射性同位体がないから、体は安心して取り込み、甲状腺に蓄積する。成長著しい乳幼児ほど多く必要とする。胎児、妊婦も同様である。乳児や仔牛の成長のために、母乳や牛乳にも濃い濃度で出てくる。
 そうした命の営みを、原発事故やかつての核実験由来の人工放射性物質である、ヨウ素131が襲う。半減期が8日と短い(従って天然には存在しない)が、その間に特に小さい子どもたちの甲状腺を、ベータ線によって至近距離から傷つける。それが現実の悲劇となったのは、1986年のチェルノブイリ原発事故であった。

 やはり自然には存在しないストロンチウム90も、カルシウム(自然には放射性同位体がほとんどないので、やはり生物は安心してこれで骨を作ってきた)と化学的性質が同じであるため骨に沈着し、造血機能を果たす骨髄に至近距離からのベータ線の内部被曝をもたらし、骨のガンや白血病の原因となる。(4月12日に福島県内で検出された。)

 水車むら紅茶の本格的な生産が始まった翌年の86年、一番茶の茶摘が始まる1週間前ごろの4月26日、その事故は起こった。私はそのころ佐賀大学に勤務していた。当日、たまたま仕事で佐賀の拙宅を訪れていたのが、水車むら会員のK氏であった。我が家でチェルノブイリ事故のニュースを見ていた彼の顔が、真っ赤になったり真っ青になったのを今でもありありと覚えている。その後彼は、水車むらの反原発運動のリーダー的存在になった。

 その年の一番茶からは、当然ながらそこそこの放射性セシウムなどが検出された。どこのお茶もそうなのだから、まだしも無農薬で作っている水車むらのお茶はましなのだと言い聞かせて飲んでいたが、なんとも苦いその年の紅茶であった。

 それから四半世紀、今回の福島原発の大事故が起こったわけであるが、私が心配していたのは、東海地震の震源域にある浜岡原発の方であった。水車むらは、そこから30キロ圏である。私が、というより、京大の小出裕章氏や故・瀬尾健氏の受け売りなのであるが、地震がもたらす原発災害についての危機感の低さがずっと気になっていた(たとえば小出氏らによる今回の事故の予言とも言える『日本を滅ぼす原発大災害』、風媒社刊、2007)。

 今回の事故の前哨戦のような事態として、2007年の中越沖地震による柏崎原発の火災と停止がある。同原発の設計上の最大想定は273ガル(揺れの強さの単位)だったのに対し、実際には1000~2000ガルを記録したという(前掲書111頁)。浜岡はどうかというと、当初1・2号機が450ガル、3・4号機が600ガルであったが、阪神淡路大震災で800ガルが記録され、2001年に浜岡の想定最大値も800ガルに訂正されて耐震工事(1000ガルを想定)に入った(同62頁)。なお今回の福島の津波被害を受けて、現在は8m程度の津波にしか耐えられない浜岡原発に、4月12日、2・3年かけて12mの防波壁を作ると中部電力は発表した。しかし今回福島原発を襲ったのは14mの津波であり、岩手では20m超の津波が襲っているのである。

 まだ収束の見通しの見えない今回の原発事故から、再確認しなければならないことがかある。

 まず第1に、我々人間を含む動植物や生態系は、原発や核兵器から生み出される人工放射性物質とはどうやっても共存できないことである。「平和利用」を唱える人はいるが、今回の事故はもとより、事故がないと仮定しても、原理的に半永久的に持続する有害な人工放射性物質(典型は半減期2万4千年のプルトニウム239)を環境生態系から隔離し続けることは不可能である。「温暖化対策」としての原発推進は、このような大局的な環境生態系へのリスクから容認できない。(もとより原発は「発電時にCO2を出さない」だけであって、ウラン採掘、濃縮、設備建設、核廃棄物管理に由来するCO2は不可避である。)

 第2に、原発は経済的に引き合わないことである。今回の事故の損害額は、まだ見当もつかないが、兆の単位になることは間違いなかろう。津波で壊滅的な被害を受けたが、原発からの放射能の影響はほとんどない北部の漁港などでは、復興の道のりは長いがいずれはまた元のような漁港の賑わいを期待することができる。しかし、半減期が30年前後のセシウム137やストロンチウム90で田畑が汚染されてしまった原発近辺の農地は、先祖代々営々と築いてきた生業の基盤であっても、今後長期にわたって耕作が困難になってしまう。3月24日に福島の有機農家の方が自ら命を絶たれたが、その無念を思うと言葉がない。

 誰が補償するのか。原発事故については、「原子力賠償法」がある。当事者が無過失、無限責任を負うことが原則である。しかし「異常に巨大な天変地異」は免責事項とされている。今回の地震はそれにあたらない(国民が納得しない)と政府側はいっているが、まだ確定していない。この補償のために、電力会社などは原子力損害賠償責任保険に入ることを義務づけられている。しかしその賠償額は1200億円が上限である。結局のところ、原則は無限責任でも、1200億円以上の分は、国が、すなわち我々の税金で援助するということになっている。

 この保険を上限なしにすることを、再生エネルギー推進派の飯田哲也氏は主張している。そうすれば原発の電気料金は今の3倍になるから、皆原発から撤退し、自然エネルギーにシフトする。ソーラーパネル製造などで雇用も増え経済は活性化する。

 第3に、25年前と違うのは、今回は、多少の汚染は甘受しても、被災地の農業者を支援しようという機運が市民にあることである。子どもたちには最大限安全なものを食べさせるが、中高年はヨウ素を気にする必然性はさほどない。許容値以下のものは、福島産を買って支援しよう。でもちょっとは気にはなるけど…。