昨日は、好きだった人(過去形)と、好きだった人の彼女である私の友達と、もう一人男の子と私のいつもの4人で遊んだ。
今更の卒業旅行の話し合いをして、海に行って、お好み焼き食べに行って、私の家で宅飲み、という盛りだくさんの内容。
旅行は、ぬるいけどポイント押さえた計画を立てた。
海には、花火とビーチバレーをする気で行ったけど、冬の海は甘くなかった。。。
冷たい暴風でそんなことは夢のような話。
でも、海見た瞬間にテンションはあがりまくり。
裸足になって、無心で叫びまくったり、砂浜走ったり。
服が濡れようが、関係ない。
こんなに気持ちいいことって、他にある?って思った。
夢の後は、砂まみれの足と服に困らされたけど、それも加えて本当にいい思い出。
お好み焼きも、いい感じ。
正に、鉄板コミュニケーション☆
飲みも、ネットで変なフラッシュ見て大爆笑したり、マッサージしたりで大騒ぎ。
遊びつくした。パーフェクト。
こう思えるのも、きっと好きな人が、好きだった人に変わったからだと思う。
そりゃね、自分の感情押さえつけた感はすごくあるよ。
傍から見たら、「それでいいの?」だと思う。
感情のままに行動した友達はやっぱりひどい。でも、それにすがりついてて何になるの?
「好きになったから仕方ない」なんて思っているであろう、彼女を正当化したくない。でも、それをねちっこく恨む自分を正当化したくない。
それに体面取り繕ってる時点で、この友達とは関係を絶ちたくない感がどこかにあるはずだし、ねちっこく恨むことが本当に自分にとっての最善の策とは思えない。
じゃあ、何が私にとって一番自分のためになることか。
・うっかり好きな人奪われないような魅力ある女になること。
・切れない関係の人をいつまでも恨まないで、あったことはあったこと、と割り切ること。
だと思う。
「人は一人では生きられない」なんて中学生が言いそうなキレイゴトを簡単に受け入れるほど、私の心は素直じゃありません。
最近の私は、人の考え、人の感情を受け入れるなんて、自分の個性を消すだけだと思ってた。
自分の個性を捨ててまで、周りに合わせる必要なんてあるのか。
自分の個性を捨ててまで、モテる必要があるのか。
こんなことを真剣に考えてました(笑)
でも、自分の個性だけじゃ、生きられない。
自分の個性の先にあるのは、大切な人であったり、見ず知らずの人だったり、誰かしら自分以外の人がいる。
自分の個性の目的は、自分以外の人。
他人の考えや感情、他人の個性を受け入れない人が、他人から自分の個性を受け入れられるなんてありえない。
でも、雑誌に多い、「モテ」の風潮には疑問です。
自分の個性を大多数が好きなものに設定してるだけに感じちゃうんです。
そりゃ、モテた方が人生ラクだけどね(笑)
ただ、モテることを人生の目的にはしたくない。
私は自分の変な部分が好き。
そういう意味じゃ、モテ服は私向きじゃない(笑)
でも、ただ変なだけじゃ、ただの訳わかんない人。
そんなの嫌だよ。
変な私を受け入れてもらいたい私だからこそ、私は他人を受け入れなくちゃいけない。
こんな感じで、ここ何週間は、他人と私の関係性について考えてました。
田口ランディさんの本読んだり、実家で家族と久々に長く一緒にいたり、地元の気を遣わない友達や、大学の友達と楽しくすごしたりして、出た答えが、以上の通りです。
「他人あっての私。」忘れんな。
引越し直前だというのに、飲み会が縦続きにあります。
でも、明日も明後日の飲み会も、間違いなくいい精神状態で挑めそうです☆
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