ブログ de なんで屋 @東京

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暴走する「検察」

2009-12-28 21:40:38 | テレビの共認支配を暴く!
2009年も色々なことがありましたね。
今回は、様々な事件に実はよく登場している「検察」
例えば、小沢一郎秘書の逮捕や鳩山由紀夫のお金に絡む一連の問題などこれでもかというほどの民主党への風当たりがキツイ。


この暴走する「検察」に焦点を当ててみたいと思います。

暴走する「検察」①~検察権力の強大さ~(るいネット)

●別冊宝島Real041号『暴走する「検察」』
イントロダクション「誰も手をつけられない“伏魔殿”」より

検察権力の強大さを、いったいどれだけの国民が知っているのだろうか。
彼らは、ありとあらゆる犯罪被疑者を「起訴」(裁判所に被疑者の審理・裁判を要求)する権利を独占的に与えられている。被疑者は、検察官がクロだと思えば起訴されるし、そうでなければ起訴されない。つまり、検察官は国民を“自分の裁量”で法廷に引きずり出す権限を持っているのである。

この権限に比べたら、警察の力など取るに足りないものだ。警察官は、被疑者を捕まえて、犯罪の証拠を揃え、検察に引き渡す。後の判断は検察がすべて行うわけで、警察官はそれに口出しできない。要するに、警察官など、検察官から見れば使用人のようなものなのである。

そんな検察権力の象徴が、お馴染みの東京地検特捜部だろう。田中角栄元首相から、近年では鈴木宗男代議士に至るまで、大物政治家を次々と逮捕・起訴してきたその力量は、他の追随を許さない。とてもではないが、自民党の顔色を窺う警視庁あたりには真似のできない力技である。

だが、そんな“日本最強の権力装置”の動向については、誰がチェックしているのだろうか。

検察官も人間である以上、その手に転がり込んできた“強大な権力”を必ずしも正当に行使するとはかぎらない。悪用することだって当然、ありうる話だ。ところが恐ろしいことに、検察権力の濫用にブレーキをかけるものが、この国には存在しないのである。

たとえば、日本の司法をつかさどる裁判所は、検察が起訴した事件に対して、なんと99%を超える異常な有罪率で応えている。“検察の言いなり”としか言いようがない。

では、行政機関たる検察庁を運営する内閣はどうかというと、その実権を握る政治家たちは、検察を敵に回したくないためか、めったに口を出さない。

検察がもっともその動向を怖れているマスコミにしても、田中角栄逮捕のころに喧伝された「検察ヒーロー伝説」の影響が残っているせいか、特捜部を“正義の味方”視する風潮がいまだにある。事件報道のネタ元である検察には楯突くことができないという業界の内部事情もそこにはあるが、いずれにせよ、大手の新聞・TVには、検察批判の報道がほとんど見られないのだ。


暴走する「検察」②~検察を捜査する機関が日本にはない~(るいネット)

これでは、検察官たちが増長するのもしかたがないだろう。

たとえば「国策捜査」と指摘される一連の強引な立件がある。犯罪性の有無を取り調べるという基本を無視し、国家の政策に都合がいいように、最初から起訴を目的にした捜査をすることだ。とくに、90年代半ばの「住専問題」のころから顕著になっている傾向だが、それが年々エスカレートしてきているとの指摘がある。マスコミのバッシング報道に乗じた、安易な起訴も目立っているという。

あるいは、繰り返される「冤罪事件」の問題もある。とくに、検察がしつこく上訴して敗訴を認めたがらないケースには、その真の理由が、単に“担当検察官の失点隠し”というものもあるようだ。人生を台無しにされた被告たちにとっては、あまりにも理不尽な話だろう。

だが、もっと大きな問題が別のところにある。「検察を捜査する機関が日本にはない」ということだ。政界にしろ官界にしろ、あるいは警察組織にしろ、不正があれば特捜検察のメスが入る。ところが、検察内部で不正があった場合、それを摘発するのも、結局は検察以外にはない。だが、自らの不正を喜んで明らかにする組織・人間が、この世にいるものだろうか――。


上記にように今年と限らず、検察の暴走はもはや誰も止められない、検察主権と呼ばれているくらいの状況になっています。
この状況を打破し、新たな可能性に迎えるのか2010年はどのような年になるのでしょうか

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1 コメント

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バカ言ってんじゃないよ (あおやまこうじ)
2009-12-31 08:39:05
どうやらミンス教?ぽっぽ教?汚沢教?らしい 検察の暴走? ぽっぽに汚沢 犯罪 犯してるじゃん 犯罪を検挙するのが仕事でしょう? 都合の悪い事は他人のせいか ばかじゃん
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