ロンドンだより-2011

演劇・美術を中心にロンドンの情報をお送りします。

ロンドンだよりー2007/ Tara Artsの稽古場から

2007年09月27日 | Weblog
本公演が始まりました。
プレビュー3日間どう変化したのかしらと思いながら観客の一人に・・・・
クロウディアから本番の前に「プレビューで変わったわよ」という事は聞いていましたが、役者達を見て「衣裳が・・・」と驚きました。でも、この驚きは気持ちが良い方です。以前6人の基本衣裳(着替えない常に着ているシャッツとズボン)は中世宮廷用の白いシャツと膝までの中世の黒半ズボンをはいていましが、それを上下白(インド男性の民俗衣裳的なスーツ)に全員変えたのです。私もプレビューの初日を観ていて役者の動きに対して少々衣裳の視覚的からくる軽やかさに欠けるのではないかと疑問をもったことを思い出しました。
公演後のパティーで彼女とこの話になり、クロウディアもプレビューの初日に何かしっくりこないものがとても気になり寝付けなくなり、白の上下という考えが浮かび直ぐ演出家のジャティンダーに電話をしたそうです。
彼も賛成して次の日には全員が白に変わっていました。先のブログで衣裳は殆ど変更ないと書きましたが、こういう事もあるわけです。でも、これが本当の芝居づくり!!舞台は”生きている”のですから。
日本では稽古期間も短いこともあり、このようなプレビューという大変有意義な“舞台創り”の方法を試みることが多くなく・・というか殆どないのです。もちろん、ドレス・リハーサル(衣裳を付けて本番と同じようにすること)は必ず行われますが、システムの違いからイギリスのプレビューのように、実際に演出家・舞台美術家や照明家が公演を観ながら創り上げていくという現場は与えられない訳です。イギリスの有名な演出家ピーター・ホール氏などは大体2週間はプレビューを行い(人気の演出家ですから半額近くで彼の作品が観られるとあってプレビューでも結構売り切れてしまうことが多々あります。)毎日変化させていくそうです。スタッフは大変だけど“良いものになれば”と皆文句などそうは言いません。

写真はアシスタントのマディリンがミランダの基本衣裳の上に羽織る赤の衣裳を女優さんの変わりにフィッテングしているところです。

nana**



ロンドンだよりー2007/ Tara Artsの稽古場から

2007年09月24日 | Weblog
プレビューがはじまりました。プレビューとは公演の試演を公開するという意味です。こちらでは正式な公演初日前のだいたい1週間をプレビュー期間として安いチケットで売り出します。演出家はピレビュー公演を観ながら更に演技や舞台を正式公演に向けてよい方向に構成していきます。また、役者達も実際に観客が入った劇場で反応を直接感じながら正式本番に向けて演技を完璧にしていく訳です。
もちろん、舞台は本番とまったく同じように行われます。照明などはこのプレビュー期間に多少変更されていくことがありますが、舞台美術や衣裳はそんな大幅な変更が出ることはありません。ですから舞台製作のスタッフはピレビューといっても初日をむかえるのと同じ!!忙しさには違いありません。
写真はピレビュー前夜の混乱と緊張の時・・いえいえ”妥協”を許さない厳しさはそれぞれのスタッフにありますが現場は相変わらず和気あいあいです。

nana**

ロンドンだよりー2007/ Tara Artsの稽古場から

2007年09月24日 | Weblog
タラ・アーツのテンペストでは6人の役者達がそれぞれ二役以上を演じるので衣裳も上着、帽子などを変えることで違う人物である感覚を観客に与える方法を取ります。私も同じ規模(少ない役者で何役も演じる)の公演をデザインしたときこの方法を使いましたが、(場所は渋谷の公演通リにかつてあった渋ジャン・ジャンという芝居小屋でした。あそこも客席80程度だったかな?)各人物の衣裳のベースの上は簡素にしていても客席は近いし、変わっていく過程も見えてしまうので、それぞれの場面をきちんと整理して役者達に説明しなければいけません。衣裳替えも戯曲の筋を支えていく訳です。

写真左はロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを卒業した衣裳製作のクレアさん、今回はエアリアルの衣裳をパターンからおこして製作しています。限られた予算で生地を選びなんとかイメージに近づけていきます。

今回は薄い黄緑・・・のはずが本番前にイメージが全体と馴染まず黒系にドレスを染めました・・が結局パターンをおこした白の元のドレスを着せることになったのです。
実はプレビュー前に仕事を終えたクレアはこの事を知りませ~ん。早朝からミシンに向かっていた彼女の姿が目に浮かんだのは私だけではないけれど・・
残念ながら舞台はこういう事が日常茶飯事なのです。如何に紙の上で考えている事と現場が違うかということかな?
そうなのです舞台は生き物なのです。美術家も役者の演技のつくり方よっては最初のイメージを役者達の動き合わせて変えていかなければならないことが多々あります。コース出たてのころは、この私も自分のイメージが変えられていくことに憤慨を憶えたこともあったのですが、舞台は生き物という考えに少しずつ慣れて臨機応変に現場に対応できるようになりました。でも、自分が信じる心(シン)は揺るがしてはいけませんよ。絶対に!!

写真向かって右はタラ・アーツの舞台美術家(シアター・デザイナー)で私がロンドンでシアターデザインを勉強したモッテリー・シアター・デザインコースの先輩クロウディア・メイヤーさんです。

nana**

ロンドンだよりー2007/ Tara Artsの稽古場から

2007年09月17日 | Weblog
舞台の色塗りは床を掃くために使われるような大きなブラシで大まかに色を広げていきます。体力勝負!!のみ(笑)の仕事です。クロウディアの二人のアシスタントもフル回転です。大きなプロダクションになるとシニックペインター(背景ぺインター)に任せますが、できれば常にスタジオに通って色やテキスチャーをチェックすることはとても大切!!Tara Artsは劇場で仕事ができるので小さい舞台空間でもデザイナーにとってはとてもラクチァリーなことだと思います。

nana**

ロンドンだよりー2007/ Tara Artsの稽古場から

2007年09月17日 | Weblog
舞台の色塗りが始まりました。板の木目を生かしたいというデザイナーの希望に合わせ絵の具の色合いを決めていきます。が・・板に色をのっけてみるまでなかなか色のデンスが見えて来ないことが難しいのです。その上舞台は照明もあたるのでその事も考慮にいれながら色合いを考える必要があります。

ロンドンだよりー2007/ Tara Artsの稽古場から

2007年09月15日 | Weblog
昨夜セットが組まれたので本日は午前中に通し稽古、そして、来週のテクニカルに向けて午後からは装置のペインティングが行われます。本日以降は舞台の製作などテクニカルな時間が多くなる訳です。もちろん私も参加!!デザイナークロウディアにとっては直接舞台の色と向き合う緊張感に満たされる至福のときかな(?)
彼女のイメージに皆で仕上げていきます。Taraの舞台スペースは5m×8m×高さ3mとかなり限られています。その中でジャティンダーとクロウディアはテンペストの「場所」においてのコンセプトとして「コーナー(角)」「行き止まりになるポイント」ということに思いを巡らせイメージを膨らませたということでした。壁も床も同じ木板になるそうです。いよいよ「なにもない空間」がプロスペロー(シェークスピア)の孤島に変貌していく訳です。
衣裳の方も着々に進んでいます。デザイナークロウディアの周りには素敵なアシスタントが集まります。写真はブリストル・シアターデザイン・コースを今年卒業したばかりのマデリン(向かって左)と大学でジャーナリズムと演劇を勉強しているポウリーンです。クロディアの人柄と後輩への気配りが衣裳直しや製作の現場を和気あいあいとさせるのでしょう。仕事の進み方の速さもこんなところが影響していると思います。

ロンドンだよりー2007/ Tara Artsの稽古場から

2007年09月13日 | Weblog
「テンペスト」の稽古は着々と進んでいます。アーデン版を使っているという演出家の解釈も入った上演台本を見ながら稽古場の役者達の演技を見ていて、ジャテインダーがかなりカットをしたのかなと思うほどの場面転換のスピィデーさを感じました。さっそく稽古後クロウディアにそんな印象を話したところ「NANA(ナナとこちらで呼ばれている)言われるまで気が付かないかもしれないけど実は「テンペスト」って本読みでほんの1時間半程度の戯曲なのよ~ジャテンダーは殆どカットしていないわ。」と返答がかえってきました。そうか!ということは役者の台詞に勢いがあるということなのかしら・・やはりシェークスピアが書いた母国の言葉(WARD)で語られると作家が言葉を使って探していた勢いと感情が的確に彼の意図として伝わり身体に移行していく過程で本筋を捕まえやすく体の動きを発展させていくことに大いに適していることになるのかしら、となると翻訳劇というスタンスでシェークスピアを常に考え演技に移行させていかなければならない我々日本人はどうするのかしら・・う~ん!!
今日のダメだし(演出家が稽古またはその日の公演を観て役者達または個人に対して意見やそれぞれの演技に思うことを伝えること)でジャティンダーがミランダを演じる役者に対し人物(特にファーディナンド/ミランダの夫となる人)近付きすぐるなという指示に引きつけられました。
シェークスピアがこの「テンペスト」の「アイランド」(孤島)で語ろうとしている場所は”無限大”であるが、その”無限大”の”発信点”(センター)は常に役者(役をつくるひと)の中心であると確認させていたことはとても印象的でした。
言葉/身体/空間 まだまだ考えていかなければなりませんね。

nana**

ロンドンだよりー2007/グローブ座

2007年09月10日 | Weblog
ロンドンのサウスバンクにあるシエークスピアの劇場として人気のグローブ座。
いま、ちょうどシーズン(5月~10月)中で賑わいを見せていました。以前ここでプロダクション・マネージャーをしていた友人に誰もいない劇場の中を見せてもらう事が出来ました。客席にひとり坐っていると周りに中世の観客のオーラを感じてしまいますよ。もちろん観劇もそんな気分に誘ってくれます。ロンドンに来たら是非立ち寄って下さいませ。

ロンドンだよりー2007/ Tara Artsの稽古場から

2007年09月10日 | Weblog
テンペスト(あらし)はシェークスピアが最後に書いたといわれ日本でも人気のある作品のひとつですが、けして物語の内容は陽気な気分にさせてくれるようなものではないかもしれません。私のシアターデザインコースの先輩でもありTARA ARTSの装置と衣裳のデザイナーであるクロウディアとこの話になったとき、プロスペローに感じるのは彼女は「闇、怒り」であると。確かにそうかもしれない、またプロスペローのミランダ(彼の娘)に対する過酷さが目立つと・・・それは、シェークスピアの作家としての人生の旅路が終盤にさしかかってきたことに何か鍵があるのか?稽古は今日からその真髄に迫っていくのかな?演出家ジャティンダーが役者達に呼びかける「なぜプロスペローは絶えず何かとりつかれているのか?」「なぜキャリバンは・・・」ほんと、この「なぜ」が芝居には大切な「問いかけ」であり、たまらなく芝居づくリの面白いところなのです。

nana**