名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

¶ 【パリの屋根の下ーロマノフ家の遺産】 名邑十寸雄著

2017年09月10日 | 日記
 皇女アナスタシア・ロマノヴァをモデルにした物語は、映画など巷に溢れている様です。余りにも有名に成り過ぎてしまって、真実味の無い作品ばかり。とは云え、行方不明の事実そのものに深い意味がある訳ではないゆえ、本来文学には合わないエピソードと云えるかも知れません。イングリッド・バーグマンが2度目のアカデミー賞主演女優賞を得た名作「アナスタシア(邦題:追想)」は、死後DNA鑑定で別人と認定されたアンナ・アンダーソンをモデルにした架空の物語です。失踪の謎や事実そのものにこだわれば、失敗作となる様に思います。その点、己自身の起源を捜し求め様としたこの傑作映画は名優が勢ぞろいした素晴らしい名画と云えるでしょう。

 つい最近、新たなアナスタシア伝説の推理譚が完成しました。

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 どの作品にせよ、具体的に説明しない箇所に必然的な流れを生み出す伏線があります。余程注意深く読まないと、読者には分かりません。しかしながら深層心理には残るので、読後感に違和感がないのです。分かり易く面白い部分も多々あります。それは、推理ドラマのどんでん返しだけでなく、ひっくり返された真相の背後に隠された人間模様と云えるでしょう。

 可笑しみは郷左六の乱暴な捜査方法とトリック話法にあります。パリ警察のゴーギャン署長が「魔法使い」と評する様に、郷左六という名捜査官は警察関係者や名探偵とはかなり異なる。何故そうなるかと云うと、現実の犯罪事件に鍛えられているばかりでなく、人惑を超えた生命の法則を直観しているからなのです。人類の法的システムには重大な欠陥がある。偽りの物的証拠と多数決の証言に頼る点です。尚且つ、裁判官や弁護士は実社会の経験に乏しく、論理の陥穽や間違った法的観念に囚われている。必然的に約五割の誤審となりますが、これは多くの名弁護士が異口同音で力説する様に確固たる事実です。そして、間違った判決が判例となり級数的に広がる。それが創世記から続く法制度の実体であり、改革は容易ではない。正義や真実の入り込む余地は、ほんの僅かしかありません。警察関係者は、このシステムを前提に証拠固めせざるを得ない。郷左六は、法廷向けとも云える作為的な物証や証人の虚偽発言の真相を観抜きます。物証は無くとも、確実な状況証拠を整合させながら事実を導く処が、最高の刑事捜査官と云われる所以です。裁判官や弁護士には理解出来ませんし、人類の裁判制度では無効とされる。しかしながら、真相はそこにしか無いのです。

 一つひとつの些末な現象は何の意味も無い様に観える。しかしながら、事件の全体像を捉えると郷左六の論拠には反論の余地がありません。ゆえに、真犯人は自白せざるを得ないのです。事件解決に協力する大泥棒ドパルデューも似ています。現場の無意味な怪奇現象に騙されない。禅思想でいう一即多の多、詰まりは犯罪の全体構造を把握し矛盾を本質的に見破る。そこにこそ、正しい推理理論があります。パズル・ゲームの様な謎解きと異なり、現実社会でも役に立つ思考方法そのものに面白さがあるとも云えます。この物語では、ほんの僅かな偶然で連関する多くの事件が連鎖的に解明され、大団円ではあっと驚く展開になっております。

 郷左六とドパルデューだけでなく、この物語には犯人にひと回り大きな魅力があります。そこが、文学本来の面白さと云えるでしょう。推理や捜査は、謂わば道具に過ぎない。怪事件の背後に現われる真実や覚醒が、物語の核心です。拙著「血文字の遺言」は、特別捜査官・郷左六の魅力を描いた物語ではありません。天才捜査官を煙に巻く十連続殺人犯こそがドラマ全体の主人公だったのです。「主役の左六と右近を喰ってしまうあのお祖母ちゃんの存在感が最高」という御意見が、某新聞社の編集委員他出版関係者を始めとして多々ありました。
 その点、「ロマノフ家の遺産」にも似た様な構造がある様に思います。意図的に計算した訳ではありません。現実的なプロセスに自然と生じたプロットなのです。似た様な構成の推理小説は、撲の知る限りありません。何故だろうかと不思議にも思います。恐らく、犯人は逮捕されるか死亡するものと考えるのは、書く側に過酷な現実世界の経験と正しい思想が不足しているからの様にも感じます。と本音を述べると非難殺到となるので、それはさておき。

 推理小説の醍醐味と人間ドラマの感動に触れたい方々は、是非お試しになる事をお勧め致します。読後の感想で多かったのは「犯人は前半を読んで分かった」という御意見です。さて、それは一体誰の仕掛けでしょうか。穿った御意見では「物語の意外な展開と犯人の言葉に感銘を受けた」という感想がありました。

 巻末の「巴里の屋根の下」というシャンソンの名曲を御存じの方々は、余韻が大きくなります。小説は文字の藝術ではありません。言葉の背後にある思想が文学の命とも云えるでしょう。そこに名曲のメロディが重なると、感銘が果てしなく広がるのです。死を予見した親から子へと伝わる真情、禅思想で「伝は覚」という概念が底流に流れているのです。

 政治や革命の観点は全くありません。しかしながら、隠れたモチーフは重要です。【巨額の遺産は、どの様に使われるのだろうか】と云う期待です。世界を覆う無知と貧困を改善し、愚かな戦争や虐殺を止める願いが、家族を殺され祖国から追放された犯人の心にある。郷左六は、その点を見抜きます。彼女にこそ、世界を救う力がある。だからこそ、正しい見地と無私の行動力を持つ彼女に、莫大な遺産の秘密を明かすのです。そこに、この推理劇の核がある。主人公が委ねられたのは、人類の未来そのものと云えない事もありません。




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