五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

玄奘さんの御仕事 其の壱拾九

2005-06-08 21:49:04 | 玄奘さんのお仕事
■サンスクリット文法学は、世界最古の文法学だと書きましたが、仏教文化との関係では、別の見方が出来るようです。紀元前1200年頃に成立した『リグ・ヴェーダ』は、自然現象を神々の姿と活動だと解釈して、神々を讃えて祝う祭儀の言葉を並べたものです。時代が下るにつれて、だんだんと哲学的な要素が加えられて、一番新しい文章には独自の哲学的思弁が始まっている事を示しています。祈りは言葉ですから、古代のインド人達は、「言葉」に特殊な力(シャクティ)が有ると考え始めた最初の部族と思われます。

■人は、「言葉」で元気になったり、悲しい気分になったりします。人を笑わせたり、怒らせたり、酷(ひど)い「言葉」で精神を破壊したり、自殺に追い込んだりすることも出来ます。神々を喜ばせて、自然災害や異常気象を避ける祭儀が盛んになるのは、人と神の心は同じものだという解釈が前提されています。こうして、必ず幸運を呼ぶ「呪文」と、敵対する憎い相手を害する「呪文」も作り出されるというわけです。今でも、占いやお呪(まじな)いは人気が有りますなあ。人は余り進歩していないのかも知れません。

■『リグ・ヴェーダ』から『ウパニシャット』が生まれます。ウパニシャットというのは、「奥義書」とも訳されますが、「間近に座って畏(かしこ)まる」という意味です。師匠から直接「言葉の秘密」を伝授して貰うことを意味しているとも考えられます。紀元前6~5世紀に大発展したウパニシャットは、紀元前4~3世紀に最終的な完成期に入ったようです。釈尊が活躍した時期は、ウパニシャットの発展期と重なっていることが分かります。ですから、仏教は誕生の時から、ヴェーダやウパニシャットと縁が有ったということです。釈尊は、小さいながら都市国家の指導者階級の出身ですから、当時の文化と教養を習得していたと考えられますし、その限界を破らねば涅槃(ニルヴァーナ)は得られない、と釈尊が考えた時に仏教は始まったとも言えるでしょう。

■古代インド哲学が把握(はあく)した「言葉」は、とても深いものでした。それは「想像的な力」です。シャクティという意味深な音に馴染みは有りませんか?オウム真理教の「尊師」が、信者のオデコに手を当てて流し込んでいたのが、シャクティだと言っていましたから、随分多くの日本人がこのインドの言葉を覚えてしまったのではないでしょうか?あのシャクティは、高額の値段が付いていたようです。ウパニシャット哲学では、力(シャクティ)は言葉そのものであり、「意識(シッティ)」であり、「気息・生気(プラーナ)」である。人間と宇宙、生命と物質と精神、これらは「言葉=力」によって結び付いて活動している!という結論になるようです。この伝統に則って密教文化が出て来るのですが、それと釈尊が見つけた教えとの関係は、単純に結び付けられるかどうか、それは難しい問題です。

■それはそうと、古代インド人達が「言葉」に対して持った異常な好奇心が、世界最古の文法規則の発見に導いたことは間違いないでしょう。サンクリット文法では三人の聖人が尊崇されます。勿論、最初はパーニニさんです。次は、紀元前3世紀に活躍したカーティヤーヤナさんで、三番目が紀元前2世紀頃のパタンジャリさんです。ちょっと業績を紹介しますと、パーニニさんは『八章の書(アシュタードヤーイー)』という文法書を残しました。実物の日本語翻訳本も有りますが、何が何やらさっぱり分かりません。格変化に伴って音と綴り方が変わることを、辞書のように単語を羅列してるというトンデモない本です。自分の耳で音を拾い、自分の脳味噌だけで単語を網羅したとすれば、人間ではない!と思わせてくれる本です。一度だけ手に取って数頁に目を通しましたが、ゾーッとした経験が有ります。

■そんな恐るべきパーニニさんの聖典を、少しは読み易くしようと、カーティヤーヤナさんが簡潔な注釈書『ヴァールティカ』を作りました。この本もトンデモない人類の遺産なのですが、実物は未見です。パーニニさんの偉大な名前に負けずに、パーニニ理論を批判的に検討して、補足・修正まで加えてしまったそうです。経済の発展時代でもありましたから、文化活動が急に盛んになって識字階層の人口も増えたようで、パーニニさんの時代には無かった言葉も増えたことが、カーティヤーヤナさんにこの貴重な本を書かせたのでしょう。そして、第三の聖人・パタンジャリさんです。この人は、先の聖人二人の業績を学び尽くして、更に読み易くしようと、散文問答体、つまり対談形式で『大注解書(マハーバーシャ)』という本を書きました。この書き方がとても評判が良かったので、その後のインドの学問的な著作が同じスタイルで書かれるようになって、その伝統はそのままチベットにも流れ込んでいます。そもそも、仏教経典の多くも、対話形式になっていますね。

■この三人の聖人が、あまりにも偉大だったので、サンスクリットの文法研究はすっかり停滞してしまったようです。その後、インド亜大陸は戦乱の大動乱期を通過しますし、文化敵にも論争と創作の時代になって、とうとう文法学は衰退してしまうのです。捨てる神がいれば拾う神もちゃんといらっしゃる、というわけで、バルトリハリという人物が現れて、パーニニ以来の文法学の伝統を復興してくれました。この人が出現しなかったら、仏教も大きな打撃を受けたことは間違いありません。何故なら、「仏教論理学の祖」と呼ばれる陳那(ディグナーガ)さんが、バルトリハリさんの著作を引用している事でも明らかなように、仏教は言葉に対して厳格な姿勢を保ったことで大発展したのです。その基盤が体系化された文法学でした。ディグナーガさんの生涯は、紀元後480~540年頃だと考えられているので、バルトリハリさんは紀元後450~510年頃の人生を送ったのであろう、と推測できるのですなあ。

■余り、詳しくインドの古い文法学の講釈をするのは、読者の皆様には御迷惑でしょうし、書いている方の無学を晒すだけでしょうから、この当たりでこの話は終りましょう。もっと、詳しく知りたいぞ!という奇特な方は、


平凡社の東洋文庫
632『古典インドの言語哲学 1 ブラフマンとことば』
638『古典インドの言語哲学 2 文について』


という有り難い本がお勧めです。赤松明彦さんが、バルトリハリの主著を全力で翻訳して、懇切丁寧な訳注と解説を付けて下さっています。神秘思想に興味の有る方は、(1)が面白いでしょうし、言葉に興味の有る方は(2)に驚かれることでしょう。

其の弐拾に続く。

------------------------------------
玄奘さんの御仕事特集 目次

■こちらのブログもよろしく
旅限無(りょげむ)本店。時事・書想・映画・日記
雲来末・風来末(うんらいまつふうらいまつ) テツガク的旅行記
--------------------------------------


最新の画像もっと見る