スタートダッシュなど、静から動への素早い切り替えと共に重心を移動させる時の要領に「膝を抜く」というのがある。
普通に立っている時に、いきなり後ろから膝裏をトンと打たれると、体勢がガクンと崩れて前方によろめいてしまう。
この、いわゆる「膝カックン」のイメージで膝にかかっている荷重を外して、地を蹴るような無駄な予備動作を不要にするのが「膝を抜く」という動きの概要だ。
ただ、この手の「ちょっとしたコツ」というのは、意識し過ぎると逆効果になりかねない。
膝を抜くことでいうなら、あまり強く意識し過ぎると、その場に座り込むような動きが強くなってしまう。
目的は素早く水平移動することだから、沈んでしまってはいくら予備動作が減っても意味がない。
起動はあくまでも骨盤が先行して、その結果として膝が「抜ける」ことで効率的な水平移動ができる。
だが人間は、意識を強くかけた部分に無駄な力が入りやすい。
骨盤を先行させようと意識し過ぎれば、その周囲に余計な緊張が生じやすくなる。
それに体は中心に近付くほど鈍感なので、骨盤周辺などは意識の加減が難しい。
例えば、みやすのんき氏が提唱されるように大転子を意識すれば、意識は置きやすいが慣性モーメントが大きくなりやすい。
では手塚一志氏が提唱するように、弓状線を意識したなら、慣性モーメントは小さくなるが、位置的にイメージも意識も難しい。
一長一短であり、どちらが正しいというよりは相性の問題かもしれない。
かといって意識の置き所に迷っていたら、敏感な足先に意識を持っていかれて、それこそ小手先の動きになってしまう。
となると、それなりに敏感かつ末端ではない膝に意識をかけるのは、それなりに現実的な落とし所かもしれない。
まあ最終的には、どこに意識を置くかというより、無意識に動けるのが理想なのだが。
普通に立っている時に、いきなり後ろから膝裏をトンと打たれると、体勢がガクンと崩れて前方によろめいてしまう。
この、いわゆる「膝カックン」のイメージで膝にかかっている荷重を外して、地を蹴るような無駄な予備動作を不要にするのが「膝を抜く」という動きの概要だ。
ただ、この手の「ちょっとしたコツ」というのは、意識し過ぎると逆効果になりかねない。
膝を抜くことでいうなら、あまり強く意識し過ぎると、その場に座り込むような動きが強くなってしまう。
目的は素早く水平移動することだから、沈んでしまってはいくら予備動作が減っても意味がない。
起動はあくまでも骨盤が先行して、その結果として膝が「抜ける」ことで効率的な水平移動ができる。
だが人間は、意識を強くかけた部分に無駄な力が入りやすい。
骨盤を先行させようと意識し過ぎれば、その周囲に余計な緊張が生じやすくなる。
それに体は中心に近付くほど鈍感なので、骨盤周辺などは意識の加減が難しい。
例えば、みやすのんき氏が提唱されるように大転子を意識すれば、意識は置きやすいが慣性モーメントが大きくなりやすい。
では手塚一志氏が提唱するように、弓状線を意識したなら、慣性モーメントは小さくなるが、位置的にイメージも意識も難しい。
一長一短であり、どちらが正しいというよりは相性の問題かもしれない。
かといって意識の置き所に迷っていたら、敏感な足先に意識を持っていかれて、それこそ小手先の動きになってしまう。
となると、それなりに敏感かつ末端ではない膝に意識をかけるのは、それなりに現実的な落とし所かもしれない。
まあ最終的には、どこに意識を置くかというより、無意識に動けるのが理想なのだが。