それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

(その1)無期懲役囚・飯田博久氏からのメッセージ…麦の会著『死刑囚からあなたへ』

2017-08-18 19:24:57 | 死刑反対派団体「麦の会」

麦の会著『死刑囚からあなたへ(第2集)』(1990年)P.250より抜粋。長文ですので、記事を数回に分けます。

私は彼の記事は、名文だと思っています。

 

飯田博久
1946年12月21日 栃木県に生れる
1973年9月22日 連続殺人事件で逮捕
1977年3月31日東京地裁(林修裁判長)にて死刑判決
1982年11月30日東京高裁(船田三雄裁判長)にて無期懲役判決
1989年10月25日最高裁(定家克己裁判長)にて上告棄却、無期懲役が確定
現在、刑務所にて服役中
著書に『赤い鳥を見たか』(現代書館刊)、
事件については『怯える殺し屋』(松永憲生著、JICC出版局)がある

参考:飯田博久さんの「とらえなおし」について

 

以下、麦の会著『死刑囚からあなたへ(2)』(1990年)P.250より

殺人・残虐・克服 

飯田博久

最近、幼児誘拐殺人や、女子高生誘拐監禁殺人コンクリート詰めなどをはじめとして、色々な殺人の残酷さが被害者遺族や、被疑者とされた人の承諾をとった上とは思えない実名で報道されています。 

私自身もこれまで被害者、つまり私の殺してしまった3人の方々を実名で言って来ていました。 
実名報道一切がいけないとすると、私達は歴史上の人物を後代に伝えられません。
しかし、犯罪報道では、現在生きている人々の生活に関わることとの関係で、その妥当性が常に問われると私は思います。その点で、私の場合は、私が殺してしまった方々の名を実名で言う理由が、プライバシー尊重を超えないので誤っていたと今は反省しています。

週川文春は、少年法61条の禁止条文に反して実名恨道しています。控訴の提起前の報道は禁じてない、という解釈でもしたのでしょうか。

犯罪の内容が残酷であればある程、そのような行為を怒り、憎悪していくのは当然のことであり、私自身も、殺したというだけではなく、おぞましい死姦すら行った者として、皆さんから憎悪されて当然の人間です。 

死姦は、女性を殺した後の祟りが恐ろしくて、その女性の死後を支配したいという思いと、共犯に対しての度胸の誇示という思いを中心におこなってしまいました。

女性が、性的に男性に支配される……男にやられてしまうと女はその男に従ってしまうのだ、という、女性への性交支配の観念を当時の私はもっていました。そういう観念をいつもったかは知りませんが、結婚を約束したS子が、ZNBというバンドの男らに睡眠薬を飲まされて浅草の吉原の旅館で輪姦されたにもかかわらず、そのバンドの後を追っていってしまった事がその一因であると考えています。このような女性への偏見が作られていった事情がどうあれ、私か死姦を行ったという事実にはかわりありません。憎まれて当然の極悪人なのです。

朝日新聞4月6日朝刊の漫画「フジ三太郎」では、死刑廃止の署名をした三太郎が前述冒頭のニュースに接して、死刑廃止に拒絶を示す、というものでした。犯人への怒り、その行為への怒り、憎悪が、犯人の処遇への態度を変えさせたのでしょう。

この憎しみによる態度は、少年を実名で報道する憎悪の論理と一脈通じるものがありはしないでしょうか?

 

憎悪のゆくえ

上の図を御覧になって下さい。そしてその思いを記憶してみて下さい。メモされてもかまいません。この先を読まないで、まず図の印象を意識していただきたいのです。図を御覧になってどんな印象を抱かれたでしょうか。 もっともっとリアルに描きたかったのですが、絵が未熟なのと「わいせつ」文書として取締りにひっかけられると困るのでやめました。

図は、強姦と殺人(絞頸)の同時に行なわれているところです。男の陰茎は勃起し、処女膜を破って女の膣内に挿入され、首を絞めている指は女の舌骨を折り、頸動脈の流れをほとんど止めていると考えて下さい。 私は今、これを読まれているあなたに怒りや不快さを感じてもらいたいと思っています。図とその説明文にいやらしさや気味悪さ、怒り、憎しみetc不快な感情を感じていただければ、私の言わんとするところもっていただけるのではないか? と思うのです。

さて、あなたは、どんな感情を持ち、それをどういう風にしたでしょうか?強姦犯罪の嫌らしい無残な絵を描き、露骨な手前勝手な文を書いてたれるいいましい奴だな、と私へその感情を向けられた方はいないでしょうか? 図も文も私か作りだしたものですから、私へその図と文から生じた怒りを向けられるのはやむを得ないのかも知れません。

しかし、そういう方は、私か、図や文でなにを伝えたいのか? というメッセージが読みとれないか、わかりたくないのでしょう。 怒りがそのまま表現できない時、怒りは憎悪となると言われます。怒りにしろ憎悪にしろ表現を必要とする感情で、私かお伝えしたい事は、この怒りなどをどう対処すべきかという事になります。 強姦致死への怒りであるものを、図や文への怒りとか私への怒りとするおかしさはすぐ気付かれますが、強姦致死犯罪を怒っていても、そういう犯罪はなくならないということには気付き難い人が多いのではないでしょうか?

強姦致死への怒りは、そういった犯罪発生の原因に向けられて、原因を解体・解消していくことに向けて表現されてこそ、強姦致死はなくなると私は思うのです。

怒りや憎悪が向いている対象との結びつきは強力なので、怒りの対象をその人間からはずして、強姦致死に行動させた原因の方に向けかえるのは簡単ではないでしょう。ましてや感情そのものを、怒りから愛に変えるなどは難事中の大難事でしょう。3人もの人を殺し、一人の人に死姦までおこなった私かこんなことを言っても、中々信じていただけないかも知れませんが、殺人をうみだす原因に怒りを向け加えつつ、その原因を解消するにはそうするしかないのです。


憎悪と死刑廃止

私は、死刑廃止の訴えは、殺人犯人への死刑をやめるようにというだけ のものではなく、社会からあらゆる殺人を無くす為の不可欠な条件のひとつと考えています。 

私は、人は他の人々と共に生きる存在であるととらえ、この、共に生き る関係から、そうされる道理のない不当な抑圧や差別を加えられて(疎外)くると、私達の誰もが、そうしたことをする相手やモラル、あるいは その相手に属する事柄への意味を感じにくくなったり、共感する心を失ったりする、と思っています。  
私か三人もの人を殺したということを、私自身のやったこととして受けとめられるようになる前は、共犯のSやFに命じられて仕方なく殺しだのであり、命令にそむけば、殺人の秘密に関った者として囗封じに殺される 危険があったからやむなく命令に従った、と思っていました。今思えば、 まるで自分のした殺人をとらえられない私だったのです。自分はこう思っ た、こう言われた、と自分の体験を思い返して言うだけでした。
私は長いこと、私自身をも他者のように考えて、考えていることや、やってきたこと、やろうとしていることの意味を検討するということが出来ない人間でした。つまり、自分で自分を観察する、そして評価するということができない人間でした。

自分を捉え、状況を捉える、そういうとらえかえしが出来るようになって、殺人についてもそうしていた時、母を殺せと命じられたら俺は従っただろうか?と自問して、その時は母を殺すなどとんでもない、逆に命令 者と生命がけで戦うだろう!と思いました。
ではなぜ、母ではない三人への殺人「命令」には、仕方がないと感じた のか? なぜ殺せたのだろうか? 母は殺せないのに……と思い、そこで 殺人には、
なぜ、殺すのか 殺したのか という動機と、なぜ、殺せるのか 殺せたのか という抑制力 の二通りの原因があることを発見しました。殺せないのは母を愛している からであり、三人を殺せだのは愛していなかったからでした。  
その愛を考え抜いてたどりついたのが、共感ということが、愛の本質だということでした。相手の苦しみを自分の苦しみのように感じる、相手の 喜びを自分のことのように喜べる、そういう共感性(心の通路)があれば 自分を殺す気になる時以外は相手を殺せないはずです。
この私には、三人の殺人を避けるだけの共感性がなかった!!この事はとてもショックでした。私はその原因を知りたいと思いました。
キリスト教では隣人愛を言い、教会に集まり、仏教は慈悲と言い、僧伽(サンガ)に集います。
マルクス主義では「万人は一人の為に、一人は万人の為に」と人民への愛や同志愛を言い、団結と集会に集まります。

 全てに共通して、共感と共同目的に向っての共同行動というものがあり  ました。   そして私は、二コヨンの子としてよく遊び仲間に入れてもらえず、青年期には「精神病者」としてパープー呼ばわりされていましたし、中学校では落ちこぼれとして孤立していました。そのことを合せて考えてみると、人間は本質的に他者と共に生きる存在なんだな、と思えました。
その共に生きる存在だ、という理解から考えてみると、マルクスは、生産手段の私有が、共に生きる関係を疎外して、共に生きる関係に障害を引きおこすから、これに反対した、とわかりましたし、仏教での巡礼がカサに「同行二人」と書くのも、仏・法・僧への帰依も、共に生きるということに他ならない、全てが因縁と共に生起するということからして共に、なのだと思いました。   キリスト教も、つまるところはキリストと共に生きるということであり、それは隣人と共に、ということでもあって、神道の祭りも、共に、ということと見えてきました。
社会構造には、共に生きるという面では、多くの反対面があり、共感を破壊する人間関係が制度的に作られています。進学で、仲間が多い程蹴っ倒し合いに勝たねばならず、普段でも成績評価によって競合を強いられたりしています。社会に出てもそこには、弱肉強食の原理で蹴っ倒しあいが商戦としておこなわれ、敗者には倒産や失業が侍っています。
共に生きる関係からの疎外は、共感性、つまり相手や出来事に対する開かれた心を失わせ、
無関心、無感動な状態や、共感することで伝わる意味の感覚からも切り離されるので、無気力で衝動的に行動するといった人々を作りだしますが、その一方で、「暴走族」という形で共に生きていることを体験しようとする人々もいるし、ゴルフ仲間、釣仲間、プロスポーツのファン仲間、芸能ファングループ、趣味同好会、集会参加、etc 共に生きるという関係が味わえるものを求めたりしています。
ここで気がっくのは、こういった共に生きる関係を持った仲間が、殺人を犯しても、自分への直接的関係がないかぎり、死刑にしろと主張されることは少ない、という点です。ニュースを調べた限りでは、犯人とは無関係の人々からしか死刑にしろという声は出ていません。
家族の誰かが殺人を犯しても、多くの家族は、更生を願い、刑の少いことを願いこそすれ、死刑を求めたりはしません。

私は、己のとりかえしのつかない殺人の実体を捉えかえし、共に生きあえる関係をねじくれさせて疎外するものを、自分と社会の変革を通じて直す(治す)という実践を―とらえなおし―と言っていますが、償うに償えないとりかえしのつかない殺人の「償い」として、殺人の低減化をめざすことを重要に考えています。その為には、憎悪のゆくえが死刑に、共感性喪失が殺人を可能にしてしまうことを皆さんにわかっていただかないといけないと思っています。

(その2)に続く

 

 


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