中曽根康弘「永世」内閣総理大臣!
英語に"presidential"という言葉がある。
まさしく「大統領らしい」品格・見識を備えた政治家に送る最大級の賛辞(形容詞)である。
我が国は、議院内閣制だから、presidentialという言葉はそのまま当てはまらないが、昨日の「防衛省移行記念式典」における来賓祝辞を述べられた中曽根康弘元総理は、まさしくpresidentialであった。安倍総理も、久間防衛相も、来賓その2だった瓦元防衛相も、(失礼ながら)見事に吹き飛ばされた。
お一人だけ、ノー原稿で臨んだ中曽根総理の祝辞は、現役・OBの文官・武官で埋め尽くされた満場を惹きつける魅力と、省昇格を心から喜ぶ温かさと、そして何より含蓄あふれる名演説だった。私自身が政治に強烈に関心を持ち始めた大学時代の総理大臣が中曽根氏であったことが大きく影響していようが、私にとっての総理大臣は、やはりいつまでも中曽根康弘翁ただ一人である。そんな贔屓目を差し引いても、昨日の演説は心に残るものであったし、おそらく防衛省の文官、武官を問わず深く感銘を受けたことだろう。
冒頭の、「この半世紀もの間、皆さんよく隠忍自重され頑張られましたね」と語りかけた言葉は、愛情に満ち溢れ、私たちの胸を強く打つものであった。そして、防衛庁創設前年の昭和28年、吉田自由党、鳩山自由党、重光改進党による三党協議(改進党を代表し、当時弱冠35歳だった中曽根氏が協議に加わっていた)における議論の中心が"civilian supremacy"(文民の優位=civilian control:文民統制とほぼ同義)にあったことを明快に解き明かし、三党協議の場に辻政信元関東軍作戦参謀(当時、衆議院議員)が乗り込んできて「統帥権の独立」堅持を叫んだのに対し、「統帥権の独立こそまさに敗戦の原因」と一刀両断したエピソードを紹介。半世紀前の国防組織復活の要諦は、まさにこの統帥権独立の否定、シビリアン・スープリマシーの原則にあること、そして、その原則は、決して武官に対する文官の優位を意味せず、「シビリアン」とは政治家であることを繰り返し述べられた。
演説終了後、会場は自然に大きな拍手に包まれた。アメリカであれば、とうぜんスタンディング・オベーションだったろう。日本にまだそのような慣習が定着していないことが残念だ。しかし、そのぐらい89歳とは到底思えぬ(失礼!)気迫に満ち満ちた名演説だった。(防衛省の方に頼んで、この模様を納めたビデオがあったらダビングさせていただこう!)政治家として、胸に刻み目に焼き付けておきたい老政治家の見事な立ち居振る舞いだった。
たしかに、中曽根総理の指摘したポイントこそ、今後の新生・防衛省の中心課題である。とくに防衛参事官制度などを果敢に見直して、真のシビリアン・コントロールを確立するために必要な、文官と武官が渾然一体となった新たな中央組織を構築しなければならない。そうすれば、新生防衛省は、文武のベストミックスで国民や国際社会から信頼される政策官庁となるであろう。私も微力ながら、その一助となる所存である。(読者の貴重なご意見に基づき、この段落の一部を加筆修正しました。2007-01-17)
まさしく「大統領らしい」品格・見識を備えた政治家に送る最大級の賛辞(形容詞)である。
我が国は、議院内閣制だから、presidentialという言葉はそのまま当てはまらないが、昨日の「防衛省移行記念式典」における来賓祝辞を述べられた中曽根康弘元総理は、まさしくpresidentialであった。安倍総理も、久間防衛相も、来賓その2だった瓦元防衛相も、(失礼ながら)見事に吹き飛ばされた。
お一人だけ、ノー原稿で臨んだ中曽根総理の祝辞は、現役・OBの文官・武官で埋め尽くされた満場を惹きつける魅力と、省昇格を心から喜ぶ温かさと、そして何より含蓄あふれる名演説だった。私自身が政治に強烈に関心を持ち始めた大学時代の総理大臣が中曽根氏であったことが大きく影響していようが、私にとっての総理大臣は、やはりいつまでも中曽根康弘翁ただ一人である。そんな贔屓目を差し引いても、昨日の演説は心に残るものであったし、おそらく防衛省の文官、武官を問わず深く感銘を受けたことだろう。
冒頭の、「この半世紀もの間、皆さんよく隠忍自重され頑張られましたね」と語りかけた言葉は、愛情に満ち溢れ、私たちの胸を強く打つものであった。そして、防衛庁創設前年の昭和28年、吉田自由党、鳩山自由党、重光改進党による三党協議(改進党を代表し、当時弱冠35歳だった中曽根氏が協議に加わっていた)における議論の中心が"civilian supremacy"(文民の優位=civilian control:文民統制とほぼ同義)にあったことを明快に解き明かし、三党協議の場に辻政信元関東軍作戦参謀(当時、衆議院議員)が乗り込んできて「統帥権の独立」堅持を叫んだのに対し、「統帥権の独立こそまさに敗戦の原因」と一刀両断したエピソードを紹介。半世紀前の国防組織復活の要諦は、まさにこの統帥権独立の否定、シビリアン・スープリマシーの原則にあること、そして、その原則は、決して武官に対する文官の優位を意味せず、「シビリアン」とは政治家であることを繰り返し述べられた。
演説終了後、会場は自然に大きな拍手に包まれた。アメリカであれば、とうぜんスタンディング・オベーションだったろう。日本にまだそのような慣習が定着していないことが残念だ。しかし、そのぐらい89歳とは到底思えぬ(失礼!)気迫に満ち満ちた名演説だった。(防衛省の方に頼んで、この模様を納めたビデオがあったらダビングさせていただこう!)政治家として、胸に刻み目に焼き付けておきたい老政治家の見事な立ち居振る舞いだった。
たしかに、中曽根総理の指摘したポイントこそ、今後の新生・防衛省の中心課題である。とくに防衛参事官制度などを果敢に見直して、真のシビリアン・コントロールを確立するために必要な、文官と武官が渾然一体となった新たな中央組織を構築しなければならない。そうすれば、新生防衛省は、文武のベストミックスで国民や国際社会から信頼される政策官庁となるであろう。私も微力ながら、その一助となる所存である。(読者の貴重なご意見に基づき、この段落の一部を加筆修正しました。2007-01-17)