倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

諏訪大社・御頭祭の由来

2006-11-05 01:25:46 | 歴史
 諏訪大社参拝のあと、以前から尋ねたかった「「神長官 守矢史料館」へ向かった。史料館は諏訪大社上社の前宮と本宮の丁度中程にあったが、案内板も殆ど無く、何度か土地の人に聞きながら漸く見つける事が出来た。「史料館」を尋ねた理由はそこに`御頭祭'についての資料が沢山展示されていると聞いたからである。私のブログ「諏訪大社にもイスラエル王国の影が」と題し、2005-6-26付けで諏訪大社の御頭祭について、一度紹介した事があるがもう一度お話したい。
ここに宮坂光彦氏の著「諏訪大社の御柱と年中行事」と言う本がある。宮坂氏は「諏訪大社の年中行事の多さは、他の神社と比べ物にならないほど多い」と書いている。多いだけでなく`御柱祭 'として有名な奇祭があるように、他の神社では見られない祭りが多いという。その中で御柱祭と並ぶ奇祭に、‘御頭祭’が揚げられている。御頭祭は別名‘酉の祭り’或いは`ミシャグチ祭り'とも言われ、毎年4月15日に上社・前宮の十間廊で行われている。現在は春の耕作前に神(ミシャクジの神・地母神)を迎え、豊作祈願神事を行うと簡単に記されている。本の御頭祭を示す写真には、祭壇に鹿の頭の剥製が捧げられ、祭壇の正面には何故か御杖柱と呼ばれる柱が祭られている。本の説明では「『この木の本にて神事有り』と言うように、御杖柱に鉄鐸を懸けて、ミシャクジの神を降ろして神事が行われる」としている。この神事を勤めるのは守矢家の神官である。
守矢史料館で入手した栞には、御頭祭の鹿を貢ぐ祭事、御杖柱などについて更に詳しく記されていた。それは今から220年前にこの地を訪れた菅江真澄翁(江戸時代後期の高名な文化史研究家)が御頭祭に立会った時の記述を、信濃教育出版部発行の「菅江真澄の信濃の旅」から引用し、栞に紹介している。以下がその要約である。
「十間廊には鹿の頭が75頭、真名板の上に並べられていた。その中には耳の裂けた鹿がある。・・・やがて神長が篠の束を解き、篠をバラバラにしてその上に敷く。その時長さ五尺あまり、幅は五寸ほどで先のとがった柱を押し立てる。これを御杖とも御贄柱(おにえはしら)とも言う。御神(おこう)と言って八歳くらいの子供が紅の着物を着て、この御柱に手を添えさせられ、柱ごと(子供も一緒と解釈したー筆者)人々が力を合わせてかの竹の筵(むしろ)の上に押し上げて置いた。下位の神官が待つ。そこへ裃を着た男が藤刀抜き放って神長官に渡す。(中略)・・・神楽が止んだ。例の子供を桑の木の皮を縒り合わせた縄で縛り上げる。その時男達は『まず、まず』と声を掛ける。・・・・そして長官の前宮で先の縛られた子供が解き放たれ祭りは終わった。」そして栞は次のような補足説明をしている。「・・・・神長守矢が司る祭りには遠い縄文時代のこだまが伝わっている。こうした狩猟祭祈の部分の他は、中々意味が取りずらく謎に満ちている。例えば紅の着物を着た子供を御贄柱と共に押し上げ、縛るのは何故か?かって子供は殺されたと伝えられている。」
以上が栞からの抜粋である。御贄柱とは‘生贄の柱’の意味であるから、栞の言うようにかっては子供が生贄として神に捧げられていたのであろう。守矢家の末裔にもその意味が解らない。
しかしこの謎を解いた人がいるのだ。「日本・ユダヤ封印の古代史」を書いた、ユダヤのラビ(牧師)M.トケイヤー氏である。氏はその著書の中で次のように記している。
「諏訪大社に伝わるイサク奉献伝承」と言う節で「聖書に書かれているアブラハムのイサク奉献伝承が、諏訪大社で祭りになっている。」と述べている。それではその御頭祭の基になったという聖書の話しを、氏の著書から引用しよう。
 旧約聖書の創世記22章:ある日神はアブラハムに「貴方の愛している子イサクを連れてモリヤの地に行きなさい。そして私が示す山の上で、全焼きの生贄としてイサクを私に捧げなさい」。このモリヤの地とは後のエルサレムである。アブラハムはモリヤの地でイサクを縛り、祭壇の薪の上に置いた。彼は刀を取り出してイサクをほふろうとした。その時天使が現れ、彼の手を止めた。「貴方が神を恐れることが良くわかった。貴方は自分の子さえ惜しまずに私に捧げた」と言った。アブラハムが目を開けると、そこに角を藪に引っ掛けている羊がいた。アブラハムはイサクの代わりに羊を生贄として捧げた。
以上が創世記のイサク奉献伝承である。御頭祭の菅江真澄翁の伝承とかなりの部分で共通点があることがすぐに理解できる。
M.トケイヤー氏の考察を紹介しよう。何故鹿が捧げられるかについては、古代日本には羊がいなかったので、似ていた鹿を捧げたのであろう。75頭の鹿の中に必ず耳裂け鹿が居たという伝承があるが、これは神の矛に耳が懸かった羊と関連があると思われる。アブラハムはモリヤの地に行くが、諏訪大社上社の御神体は裏の守屋山である。ユダヤ教では神ヤハウエを、モリヤの神と呼んでいる。
その他の生贄の話は説明するまでも無いほど、両方の話が酷似している。これほどまでに似た話が偶然現れるであろうか。御頭祭はその伝承の由来が伝わっていず、人々は祭りの行事が何故その様に行われるのか理解できないでいる。祭りは伝承して来たが、イサク奉献伝承の基の話しが失われ、仕種のみが残ったと考えるのが一番解り易いのではないか。
話を纏めよう。古代の倭国にイスラエルの失われた十支族の一支族が信濃に入った。彼らはアブラハムの子孫として、イサク奉献伝承を忘れずにいた。諏訪の地に落ち着いた彼らは諏訪湖のほとりに安住し、裏山の山を神ヤハウエ・モリヤの名を取り守屋山と名づけ、自らもモリヤ族と名乗った。その伝承を祭りにして残す事にし、祭りを司る長を守矢とした。現在の守矢家はその78代目である。 



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