倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

因幡(稲羽)の白兎の物語とは

2006-02-11 15:22:14 | 歴史
 大国主命主の時代とは、スサノオの時代から数えて6代を経過している。この時代大国主命は他の神々から虐めに遭っていたとされている。古事記ではこれを八十神の迫害として記している。その一つが「因幡の白兎」の物語である。この物語はここで説明するまでも無いであろう。ただこの物語の背景を私なりの解釈で説明しておきたい。
この頃の出雲の国は、スサノオの子孫達(八十神・大国主命の兄達))が国を細分化して治めていた。ちょうど戦国時代、尾張の国を織田一族が領地内を細かく分け、治めていたのに似ている。出雲の八十神はどれもどんぐりの背比べであったのであろう。その中で大国主命だけは「栴檀は双葉より芳し」で、その才覚が目立っていたため八十神に妬まれていたのではないだろうか。「出る杭は打たれる」の諺の如く、色々と虐めに遭っていた。
この「因幡の白兎」の時も、八十神(兄達)が隣の国の美しい姫を娶りに行く時、荷物持ちとして従者のように扱われている。そして因幡の浜でワニによって皮を剥がされた、白兎を助けることになる。これらの物語を歴史的事実を抽象化して伝えるものとした時、どんな歴史が見えてくるのであろうか。
出典が定かでなくなったので失礼するが(多分インターネットであったと思う)、以下のような歴史が隠されているという話に惹かれたので紹介する。
 この物語の主役の白兎は、この山陰道のどこかに居た兎荻族のことであろう。対するワニとはなんであろう。日本に昔ワニが居たとは考えられない。古代日本では鮫のことをワニと呼んでいたと言う。鮫族とすると海に長じた一族と考えられる。
九州に和邇族という海人族がいたという史実がある。この事から九州の和邇族が、山陽道まで進出してきて、兎荻族となんらかの敵対関係が生じていたのではないかと考えられる。海軍力に圧倒的に差の在る敵に対し、兎荻族は知略により和邇族を倒そうとした。作戦は成功したかに見えたが、土壇場で見破られてしまった。その結果、兎荻族は、領地は勿論、財宝の全てを奪われてしまった。それが兎の皮が剥がされ‘赤裸'にされたと言う表現になっている。
この史実を更に裏付ける話として次のような話があるという。それは大国主命が出雲王国の王になった後に、全てを失った兎荻族を哀れに思い、宇佐の土地を与えたと言う。この話が「因幡の白兎」の後半に、大国主命が赤裸になった兎の体を蒲の葉で包む事により、兎の皮を元通りにしたという話として語られたのではないだろうか。兎荻族はのちに宇佐族と呼ばれた。
 これらから見えてくることは、宇佐族と和邇族の戦いがあった時、時の王・大国主命が敗れた宇佐族を哀れに思って助けた話が、この「因幡の白兎」となったと言うことである。
この様にして古事記を読むと、裏に秘められた色々な歴史が見えてくる。
今まで古事記の神代記を「大和朝廷は『イスラエルの失われた十支族』の倭国侵略の物語である」と言う視点で読んで来たが、更にこの視点で読み進んで行きたい。

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2 コメント

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戸来村から「因幡の白兎」へ  (虚庵)
2006-02-11 23:58:37
青森の寒村に始まった「ヘブライ」の物語が、足を古事記の世界へ踏み入れ、益々の健筆を楽しみにしています。



ふみおけどかへしのなきはいささかに

さみしかりけりるすにたずねて



                    
無題 (へぶらいびと)
2006-02-12 01:09:50
 何時も何時も文を頂き、南に向かって最敬礼をしております。虚庵様に見ていただいていることが励みになっています。

なるべく留守にしないよう心がけますので、懲りずにお出かけください。

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