09年7月26日、妖艶なエコノミスト・浜矩子の富山県女性財団などが主催する「サンフォルテ公開講座」は最終盤を迎えた。
■だからどうする・・・・4つの秘策
という訳で、妖怪は飛び交うわ、衝撃は待ち構えているわ、悲劇はそこまで来ているわ、という状況の中で、じゃあ「我々はどうするんだ」というのが、4つ目の課題として私に与えられテーマだったわけで、これに対しては4つの秘策を持ってお答えしたい。
それは、体力・知力・愛嬌・度胸ということですが、
この4つの条件・能力を兼ね備え、我がものとされた方は、縷々申し上げて参りましたような難しい状況中でも必ず生き延びる、勝ち残ることができる。自分だけ生き残ろうと思ってはいけないのですけれども、そういうのがあり得るのであろうと思うところでございます。
体力・知力・愛嬌・度胸は(順番として)上の方は、あればあったほうが良いけれども、下に行くほど重要度が増すと考えていただきたい。
これが無いと地球経済の深い谷底を生き残ることはできないかも知れない、重要な要素になって参ります。
●体力は財力と言い換えてもいいかも知れません。それなりの財政基盤を持っているということで、どうしてもそれがなければいけないというのは、本当はおかしくて、無い人は政策や政治が支えてくれないと、豊かさの中の貧困問題は解決できないわけでありますが、財力的な意味での体力もあったほうがよろしいでしょう。
では、その(体力=財力)基盤を整えるために必要なこと、やるべきことは何かというと、私はどうも「投資から貯蓄へ」ということではないかと思います。
「貯蓄から投資へ」という危険な言葉に踊らされていると、どんどん体力を蝕まれてゆく。
私がこんなことを言っていることが投資銀行の誰かに聞こえたら、本当に私はどこかに連れ込まれて「月夜の晩ばかりじゃないよ」と言われそうな気が致しますけれども。
程度問題ということも勿論ありますが、「投資から貯蓄へ」というくらいの発想をお持ち頂くことが必要なのではないかと思います。
国債なら大丈夫か?と言ったって、どこの国々も借金し過ぎ、特に日本国がそうでございます。それを考えると、お気をつけいただく必要がございます。
体力の基盤のところを蝕まれないように、「投資から貯蓄へ」ということで考えてみる必要があるのではないか。
●知力ですが、(「貯蓄から投資へ」のように)人が言っていることのまやかしを見抜く力でございまして、今の世の中を生き抜くための知力の勘所がどこにあるかというと、私が思いますに、それは要するに、「如何に王様が裸であることを見抜くか」とことだと思います。
要するに、日本の最近の状況の中でも「経済は最悪期を脱した。景気は底打ちだ」という感覚を広めようとする雰囲気が濃厚だったことはご承知のとおりでございますが、こういうのが危ない。
政策、政治、為政者たちが「もう大丈夫!」と言った時は「もう危ない!」と思って頂くのが無難でございます。
今回(のリーマンショック以降)はまだ出ていませんけれども、「ファンダメンタルズは健全です」と、「経済のファンダメンタルズ、基礎的条件は良好」いうことが、政治家、政策形成者たちの口から出た時は非常に心配です。
「ファンダメンダルズは至って健全」という言葉は歴史の中で、それこそ、繰り返しくり返し出てくるのでございますが、それが、一番最初に出てきたのが1929年のことでございます。
1929年の9月にニューヨークで株価が大暴落したわけですが、その直前のところで当時のアメリカの大統領が「もう、アメリカのファンダメンタルズは一点の曇りなし」と言ったんですね。そうしたら、とたんに、ドボンと行ったんですね。
もうちょっと直近のところでは、1987年にブラックマンデーというのがありました。やはり9月のアメリカで株価の大暴落がありまして、その時にもオバマさんの前のジョージ・W・ブッシュのお父さんの、お父さんブッシュ大統領が「ファンダメンタルズは極めて良好」と言ったとたんに株価が落ちたんですね。
その次が、1989年。
これはわが日本において、当時の宮沢(喜一)総理が「ファンダメンタルズは至って健全でございます」と言ったとたんに日本のバブルが破たんした、ということがありました。
こういう説明が出た時というのは、相当に厳しいところに来ていると思っていただきたい。
為政者風責任者たちが、「大丈夫!大丈夫!」イズム的なことを言った時は「王さまは裸だ!」と思った方がいいのです。
いろんな面で王様たちは裸なのに、十二単(じゅうにひとえ)でも着ているような顔をして歩いておりますので、それをきちんと見抜いていくということが、この試練の時を生き抜いて行くための、避難してゆく秘策の一つであると私は思うところでございます。
●「愛嬌」をどう言い換えるか?今、この状況の中で愛嬌というものを具体的に表現すると、それはすなわち「あなたさえ良ければ」という言い方になります。
冒頭から縷々申し上げた、今の世の中の根源的なところにあるものが「自分さえ良ければ病」だと申し上げましたが、「自分さえ良ければ病」に罹らない、罹っても直さなければならない、それを避けるための最大の解毒剤のようなもの、それが即ち「あなたさえ良ければ主義」ということではないでしょうか。
「自分さえ良ければ病」に対しては「あなたさえ良ければ主義」で対抗する。
「あ~なたさえ♪良ければ~♪♪」とか言っているとまるでカラオ大会みたいな感じになって参りますが、重要なファクターだと思うのです。
アメリカは「バイアメリカン、自分さえ良ければ」ということですが、これは本当にやってはいけないことで、バイアメリカンは自分さえ良ければということになるわけですが、それを「あなたさえ良ければ」に変えたらどうなるか。アメリカがバイアメリカンではなくて「バイ・ノンアメリカン」と言うようになるということです。日本だったら「バイチャイニーズ」と言う、中国だったら「バイジャパニーズ」と言ってくれる。
「あなたのために我が市場を提供する」という感覚ですね。
これが無いと確実に「自分さえ良ければ病」の重い症状に冒されていってしまうことになる。
「あなたさえ良ければ」を、もうちょっと身近なところに引っ張ってきて言えばどうなるか? 例えば、トヨタ自動車の従業員の皆さんは全員日産自動車の車を買う、日産自動車の皆さんは全員トヨタ自動車の車に乗って通勤する。それぞ、正に「あなたさえ良ければ」そのものになるわけです。
そういうようなことに、すべての国々の発想がドッと変われば、一気に解決でございます。
元の木阿弥を目指して公共事業をどんどんやらなくても、お互いに「あなたさえ良ければ」をやっていればすべての問題は解決することになるのです。
G20の会合などをこれからもずっとやっていくのであれば、その議論を始める前に、皆で十回ぐらい「あなたさえ良ければ」を唱えてから、その気になって議論を始めていただくと宜しいのではないか。
●さて、「度胸」ということでございますが、この度胸こそ「まさかは必ず起こる」ということを銘ずることだと思います。
最悪の事態が到来することを恐れない、それから目をそむけない。
これが度胸の本質で、最も求められていることでございます。
関わりで申し上げれば、世の中に、経済予測を巡って悲観派・楽観派という言い方がありますが、同じような意味合いを込めて強気派・弱気派という分け方がございます。
そして世の中の通念的には、楽観派は強気派で、悲観派は弱気派だ、という分け方になっているわけでございますが、私はこの認識は結構違うと思うんですね。
今の時点で「もう大丈夫!もう大丈夫!」と言っているのは、勇気がない弱気な人たちが言っていることであって、本当に現実を直視する勇気がある、つまり本当に強気な人は悲観的な見方をするということになるのではないかと思います。
今の世の中で一番必要なのは「強気の悲観」ということだと思いますね。
勇気を持って怖い状況を直視する度胸があるかないかで、ここをくぐり抜けて行けるかどうか決まるということではなかろうかと思っています。
●というようなわけで、度胸だ、愛嬌だ、何んとかだと、著しく愛とか精神訓話が一緒になってしまった感がありまして、経済の話を、数字を引きながらこういうところに来てしまっていいのか?と思われる面もありますが、最後に一言申し上げたいことがございます。
「そんな精神論でいいの?」というご批判もあろうかと思いますが、最後に私として申し上げたいことがございます。
それは即ち、経済活動というのは人間の営みであるということでございます。
世の中に経済活動を営む生き物は人間しかいない。
従って経済活動は人間的なものであり、だから人間の精神性、人間の心意気、人間の行動原理がどうあるかによって、「経済の在り方は 一義的に規制されるもの」と言っていいものだ。
わけのわからない数字の世界が経済の世界ではございません。そこには人間の思い、人間の哲学、人間の活動というものがあるわけで、人間の心意気が変なところにすっ飛んで行ってしまえば、経済活動は調子が狂い、統制経済にもなっていくわけでございます。
ここは人間の心意気・思いが反射(?)されなければ、というところ、権力に騙されないというような、官権に踊らされないというような意味での体力であり知力、愛嬌であり度胸があるかどうかによって、新しい夜明けに向かって進むか、永遠の暗闇に突入するかが決まってしまいます。
皆様におかれましては確かな心意気を持って、是非、新しい扉を開いていただきたいと思います。 (了)
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■だからどうする・・・・4つの秘策
という訳で、妖怪は飛び交うわ、衝撃は待ち構えているわ、悲劇はそこまで来ているわ、という状況の中で、じゃあ「我々はどうするんだ」というのが、4つ目の課題として私に与えられテーマだったわけで、これに対しては4つの秘策を持ってお答えしたい。
それは、体力・知力・愛嬌・度胸ということですが、
この4つの条件・能力を兼ね備え、我がものとされた方は、縷々申し上げて参りましたような難しい状況中でも必ず生き延びる、勝ち残ることができる。自分だけ生き残ろうと思ってはいけないのですけれども、そういうのがあり得るのであろうと思うところでございます。
体力・知力・愛嬌・度胸は(順番として)上の方は、あればあったほうが良いけれども、下に行くほど重要度が増すと考えていただきたい。
これが無いと地球経済の深い谷底を生き残ることはできないかも知れない、重要な要素になって参ります。
●体力は財力と言い換えてもいいかも知れません。それなりの財政基盤を持っているということで、どうしてもそれがなければいけないというのは、本当はおかしくて、無い人は政策や政治が支えてくれないと、豊かさの中の貧困問題は解決できないわけでありますが、財力的な意味での体力もあったほうがよろしいでしょう。
では、その(体力=財力)基盤を整えるために必要なこと、やるべきことは何かというと、私はどうも「投資から貯蓄へ」ということではないかと思います。
「貯蓄から投資へ」という危険な言葉に踊らされていると、どんどん体力を蝕まれてゆく。
私がこんなことを言っていることが投資銀行の誰かに聞こえたら、本当に私はどこかに連れ込まれて「月夜の晩ばかりじゃないよ」と言われそうな気が致しますけれども。
程度問題ということも勿論ありますが、「投資から貯蓄へ」というくらいの発想をお持ち頂くことが必要なのではないかと思います。
国債なら大丈夫か?と言ったって、どこの国々も借金し過ぎ、特に日本国がそうでございます。それを考えると、お気をつけいただく必要がございます。
体力の基盤のところを蝕まれないように、「投資から貯蓄へ」ということで考えてみる必要があるのではないか。
●知力ですが、(「貯蓄から投資へ」のように)人が言っていることのまやかしを見抜く力でございまして、今の世の中を生き抜くための知力の勘所がどこにあるかというと、私が思いますに、それは要するに、「如何に王様が裸であることを見抜くか」とことだと思います。
要するに、日本の最近の状況の中でも「経済は最悪期を脱した。景気は底打ちだ」という感覚を広めようとする雰囲気が濃厚だったことはご承知のとおりでございますが、こういうのが危ない。
政策、政治、為政者たちが「もう大丈夫!」と言った時は「もう危ない!」と思って頂くのが無難でございます。
今回(のリーマンショック以降)はまだ出ていませんけれども、「ファンダメンタルズは健全です」と、「経済のファンダメンタルズ、基礎的条件は良好」いうことが、政治家、政策形成者たちの口から出た時は非常に心配です。
「ファンダメンダルズは至って健全」という言葉は歴史の中で、それこそ、繰り返しくり返し出てくるのでございますが、それが、一番最初に出てきたのが1929年のことでございます。
1929年の9月にニューヨークで株価が大暴落したわけですが、その直前のところで当時のアメリカの大統領が「もう、アメリカのファンダメンタルズは一点の曇りなし」と言ったんですね。そうしたら、とたんに、ドボンと行ったんですね。
もうちょっと直近のところでは、1987年にブラックマンデーというのがありました。やはり9月のアメリカで株価の大暴落がありまして、その時にもオバマさんの前のジョージ・W・ブッシュのお父さんの、お父さんブッシュ大統領が「ファンダメンタルズは極めて良好」と言ったとたんに株価が落ちたんですね。
その次が、1989年。
これはわが日本において、当時の宮沢(喜一)総理が「ファンダメンタルズは至って健全でございます」と言ったとたんに日本のバブルが破たんした、ということがありました。
こういう説明が出た時というのは、相当に厳しいところに来ていると思っていただきたい。
為政者風責任者たちが、「大丈夫!大丈夫!」イズム的なことを言った時は「王さまは裸だ!」と思った方がいいのです。
いろんな面で王様たちは裸なのに、十二単(じゅうにひとえ)でも着ているような顔をして歩いておりますので、それをきちんと見抜いていくということが、この試練の時を生き抜いて行くための、避難してゆく秘策の一つであると私は思うところでございます。
●「愛嬌」をどう言い換えるか?今、この状況の中で愛嬌というものを具体的に表現すると、それはすなわち「あなたさえ良ければ」という言い方になります。
冒頭から縷々申し上げた、今の世の中の根源的なところにあるものが「自分さえ良ければ病」だと申し上げましたが、「自分さえ良ければ病」に罹らない、罹っても直さなければならない、それを避けるための最大の解毒剤のようなもの、それが即ち「あなたさえ良ければ主義」ということではないでしょうか。
「自分さえ良ければ病」に対しては「あなたさえ良ければ主義」で対抗する。
「あ~なたさえ♪良ければ~♪♪」とか言っているとまるでカラオ大会みたいな感じになって参りますが、重要なファクターだと思うのです。
アメリカは「バイアメリカン、自分さえ良ければ」ということですが、これは本当にやってはいけないことで、バイアメリカンは自分さえ良ければということになるわけですが、それを「あなたさえ良ければ」に変えたらどうなるか。アメリカがバイアメリカンではなくて「バイ・ノンアメリカン」と言うようになるということです。日本だったら「バイチャイニーズ」と言う、中国だったら「バイジャパニーズ」と言ってくれる。
「あなたのために我が市場を提供する」という感覚ですね。
これが無いと確実に「自分さえ良ければ病」の重い症状に冒されていってしまうことになる。
「あなたさえ良ければ」を、もうちょっと身近なところに引っ張ってきて言えばどうなるか? 例えば、トヨタ自動車の従業員の皆さんは全員日産自動車の車を買う、日産自動車の皆さんは全員トヨタ自動車の車に乗って通勤する。それぞ、正に「あなたさえ良ければ」そのものになるわけです。
そういうようなことに、すべての国々の発想がドッと変われば、一気に解決でございます。
元の木阿弥を目指して公共事業をどんどんやらなくても、お互いに「あなたさえ良ければ」をやっていればすべての問題は解決することになるのです。
G20の会合などをこれからもずっとやっていくのであれば、その議論を始める前に、皆で十回ぐらい「あなたさえ良ければ」を唱えてから、その気になって議論を始めていただくと宜しいのではないか。
●さて、「度胸」ということでございますが、この度胸こそ「まさかは必ず起こる」ということを銘ずることだと思います。
最悪の事態が到来することを恐れない、それから目をそむけない。
これが度胸の本質で、最も求められていることでございます。
関わりで申し上げれば、世の中に、経済予測を巡って悲観派・楽観派という言い方がありますが、同じような意味合いを込めて強気派・弱気派という分け方がございます。
そして世の中の通念的には、楽観派は強気派で、悲観派は弱気派だ、という分け方になっているわけでございますが、私はこの認識は結構違うと思うんですね。
今の時点で「もう大丈夫!もう大丈夫!」と言っているのは、勇気がない弱気な人たちが言っていることであって、本当に現実を直視する勇気がある、つまり本当に強気な人は悲観的な見方をするということになるのではないかと思います。
今の世の中で一番必要なのは「強気の悲観」ということだと思いますね。
勇気を持って怖い状況を直視する度胸があるかないかで、ここをくぐり抜けて行けるかどうか決まるということではなかろうかと思っています。
●というようなわけで、度胸だ、愛嬌だ、何んとかだと、著しく愛とか精神訓話が一緒になってしまった感がありまして、経済の話を、数字を引きながらこういうところに来てしまっていいのか?と思われる面もありますが、最後に一言申し上げたいことがございます。
「そんな精神論でいいの?」というご批判もあろうかと思いますが、最後に私として申し上げたいことがございます。
それは即ち、経済活動というのは人間の営みであるということでございます。
世の中に経済活動を営む生き物は人間しかいない。
従って経済活動は人間的なものであり、だから人間の精神性、人間の心意気、人間の行動原理がどうあるかによって、「経済の在り方は 一義的に規制されるもの」と言っていいものだ。
わけのわからない数字の世界が経済の世界ではございません。そこには人間の思い、人間の哲学、人間の活動というものがあるわけで、人間の心意気が変なところにすっ飛んで行ってしまえば、経済活動は調子が狂い、統制経済にもなっていくわけでございます。
ここは人間の心意気・思いが反射(?)されなければ、というところ、権力に騙されないというような、官権に踊らされないというような意味での体力であり知力、愛嬌であり度胸があるかどうかによって、新しい夜明けに向かって進むか、永遠の暗闇に突入するかが決まってしまいます。
皆様におかれましては確かな心意気を持って、是非、新しい扉を開いていただきたいと思います。 (了)
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