10月5日から5週間、夢を追う物が集う街ニューヨークに滞在する。
情けない話、5週間は海外滞在の最長記録である。
10月の途中からcolumbia business schoolの短期プログラムに参加する。
その前段として、少しばかり英語スクールに通ってる。 生徒は日本人、韓国人、中国人をはじめとしてヒスパニア系やイタリア系も けっこういる。
しかし、これだけ様々な人種の多数の人が、たった一つの言語を獲得するのに費やす時間と労力は地球規模で考えた場合、なんと非効率なんだろう。
今はプライベートレッスンを受けているわけだが、しかしもはやスピーキングが伸びる気がしない。 いったい日本語と同じように流暢に話せるようになるためにはあと何時間が必要なんだろう。
言いたいことは言えるのだが、新しいことを言おうとすると、とたんに詰まり気味になってします。
まるで、弾ける曲は弾けるが、初見の曲になるととたんに弾けないピアノみたいである。 新しいことの表現に挑戦するときに、日本語ならばその出来栄えはさならが絵を鑑賞するかのように、「にゅあんす」で感じることができるが、英語だとそうはいかない。言語は不便なツールである。
言語の誕生、そして文字の誕生が人類を進化を加速させ、科学を発展させた。それによってもたらされた効率性と、多言語になってしまったことによって生まれた非効率性はどちらが大きいだろう。
グローバルの波が世界中を飲み込んでいる。数字という単一言語で交わされる金融市場はあっというまに、白から黒、黒から灰色と色を変えていく。
それに対してリアルの世界では、「言語のギャップ」が溝となり、グローバルの波を飲み込んでいる。
ここニューヨークではまだまだ街角にスタンド型のベーグル店が立ち並ぶ。まさにこれは言語ギャップのたまものだろう。日本ならば、すぐにコンビニができて、あらゆる製品が「おーとまてぃかりー」に配送されてくる。言語ギャップの溝があるいみ多重構造化の助けとなって、いたるところに非効率性を残す受け皿となる。
またこうした溝があるからこそ、自己主張をし続けて生きていかざるを得ないことになるんだろう。推し量る、なんてことをしていたら、それこそ溝に落ちて這い上がってくることができなくなる。まさに呼吸するかの如く、自己主張をし続ける。それが多様な生態系の上に存在する世界の道しるべ。
ニューヨークでひとり歩いていると、すぐに溝に落ちて言ってしまう、挑戦的な溝がそこかしこに存在する、そんな心地よい不安感が充満してくる。俺はここにいるぞ、と叫ばなければすぐさま忘れ去られて、いつのまにか溝の中にいる、そんな幻惑が周りを取り囲む。それもまた心地よい危機感だ。
情けない話、5週間は海外滞在の最長記録である。
10月の途中からcolumbia business schoolの短期プログラムに参加する。
その前段として、少しばかり英語スクールに通ってる。 生徒は日本人、韓国人、中国人をはじめとしてヒスパニア系やイタリア系も けっこういる。
しかし、これだけ様々な人種の多数の人が、たった一つの言語を獲得するのに費やす時間と労力は地球規模で考えた場合、なんと非効率なんだろう。
今はプライベートレッスンを受けているわけだが、しかしもはやスピーキングが伸びる気がしない。 いったい日本語と同じように流暢に話せるようになるためにはあと何時間が必要なんだろう。
言いたいことは言えるのだが、新しいことを言おうとすると、とたんに詰まり気味になってします。
まるで、弾ける曲は弾けるが、初見の曲になるととたんに弾けないピアノみたいである。 新しいことの表現に挑戦するときに、日本語ならばその出来栄えはさならが絵を鑑賞するかのように、「にゅあんす」で感じることができるが、英語だとそうはいかない。言語は不便なツールである。
言語の誕生、そして文字の誕生が人類を進化を加速させ、科学を発展させた。それによってもたらされた効率性と、多言語になってしまったことによって生まれた非効率性はどちらが大きいだろう。
グローバルの波が世界中を飲み込んでいる。数字という単一言語で交わされる金融市場はあっというまに、白から黒、黒から灰色と色を変えていく。
それに対してリアルの世界では、「言語のギャップ」が溝となり、グローバルの波を飲み込んでいる。
ここニューヨークではまだまだ街角にスタンド型のベーグル店が立ち並ぶ。まさにこれは言語ギャップのたまものだろう。日本ならば、すぐにコンビニができて、あらゆる製品が「おーとまてぃかりー」に配送されてくる。言語ギャップの溝があるいみ多重構造化の助けとなって、いたるところに非効率性を残す受け皿となる。
またこうした溝があるからこそ、自己主張をし続けて生きていかざるを得ないことになるんだろう。推し量る、なんてことをしていたら、それこそ溝に落ちて這い上がってくることができなくなる。まさに呼吸するかの如く、自己主張をし続ける。それが多様な生態系の上に存在する世界の道しるべ。
ニューヨークでひとり歩いていると、すぐに溝に落ちて言ってしまう、挑戦的な溝がそこかしこに存在する、そんな心地よい不安感が充満してくる。俺はここにいるぞ、と叫ばなければすぐさま忘れ去られて、いつのまにか溝の中にいる、そんな幻惑が周りを取り囲む。それもまた心地よい危機感だ。