政治家「又市征治」という男

元政治記者の私が最も興味を持った政治家、それが又市征治だった。その知られざる人物像に迫る。

学費は自分で稼ぐ、高校へ行かせてくれ

2007年06月11日 | Weblog
 又市征治は、小学生の頃から働き詰めで勉強する時間もなかった。その上、夜に教科書を開こうとすれば、電気代がもったいない、ランプの油がもったいないと叱られた。
 それでも征治の学校での成績は上位だった。授業中、今しかこれを勉強する機会はないという思いから、絶対に聞き漏らさないよう集中していたという。

 かといって、いわゆる「がり勉」タイプではなく(勉強している暇もないのだから当然だが)、言わば快活なガキ大将、友達思いで面倒見の良いほうだったようだ。中学では生徒会長にも選ばれている。写真はその当時のものだ。

 成績も学校で五指に入る征治は、学校から高校進学をすすめられていた。しかし征治はすぐには答えることはできなかった。父の久治が、高校進学に反対していたのだ。

 久治は戦時中の事故で片脚を失っている。家業の一つである農業も思うようにできず、その仕事は征治たちが支えていた。もう一つの売薬業もできなかったため征治の兄・久義が旧制中学を中退してその仕事を担っていた。久治は「中学を出たら働いて親を養うのは当たり前だ。」とまで言った。

 「親父もこんなことを言いたくて言っているわけではない。」

 そんなことは征治にも分かっていた。持っていた田畑を少しずつ手放さなければならないほど、又市家は困窮していたのだ。やるせない父の気持ちは征治にも痛いほど分かった。

 それでも征治は進学をあきらめきれなかった。もっと勉強がしたかった。何度も何度も父に「学費は自分で稼ぐ。頼むから高校へ行かせてほしい。」と頼み込んだ。
 だが父は相手にしてくれなかった。それどころか、ときに口論となり「親に口答えするな」と殴られることも珍しくなかったという。

 ある日、進路についての保護者面談があった。征治はそこに賭けていた。学校の先生が進学をすすめたとき、父はうっかり「進路については本人に任せてあります。」と口を滑らせた。征治は即座に「はい、富山高校を受けます!」と言った。
 隣に座っていた久治は驚いた後、征治をにらみつけたが、本人に任せてあると言った手前「何を言うか」と怒ることもできない。

 「勝手にしろ!」

 こうして、征治は県内でも有数の進学校である富山高校に進んだ。
 小学生の頃から続けてきた新聞配達のほかに、家庭教師のアルバイトも加わった。征治は本当に自分で学費を稼いだのである。

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 余談だが、21世紀の現在にもこの頃と似た状況がある。
 小泉改革の影の部分と言われる格差の拡大によって、親の所得が少ないために就学援助を受けなければ学校に通えない児童生徒が138万人にものぼっている。所得の格差が教育の格差になり、格差が世代を超えて固定化されつつあるというのは紛れもない事実だ。
 又市征治ほど、その子どもたちの気持ちが分かる議員はいないだろう。

 痛みというものはそれを味わったことがある者にしか分からない。
 高級車に送迎されて学校に通い、優秀な家庭教師を付けられ、親のコネと金の力で大学に進んできたような2世・3世議員に、その138万人の子どもたちや、当時の又市親子の気持ちなど理解できないのではないだろうか。
(敬称略)


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