前にも書いたが、又市征治の幼少期は苦難と貧困の日々だった。又市の父は戦争中、軍のトラックによる事故で脚を奪われ、さらに翌年の空襲で家は焼失した。苦労を一身に背負い、必死で家族を支えてきた母は又市が7歳のときに病死した。又市の妻は長崎の原爆で父を亡くし、そのために幼くして二度、養女に出されている。
「自分たちのような思いを、絶対に子どもや孫の世代に味わわせたくない。」
又市はその一念で、長く護憲運動、平和運動に取り組んできた。憲法記念日によく見かける意見広告運動も、ずいぶん前から地元で、又市が中心となって地元で取り組んでいた運動が、各地に広がったものだという。
国会議員となり、後に党幹事長になってからも、国会の内外を問わずこの運動に取り組んできたのは言うまでもない。ただし「護憲」「平和」を掲げるにしても並みの議員とは違うのが、又市征治という男である。
又市は平成16年5月、社民党訪中団の団長として中国へ向かった。社民党と中国共産党とは長い付き合いであることは言うまでもないが、又市は「仲良しこよし」のために行った訳ではない。正に「主張する外交」のために行ったのだ。
又市は憲法9条を守るためには、ただ「守れ」ではなく、周辺諸国との関係を良好なものにし、「攻められたらどうする」というような不安や、そう国民に思わせる条件を取り除くことが重要だと考えていた。
社民党には以前から「北東アジア総合安全保障構想」というビジョンがある。平たく言えば、お互いに攻撃しないという約束を多国間で行い、あくまで話し合いでの問題解決を図るという内容である。
又市はこの構想を「六者会合(六カ国協議)」に取り入れようと、議長国である中国に対し、またも直談判に及んだのである。
応対したのは、中国共産党の外交政策を司る王家瑞、同党の最高幹部級の呉官正など、そうそうたる顔ぶれだった。
もちろん、一労組役員だった時代に自民党幹事長に直談判に出るような又市である。相手が誰であろうと気後れはない。又市は自らの主張を堂々と述べ、3日がかりで交渉を重ねた。3日目、呉官正が次のように言った。
「私たちは、あなたの主張を全面的に支持する。」
又市は中国を説き伏せたのだ。
翌17年8月末、六者会合の議長を務める武大偉が社民党本部を訪れ、こう言った。
「今度の会合に6カ国の共同声明を出す予定だが、そのときに又市幹事長が言っておられた構想を実現するための項目を盛り込む予定だ。その報告と感謝を申し上げるために来た。」
この日、武大偉が訪れたのは自民党と社民党だけ、他の政党は蚊帳の外だった。
しかし武大偉が会いたがっていた又市はそのとき、総選挙の応援で地方を飛び回っていたため会談は実現しなかった。武大偉はそのことをとても残念がった。
総選挙が終わった翌週、共同声明に次の項目が盛り込まれた。
「六者は、北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力を約束した。」
「直接の当事者は、適当な話合いの場で、朝鮮半島における恒久的な平和体制について協議する。」
「六者は、北東アジア地域における安全保障面の協力を促進するための方策について探求していくことに合意した。」
この共同声明の「合意」は、あくまで「六者」である。又市は中国を説得しただけでなく、日本も韓国も北朝鮮もロシアも、そしてアメリカまでも動かしたのである。
又市は、外交面でも卓抜した政治家なのだ。
「憲法9条を守ろう」と言うだけの議員ならば、今も多くいるが、その主張は、緊張が残る東アジア地域では非現実的だという批判を受けることがある。
又市は、その根本的な問題である「緊張」を緩和するために自ら他国と交渉し、その条件整備を進め、実効ある成果を挙げてきた。
又市を見ていると「護憲」や「平和」は決して非現実的なものではないと思えてくるし、又市らの主張を批判する人々が、「緊張」という問題の解決を、初めからあきらめてしまっている、情けない存在に思えてくる。
又市のような気概を持つ議員や外交官が増えれば、外交力で平和を維持することも決して困難ではないだろう。
(敬称略)
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「自分たちのような思いを、絶対に子どもや孫の世代に味わわせたくない。」
又市はその一念で、長く護憲運動、平和運動に取り組んできた。憲法記念日によく見かける意見広告運動も、ずいぶん前から地元で、又市が中心となって地元で取り組んでいた運動が、各地に広がったものだという。
国会議員となり、後に党幹事長になってからも、国会の内外を問わずこの運動に取り組んできたのは言うまでもない。ただし「護憲」「平和」を掲げるにしても並みの議員とは違うのが、又市征治という男である。
又市は平成16年5月、社民党訪中団の団長として中国へ向かった。社民党と中国共産党とは長い付き合いであることは言うまでもないが、又市は「仲良しこよし」のために行った訳ではない。正に「主張する外交」のために行ったのだ。
又市は憲法9条を守るためには、ただ「守れ」ではなく、周辺諸国との関係を良好なものにし、「攻められたらどうする」というような不安や、そう国民に思わせる条件を取り除くことが重要だと考えていた。
社民党には以前から「北東アジア総合安全保障構想」というビジョンがある。平たく言えば、お互いに攻撃しないという約束を多国間で行い、あくまで話し合いでの問題解決を図るという内容である。
又市はこの構想を「六者会合(六カ国協議)」に取り入れようと、議長国である中国に対し、またも直談判に及んだのである。
応対したのは、中国共産党の外交政策を司る王家瑞、同党の最高幹部級の呉官正など、そうそうたる顔ぶれだった。
もちろん、一労組役員だった時代に自民党幹事長に直談判に出るような又市である。相手が誰であろうと気後れはない。又市は自らの主張を堂々と述べ、3日がかりで交渉を重ねた。3日目、呉官正が次のように言った。
「私たちは、あなたの主張を全面的に支持する。」
又市は中国を説き伏せたのだ。
翌17年8月末、六者会合の議長を務める武大偉が社民党本部を訪れ、こう言った。
「今度の会合に6カ国の共同声明を出す予定だが、そのときに又市幹事長が言っておられた構想を実現するための項目を盛り込む予定だ。その報告と感謝を申し上げるために来た。」
この日、武大偉が訪れたのは自民党と社民党だけ、他の政党は蚊帳の外だった。
しかし武大偉が会いたがっていた又市はそのとき、総選挙の応援で地方を飛び回っていたため会談は実現しなかった。武大偉はそのことをとても残念がった。
総選挙が終わった翌週、共同声明に次の項目が盛り込まれた。
「六者は、北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力を約束した。」
「直接の当事者は、適当な話合いの場で、朝鮮半島における恒久的な平和体制について協議する。」
「六者は、北東アジア地域における安全保障面の協力を促進するための方策について探求していくことに合意した。」
この共同声明の「合意」は、あくまで「六者」である。又市は中国を説得しただけでなく、日本も韓国も北朝鮮もロシアも、そしてアメリカまでも動かしたのである。
又市は、外交面でも卓抜した政治家なのだ。
「憲法9条を守ろう」と言うだけの議員ならば、今も多くいるが、その主張は、緊張が残る東アジア地域では非現実的だという批判を受けることがある。
又市は、その根本的な問題である「緊張」を緩和するために自ら他国と交渉し、その条件整備を進め、実効ある成果を挙げてきた。
又市を見ていると「護憲」や「平和」は決して非現実的なものではないと思えてくるし、又市らの主張を批判する人々が、「緊張」という問題の解決を、初めからあきらめてしまっている、情けない存在に思えてくる。
又市のような気概を持つ議員や外交官が増えれば、外交力で平和を維持することも決して困難ではないだろう。
(敬称略)
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読んでいく内に、又市征治さんのスケールの大きさを知りました。
緊張があって、それを理由にして憲法改正の話が出てくる。憲法改正を言う人を攻撃する前に、又市さんはその裏側にある緊張状態を打破しようとしたのですね。その発想力と行動力に驚きました。
それで6カ国を動かしたのですから、すごい人です。
それを思うと、ブッシュ大統領にキャッチボールの相手をしてもらったり、プレスリーの館に案内してもらったりしてハシャイで、結局は全部アメリカの言いなりだった小泉さんが、ものすごく小さい存在だと思いました。
又市さんは今回の選挙に出るのですよね。スケールの大きい又市さんには、ぜひ頑張ってほしいと思います。
詭弁を弄して国民を丸め込んでいる
誰が議員になっても大差ない
と、思っていました
でも、ひょっとしてこの考えは違ってる!?
と、気づかされつつあります
へえーと思う事実の存在に、目からウロコです
今日は参議院選の公示があり、これからの日々
ニュースが熱いですね
何が信頼できるのか、見極めは難しくて困難ですが
mtrupoさんのブログ、大いに参考にさせていただきたく思います
さっきまでNHKの参院選特集番組を見てました。又市さん、光ってましたね。
自民党は無責任でヤジばっかり。態度悪いし、
民主党はそんな自民党にまで押されて引きつってたし、
公明党は言い訳がましいし、
共産党はもっともらしいこと言うけれど、年金記録の問題で〈私らは政権に入ったことないから責任ありません〉って、自慢になるか!だったし。
国民新党は介護が必要そうだったし。
でも又市さんが話すときは、自民党や公明党まで、黙ってうなづいて聞いてましたね。
やっぱり一番スジが通ってたし、説得力がありました。
ほかの党の人達も納得させてしまうような力が、又市さんの言葉にはあるんですね。
僕はこのブログの愛読者ですが、又市さんの生い立ちを知って、それから又市さんの話を聞くと、本当にすごい人だなって思います。
また、いろいろと又市さんの話を聞いてみたいと思います。
では失礼します。
日本の政治は、チャンチャラおかしくって、わけがわからな~い。って思ってました。
設立当初は民主党に期待してましたが、あてがはずれて・・
これからも読まさせていただきます。
コメントありがとうございます。
さて、「日本の政治は、チャンチャラおかしくって、わけがわからな~い」というのは、大勢の皆さんが思っていることではないかと思います。
政治とカネの問題のように、政治家が意図的に訳が分からないようにしているものもあれば、メディアの力不足ということもあります。今さらながら反省しています。
ただ間近に政治を見ていて、政治というものはつくづく面白いものだと思うときがあります。「あてがはずれて…」の民主党や、政権与党の自民党・公明党にもできなかったような壮大なことが、小さな野党・社民党の幹事長にできたりする。20兆円の特別会計改革や、6カ国協議の合意など正にそうです。こういう政治家を見ていると、本当に政治は面白いと思います。
それに若い頃、私はある先輩から「政治は人間が作るもの。政治史は人類史だ」と教えられました。彼は、自分たちが代表を選ぶ民主主義の時代ならば尚更だと言っていました。
未来の世代から見てみれば、この時代の政治の姿は、今を生きている私たちの姿でもあるわけです。
やはり多くの人々に関心を持ってほしいと思います。
実は、もう20年以上前に亡くなった私の父は、ずっと当時の社会党の党員でした。だから子供のころから、選挙のたびに、家にいるときは、一日中テレビの前に座っている父から、いろんな話を聞いて育ちました。
父の口ぐせは、「政治はおもしろいよ」でした。労働運動を長年しながら、晩年の15年ほどは、大学で経済学を教えていました。
私には難しい経済学でしたが、父が、「経済学は、世界の人たちが、みんな幸せになるために勉強しているんだよ・・」と言ったことは、今でも忘れずにいます。
偉大なお父上ですね。
「経済学は、世界の人たちが、みんな幸せになるために勉強しているんだよ・・」という言葉、名言だと思います。ところが、ほんの一握りの人々の儲けのために、多くの人々が幸せを奪われるという政治がまかり通っています。
お父上が頑張っておられた旧社会党が大きく、力を持っていた時代は、今ほどひどくなかったと思います。55年体制の崩壊と言いながら自民党は健在です。社会党が小さくなり、世の中がおかしくなったというのは、国会を見ていてつくづく感じます。社会党が果たしてきた役割というのは、それだけ大きかったのです。
ただ、小さくなっても国会の土性骨とも言うべき役割を果たしている社民党、その中でも又市征治の存在は決して他の政党に見劣りするものではありません。それどころか、誰にもできなかったことを次々と成し遂げていく姿に、感動すらおぼえます。
悪質なのは、そうしたことを報じない報道機関の側にもあると、今さらながら我が身を恥じているところです。