恐山のブルース

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ねぶた祭りの本家は?

2017-06-09 10:33:59 | 日記
青森県の出身者以外はそう気にしませんが、青森県人は出身地をたずねられると「津軽です」と旧藩名で答えるか、「弘前です」とか「八戸です」と都市名で答える人が多いです。

「青森県」とひとまとめにされてしまいましたが、西部の津軽藩、東部の南部藩と旧幕府体制だった時代の対立のシコリが、いまも引き継がれている部分があるようです。

とくに南部藩は、青森と岩手の2県に引き裂かれてしまったので、その恨みもあるようなのです

歴史的背景をみても、津軽と言えば弘前のような城下町をひかえ規律を重んじた土地。

南部は馬産地として自然とともにおおらかに生きてきた対照的な土地柄です。

また、かつて津軽は南部の家来筋だった、あるいは津軽の本家は奥州藤原氏にさかのぼるという説があるなど、過去の背景もうかがえます。

明治政府が、廃藩置県で画一的に区割りしたために青森県とまとめられてしまった不満が、古い世代の人達にはまだくすぶっているのです。

それに、青森市と弘前市では、お祭りの本家争いが続いています。

弘前が元祖だった「ねぶた」を真似た、青森の「ねぶた」が観光の目玉に成長したことが、弘前市民には不満のタネ

本来は出陣のさまを表現していた祭りの発祥などお構いなしに、ただ派手に盛り上がるだけの凱旋の祭りにしてしまった青森「ねぶた」を弘前市民は内心不愉快に思い、こだわりの名前「ねぶた」を名乗り続けているのです。

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