Mon
03/23
2009
先日ブログの冒頭で紹介した”法輪功”
俺は不勉強でしたがメーソンに関連していると
指摘している方々が多いそうです。
日本にどんな影響を与えているのか
俺は全く知らないのでその辺については
今後勉強して紹介させて頂きます。
でも朝鮮カルトの目くらましに利用される可能性もあるし
どう取り上げて良いのか。。。
今日は久しぶりに俺らしい記事になりました。
以前から頭の中でぼやけていたものが
何となく形になったので
今日は俺の戯言読んでみてください。
最初は私事から入っています。
宗教、とりわけ聖書に関しての記述が多いです。
気分が悪くなりそうな方は避けてくださいね。
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先日近所のリサイクルショップ店で
20年前に遊んだ事のあるスーパーファミコンのゲームソフトを発見し
200円で買ってきました。
実はそのゲームというのはRPGと言われるジャンルのゲーム。
仮想の世界の中で主人公を演じる事によって
そのストーリーを楽しむと言うものです。
私が昔お気に入りだったそのゲーム。
地球の中で混沌を信仰する人間達と
規律を重んじる人間達が対立するという話です。
地球に多くの地殻変動が起きて多くの都市が壊滅し
その後生き残った人間の中に
二つの戒律が生まれます。
一つは好きな事を好きなようにして生きて良いという教えと
もう一つは厳しく戒律を定めてそれを守って生きると言う教え。
言ってみれば悪魔信仰とキリスト教信仰に分かれて
戦っているそんな世界の話です。
そして自分の操作の仕方によっては
そのゲームの結末もしっかりと変わってくるのですが。。。
実はこのゲーム
主人公の性格と行動によってその結末が変わります。
性格は悪ー中立ー善に分かれるのですが
主人公の性格が悪の時は神と
主人公の性格が善の時は悪魔と
それぞれ戦う事になります。
ここで言う悪とか善とかというのは
あくまで規律と言う物の存在を前提して
それを無視する人間達が悪
それを遵守するものが善とされるわけで
本人の人間的な資質とはある意味異なると思います。
20年前には、私は自分の性格そのままに
ゲームを進めてみたのですがその結末は?
結果的に中立と言う立場をとっていた私は
最後には悪魔や悪魔の下僕だけではなくて
天使や神とも戦う羽目になってしまいました
そしてその悪魔というのがサタンであり
神と言うのがヤハウェ(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の神です)です。
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私達の生活には法律と言うものが存在しています。
それは盗むな、殺すな、他人に害を加えるな
という多くの人間が共同して生活していくためには
共通に認識される約束事でもあります。
人を殺すなと言うのは
通常の精神状態をしている人間であれば当たり前の事で、
そんな事は言われるまでも無いと思う事でしょうが
人間の中には規則で制限されなけば
平気で他人をも迫害する事の出来る
そんな人間達がいる事は事実です。
多くの人間の心が荒んでいる今の世界では、
もしも法律が無ければ
人間が平気で他人に迫害を続けるような
無法地帯が出来てしまう可能性もあると思います。
そんな状態が混沌と言われるもので
それを好む人間は自分が快適に生きるためには
自分の欲望のままに振舞う事になります。
そしてそれは宗教で語られるところの
悪魔の信仰者の行為そのもの。
そんな状態を望む人間が多ければ
世界は無秩序の状況になってしまうわけです。
そんな状態を避けるために
人は法律で禁止事項を定めます。
そしてそのような無秩序状態となる事を
避けるわけです。
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人間にとって法律と言われるものの存在は
一種の行動の基準になっています。
これは禁止事項だからやってはいけない。。
これは禁止されていないからやっても良い。
そんな意識を持って行動している人も
中にはいると思います。
そして法律で規定されているかどうかが
時には人の善悪の基準になっているようなところも
あると思います。
でも法律は結局は人間が作り上げたもの。
そこには様々な限界があります。
法律を制定する人間の恣意的な感情で
時には悪と言えそうな物までが法によって正当化される事があれば
逆に法律で規定すべきものが規定されないがために
本来悪とみなされるべき行為が
その存在を見逃されてしまう。。。
そんな事も多々ありそうです。
そしてそんな意味でも、法律は現実社会で
善と悪の基準になってしまっているような気がします。
でも法律の弊害は多くの方が気がついている通りだと思います。
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法律と言うものが重視される世の中では
今度は道徳と言うものが廃れるようです。
道徳
WIKIより抜粋します。
モラルとは、社会や共同体において習慣の中から生まれ、
通用するようになった規範のことである。
法律などの規則とは意味合いが異なる。
社会的習慣や礼儀・作法もその範疇にあるとされ、
自然発生的な教えが多く、明確な定義はない。
道徳や倫理について分析し、
考察をおこなう学問分野を倫理学という。
地域・時代に応じて異なり、社会的影響を受け変化する場合がある。
また、多くの宗教の教えと重なる部分が多い。
異なる社会や共同体では異なる倫理・道徳があると考えられているが、
それらはほとんどの場合生活習慣の多様な表れであって
純然と道徳の差異であるとはいえない。
差別や蔑視、権力者の圧力、
宗教などの洗脳による状況を引いて考える必要があり、
その場合の道徳の差異は思われているほど離れているわけではないこと
、ならびに人類は単種の生物であることを考えると、
知られていない共通する絶対的道徳が存在するはずであり、
この意味での道徳は人間の規範そのものといえる。
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ここでは道徳の宗教による影響も取り上げていますが
そこは無視して進めます。
現代社会では道徳=法律ではありません。
道徳と言うものは文章によって規定されるものではありませんが
人間が社会の中で他人と共に協力して暮らして行く中で
人間として当たり前の意識とか、
本来そうあるべきだと判断された
人間同士の共通の認識だと思います。
言って見れば道徳は人間生活の心の指針、
そして人間としてあるべき姿の模範ともいえます。
でも現代社会では道徳以上に重視されているのが
法律です。
道徳だけでは他人の悪意を排除したり阻止したり
罰したりする事が出来ない
だから法律が生まれたのかもしれませんが、
その法律の存在が大きくなれば
本来優先されていた道徳の存在が薄れ
法律が生活の指針となっていく事もありそうです。
そして現代社会はまさにその通りの事が
起きているのではないかと思います。
例えばその行為自体は罪にならなくても
道徳的にはおかしいと思う事が山ほどあると思います。
でもいくら道徳的に考えて不条理な行為を受けても
それが法律で制限できる行為でなければ
その行為は法律的には正当化されるわけです。
逆に法律で規定されてしまえば
それが道徳的にはおかしな事であっても
私達はそれに従わなければなりません。
そして困った事に悪意を持つ人間達は
法律を巧みに利用してきます。
法律で規定されていないのだから
道徳でおかしいといわれても何の問題もない。
法律で定められている権利を行使しているだけで
そこには何も問題は無いと。。。
前述のようにそもそも法律自体は
特定の人間が制定したもの。
決して日本の大多数の人間の意識を繁栄するものとは言えない、
そんな物も多いと思います。
そしてその法律には様々な問題があって
法律の解釈一つとっても争いが起きますし
法律を生業とする人間の意識によっては
法律制度は歪められる可能性があるのです。
歪められた法律は時には道徳とかけ離れたものへと
変貌する事もあります。
でも法律が道徳に優先するこのような時代では
本来は人間のために制定されたその法律が
今度は逆に人間の行動を規定していく事になると思います。
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この法律と言う存在の究極の形が
実は宗教ではないかと私は考えています。
今日はその中の悪い例として聖書をとりあげます。
ユダヤ教信者やキリスト教信者が
聖書と言うものをどのように捉えているかによって
見方は違ってきますが
聖書を歴史書や伝記として捉え
そこに出てくる人間達の言動に学べ
と言うのであればさほど問題はありません。
記述されている多くの内容は
他人への思いやりや慈愛の精神に満ちていて
その内容の真否は兎に角
素晴らしい人間が存在していた
と思って読む分には何も弊害はありません。
でも聖書は現実には信者にとっては道徳の指針や生活までをも
全て規定したものであり
その中にある事を遵守するように教徒は教えられます。
彼ら信者は
殺人はいけない
人に害を与えてはいけない
と言ったような行動基準となる規定を
一種の法律として与えられるだけではなく、
日常の生活での規定
これを食べてはいけない
日曜は休まなければいけない
と言った細かい日常生活の様式に関する事までが
聖書によって規定される事になります。
言って見れば聖書は信者にとって究極の法律書。
勿論聖書に書かれている事が全てが正しければ
それを遵守するのですから
信者は間違った事をするはずがありません。
でもその聖書自体が神の意思ではなく人間の手による
悪意もが紛れ込んだ真偽混合の書籍だとしたら。。
真実もあれば特定の人間達の手によって
内容を捏造されたものもまぎれている物であったとしたら
どうでしょうか。。。
彼らは自分の良識や良心とは別個に
聖書に書いてあると言う事を根拠に
独自の戒めを持つ事に成り
一方聖書で認められていると言う事を主張して
道徳的に悪と認識されている行為を
正当化する事も出来るようになるわけです。
そしてその意識は本来の人間が持っているものとは
微妙にずれていく可能性がある事
解ってもらえるでしょうか。
そして現にユダヤ教徒は
神が自分達のために要した土地があってそれが自分達の土地だと
信じていますし
その領土を取り戻すための戦争を起こし続けてきました。
一方キリスト教徒も他国の侵略と迫害を
続けてきたと言う事実があります。
でも聖書には目的を達成するためには
他人を殺害していいとはどこにも書いてはいません。
これらが正当化されるとすれば
それは彼らの究極の法律である聖書の解釈の仕方と
言うことになるのかもしれませんね。
そして私はそんな聖書の神であるヤハウェも
(エホバとかヤーヴェとも言われます)
神とは思えないでいます。
規則で人間をがんじがらめにする事も
(聖書の神の教え)
無法状態で混沌をもたらす事も
(悪魔の理想)
結局は人間を、一番大切な道徳から逸脱させてしまう
事になるかもしれないからです。
言って見れば極端な無法状態も
極端な規律による制約も
人間の本来あるべき姿から逸脱する
危険なものかもしれないと言う事です。
私の発想で言えば
ユダヤ教、キリスト教の神も
悪の化身と言われるサタンも
人間を正しい道へと導く存在では無いと言う事。
悪と善と言われる極端に対立する概念自体が
実は争いを誘導するものになっていて
人間として真の正しい道は、
もしかしたら道徳によって導かれる
悪でも善でもないところに有るのかもしれませんね。
もしかしたら善と悪の対立というのは
悪意のある人間によって作られた争いの種であって
悪(悪魔)-中立(人間)-善(神)ではなく
悪(悪魔)ー真理(真の神・人の真理)ー偽善(聖書の神=悪魔)
というのが正しいのかもしれません。
本能むき出しの状態も
無理な禁欲も
実は共に人間の精神をおかしくしている原因で
自然の状態で生きながら
自分なりに精神を高めていく
その延長に本当の神が存在しているのかもしれません。
他人の教えを鵜呑みにして定められた戒律を守る事も
欲望の赴くままに行動する事も実は表裏一体の危険なもの。。
単なる私の戯言かもしれませんが
是非一度は考えてみて欲しいテーゼです。
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P.S.
奇麗事かもしれませんが
これも俺の本音です。
人間の脳には本能的な意識によって支配されている旧皮質と
理性的な意識にって支配されている新皮質が存在しています。
両方があるということは
本能だけでなく理性だけでもなく
人間にとってはどちらも必要なものであるという事かもしれません。
両方の融合した所に
人間の有るべき姿があるという事かもしれませんよね。
そう言えば”中道”という立派な考え方が
仏教にはありますよね。
でもその仏教徒であるはずの創価が道を踏み外しているのは
一体どういうことなのか。
他の仏教組織はこの道を誤った創価組織を正しては
頂けませんでしょうか。。。
俺が時々暴走するのは妙な正義感に燃えた時。
でも俺の妙な正義感も
言って見れば”極端な善”に走る行為です。
そして当然善に走ればそこには敵としての悪の意識を
強く認識していますしそれを憎む心も強くなります。
彼ら加害者と一緒と言う事かもしれませんね。。。
そしてもしかしたらそのような俺の怒りの感情は
対立を歓迎する人間達を
喜ばせているだけなのかもしれませんね。。
反省しつつも、
でも訴えなければ何も変わらない
複雑な意識に囚われて俺は困る事が多いのです。
テーマ: 政治・経済・時事問