萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part2 第28話「パトナにて」

2009年04月10日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<パトナの街にはガンガ(ガンジス川)が流れる>

パトナはビハール州の州都だけあって、チャイニーズレストランも大きな郵便局もあるので、体力回復と帰国準備の為、2日ほど滞在した。5月1日帰国予定なので、残りは10日ほどである。実際に自転車で走るのは5日あるかないかだ。もはや、一ヶ月も二ヶ月も走れる装備を持ち歩く必要はない。必要最小限を残して、不要なものは日本に送り返すことにした。また、家族や友人へのおみやげもパトナで揃えて送ろうと考えた。ここから、帰国まではなるべく身軽で行動しようという魂胆だ。


1980年4月20日(日)晴れ

 今日は休息日。リアサイドバッグ二つとリアキャリアを送ることに決める。これで、自転車の後ろの荷が軽くなる。実走ももう4、5日。ちょっと寂しいことではあるが、いよいよ、旅の終わり支度に入る。インディアンエアラインにも行って帰国のチケットを買う。わりと簡単に買えた。72時間前の再確認は必要ないとのことで助かる。

一度宿に戻って昼寝をする。暑い時間帯はなるべく動かないに限る。夕方、涼しくなってから、汚れ物の洗濯をした後、土産を買いに出る。インドの婦人用民族衣装「サリー」を三着買う。インド民族衣装のサリーであるが、ただ布地を買っていっても、着方がわからなくては面白くないので、聞いてノートに書き込んだ。下の図がそうだ。(筆者注:旅行記にこう記してあるが、帰国後二着のプレゼント先は覚えているのだが、一着ははたして誰にやったのか思い出せないでいる。)


【サリーの着方補足】
 �サリーとは大きなスカーフみたいなもの。
 �ブラウスと下穿きのスカートの上から、サリーの端を
  スカートの腰部に挟んで一巻き巻く。
 �ウエストサイズに合わせ20cmぐらいの幅で折っていく。
  私が試着した時は12回折った。
 �最後にあまった布を後ろから右肩にまわし前方にたらす。
 �髪型は真ん中分けのアップ。イヤリング、ネックレス、腕輪などで着飾る。
 �履物は大概は草履。


E君から譲ってもらっていた雨具をここで売ったが、5ルピーで取られてしまう。シークのオッサン、商売うまし。定価購入しかしたことのない、日本人は手玉に取られてしまう。

昼飯は例のチャイニーズレストランでとる。正午あたりは暑い盛りとあって、さすがにサッカーなどやろうという勇気ある若者はいなかった。このチャイニーズではチョーメン(ヤキソバ)がうまい。メニューにある「スライスチキン」なんてのを今度は食べてみようなどとと思いながら、店を出る。


翌日。不要の荷物と土産を日本に送る為、郵便局に行く。安くあげるため、時間がかかってもいいから船便(Sea Mail)で送りたいと言ったが、船便は無く、空便(Air Mail)オンリーだという。かなり、高額な小荷物代を取られるのではと思い一瞬真っ青になったが、150ルピー(約4500円)だというので、突拍子もない価格ではない。高いには高いが身軽になるためにはいたし方なし。送ることにした。

ダンボール箱を持ち込んだが「このままでは送れない。専用の布と紐で荷を縛れ」という。「じゃあそれを売ってくれ」というと「ここにはない」との返答。市場へ行けという。面倒くさいと思いつつ、郷にしたがって市場に行く。雑貨屋みたいな店に入って、エアメール用の布と紐を下さいと言うと、売ってくれた。もう、気温は大分高くなってきている。荷をくくるだけでも大汗だ。一応荷をこさえてまた、郵便局にもっていくと、今度はすんなり手続してくれる。ホントに着くのかなぁ。不安ではある。

さて、明日から数日は仏陀ゆかりの地である、ブッダガヤやラジギールを回ってこようと思う。ブッダガヤは仏陀の悟りの地、ラジギールは仏陀が教えを広めた当時の強国マガタ国の首都だったところである。またパトナに戻ってくるので、荷物は最小限でいい。自転車を軽くして出発だ。もう実走するのは四日ほどになった。長かったこの旅もいよいよ大詰めだ。頑張るぞ。

            (つづく)

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