空に問う。

空に問うても果てがない

天台は・・・。

2017-11-20 10:30:31 | 日記
徳川家康の国士とは、天台僧の天海上人だけど、どうも風水を駆使しているから陰陽師でもあったんだろう。天海=智光秀説信じてますけど。

何故か天台の高僧は魔に落ちる。これはお約束。だから天台宗の寺院にあまり興味が湧かない。なのに紅葉狩りにつられて行ってしまった・・・。で、口唇ヘルペスは出るわ。奇妙な夢ばかり見るわ、最悪。密教系なら真言宗の方が体質的に合う。

この間、日光東照宮のSPを観てて思ったんだけど、あれは神仏習合の「神社よりの寺院」だと思っていたけど、本殿の向こうに墓所があるという事は、朱子学(儒教)や陰陽道に近い招魂系の作りなんだよね。

朝廷が国禁とした陰陽道の招魂術がたぶん野に放たれて、比較的広まっていた証拠なんだろう。家康は武家諸法度などを朱子学を参考にして作り出しているから、朱子学の負の部分でもある招魂という儀式に魅せられていたのかも。死んでなお江戸や徳川家の祖神として君臨したかったんだろう。

皮肉にも招魂を再度復活させたのが長州や薩摩だというのは悲劇だけど。

ただ家康は信長、秀吉が犯した禁は犯さなかった。

それが半島への野望である。朝鮮半島に関わると日本は絶対に失敗する。呪われんだと思う。あそこは呪詛の染み付いた土地。

天台の寺と同じくらい日光にも関心が湧かない理由は、これなんだよね。密教もしくは曹洞宗の寺院なら惹かれてしまうけど。

崇敬する神社にはご神体があるのだろうが、ご神墓と言うものも存在してる。まあ今の日本の神道は古代の自然崇拝的な古神道の流れも汲んでいるが、早い段階で仏教、道教、儒教、景教を取り込んでいて、最終的に密教と結びついてる。だからまあ鎮魂術が有名な神社であるが、招魂術も盛んに行われていたんだろう。

如来にしても仏には寿命があり、不死ではない。ただし神道の神話の神は不死である。

そして高天原が天であるのは錯覚で、高天原は海の彼方にあり、黄泉は地続きの地下に存在すると考えた方が良さそうだ。

古事記を「天」と読み解くためには密教の宇宙観を持ち出さないと肯定が出来ない。造化三神など宇宙創成と似ているというけれど、あくまでも地球創造の話であって、諾々とした生命のスープである海のカオスから生まれた話のような気がしてくる。まあ密教の宇宙観さえも古事記や日本書紀が取り込んでいたんだと思うけど。

天(アマ)とは海(アマ)なんだろう。沖縄に原型が残ってる。天上神の天照が海神を生むのはおかしな話でもある。天界の神なら空の神を生まなければならないけど、風の神、天の神、雷の神がいても、天空を支配する神はいない。天照にしても太陽は海から生まれて海で死ぬ。再生の神である。星の神は密教の神だから。

日光東照宮が創建されたころはまだ朱子学神道は形成されていないから、多くの神社のご神体は神の墓である可能性が高い。山がご神体と言う場所にでも頂上には巨石信仰がある。石とはすなわち神の降臨する場所でもあるし、墓そのものなんだろう。

明治の神仏分離は伊勢神道の考えを参考にして行われたから、鏡をご神体とすることを考慮すると悉く破壊された地主神のご神体とは墓石だったんだろう。=ご神体とは「神の骨」という事だ。かつて神は肉体を持つ存在で肉体が死ぬと霊体となり不死性を帯びる。しかし霊体は「肉体=骨」が依り代で、それなしでは存在が成り立たないから、ほとんどの神々は神仏分離と廃仏毀釈で消えてしまった考えるべきか。

出雲大社のご神体は謎だとされているが、おいら的にはネアンデルタール人の遺骨(化石)か、髑髏のような形の隕石だと思う。









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