ももママの心のblog

猫が大好き。有料老人ホームで生活相談員をしています。映画が好きだけど、なかなか見られません。

トッポ。そして、ジュリー(追記あり)

2009-01-22 | Weblog
私が小学生の時にザ・タイガースは最盛期を迎えていました。何かの、誰かのファンに本当になったと思えるのは、私にとっては「ザ・タイガース」でした。そして、その中でもトッポが大好きでした。

なので、「花の首飾り」は忘れられない1曲です。トッポ(加橋かつみ)の透き通る高音がいかんなく発揮されるヒット曲となり、ザ・タイガースはこれでツインボーカルという感じになります。



「君だけに愛を」も、ボーカルであるジュリーとコーラスの掛け合いになっていて、コーラスはサリーのベースとトッポのテナーがとても綺麗でした。小学生だった当時はそうは聞かずに、ただただ、トッポの声だけ聞いていましたが・・・ww

そして、1969年2月失踪・・・。ザ・タイガースを脱退するという当時としては大事件が起こります。失踪して行方不明とのことで、テレビ番組でカメラに向かって「トッポ、帰って来い~」と叫ぶジュリーたち。私も半泣きで一緒に叫んだ覚えがあります。

順調にヒットが続き、初めて全員でアメリカに行って帰ってきた時に、トッポはすっかり当時のアメリカで最先端だったヒッピーファッションに影響されてそのファッションに身を包み、素足で飛行機のタラップを降りてきたのでした。

そもそも彼は(たぶん高校時代に)ベレー帽をかぶってスケッチブックを持ってジャズ喫茶に行くというセンスの持ち主です。小・中学時代は教会の聖歌隊で謳っていたとの情報も公式HPにあります。ヒッピーファッションは単なるファッションだけの問題ではなく、アイデンティティに関わる問題だと思います。彼は、インドのシタールなどにも興味を持っていたし、自由でオリジナリティのある生き方を探っていたのではないでしょうか?

「廃墟の鳩」というメッセージ性の強い曲を、トッポのボーカルをヒューチャーして発表。ヒット。そして、この曲を含んだアルバムは「ヒューマンルネッサンス」と名づけられ、メンバーのオリジナル曲もはじめて含まれるという画期的(当時のザ・タイガースとしては)なことになります。

メジャーデビューをするときに内田裕也のアドバイスを得て、デビュー前は「ファニーズ」と名乗っていた彼ら5人組は、渡辺プロのオーディションを受けます。まんまと(!)受かった彼らは上京し、グループ名を「ザ・タイガース」と名前を変えてメジャーデビューすることになります。事実上の音楽プロデューサーだったすぎやまこういちなど、優秀な後押しもあり、すぐに人気者になる彼らです。

でも、音楽的な基礎も訓練もできていない彼らは当時のグループサウンズの中でも、「人気はあるんだけど」といわれてしまいます。ジュリーの天性の音感とルックスを前面に出して、アイドル路線まっしぐら。本当はハーモニーが綺麗で、それぞれに音楽的な才能のあるグループだったのに・・・。

「廃墟の鳩」アルバム「ヒューマン・ルネッサンス」で音楽家として、また、オリジナリティのある人間として自立したかに見えたその直後の失踪だったので、余計にショックを受けた覚えがありました。

失踪したトッポはその後ソロで売り出しますが、残念ながら売れませんでした。パリでレコーディングしたり、ミュージカルに出演したりなど、当時としては最先端だったんですけどね・・・。

そして、こんな思い出をネット上で調べ、思い出しながら、今になって衝撃の事実を私は知ることになるのです。

なんと、トッポの失踪劇は茶番だったのです!
事務所が謝罪会見をしているという記述まで見られました。

が~ん。

30数年も経って今になって知ることになるなんて!

どうも事務所的には扱いにくい若者だった加橋かつみは、合宿生活をしていたザ・タイガースの時代も、真っ先に1人暮らしを始めるし、ジュリーとも衝突していたと書かれています。確かに、体育会系歌手であるジュリーと文科系歌手であるトッポは、相容れないものがあります。渡辺美佐さんも、ジュリーだけを気に入っていたとも言われているみたいですね。

とにかく、トッポは売れっ子だったザ・タイガースを簡単に脱退するわけにいかなかったのです。京都時代から仲良しだった5人が仲間割れするなんて、また、事務所と方針の違いでもめるなんて、表に出すわけには行かなかったのでしょう。

たぶんそんなわけで、3月に失踪した彼は何故か4月にはパリでソロの新曲を録音しています。少なくとも、計画的な脱退だったとしか思えません。しかも、この時録音されたアルバムの作家は、安井かずみ・村井邦夫、山上路夫、かまやつひろしなどという豪華バージョンだそうなんです。周到な準備なくして、ありえません!

安井かずみも六本木のキャンティの常連で、トッポも当時は常連だったそうですが、アルバムプロデュースのクレジットのある川添象多郎氏はキャンティ・オーナー川添浩史の息子であり、浩史氏がパリレコーディングの機会を作り、費用も持ったという情報もあります。(「キャンティ物語」より孫引きです。出展は以下です。)

http://www.etcrec.co.jp/tigers/column15.htm


トッポファンだった私は、この一件で、今になってショックを受けています。傷ついた乙女心(当時)を、どうしてくれる~ってそんな気持ちです。

そして、当時の私はザ・タイガースファンとしては興味を急速に失い、トッポ脱退後は、レコードを1枚も買っていませんし、曲も1曲も覚えていません。歌番組を見ていても楽しくなかった覚えがあります。ジュリーのこともその時期は、まったく記憶がないのでした。なにしろ、トッポファンでしたからね。(何回書くんでしょう。しつこいね。)

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2 コメント

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懐かしい~ (cyaz)
2009-01-26 12:32:16
ももママさん、こんにちは^^
実は僕もGS大好きで(笑)、マネしたりしてました。 僕の場合はオックス好きで例の赤松愛クンが比較的近所に住んでいました(汗)
好きな彼女がターガースファンでこの記事見つけて懐かしく思い出しました(笑) 何かの縁ですかねぇ・・・彼女、小・中・高と同じ学校で、しかも今もメル友です(笑) 相変わらずジュリーは好きなようです(笑) すいません、つまらない話で(汗)
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ザ・タイガースファン! (ももママ)
2009-01-26 22:32:44
>cyazさん
ザ・タイガースファンは、当時は一番人気だったのでメジャーと思われます。オックスファンの男の子は、どっちかというとマイノリティーかも・・・?
赤松愛クン!可愛かったですね。
今では、どんなおじさんになっているのかしら?会いたいような、会いたくないような~。ww

いずれにしても、懐かしいです。
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