オームの高橋等々逮捕!!
騒然とした現場
あっさりと逮捕
でもなくなられた方々は・・・
元気な声を再び聞くことはない
浅原を早く刑の実行を!!
オームの高橋等々逮捕!!
騒然とした現場
あっさりと逮捕
でもなくなられた方々は・・・
元気な声を再び聞くことはない
浅原を早く刑の実行を!!
今年初めて^^:\\\ごぶさたです・・・
1月8日成田快晴の日本を飛び立ちました
行き先はウィーン、ブタペスト、プチスラバ、プラハ、ドイツ(ドリスデン、マイセン)
など5ヶ国を回る・・・でも2連泊でしたから意外とのんびりでした。
ウィーンに最後の日2連泊で初めてチラチラと雪が
日本に戻り家について「わぁ~~~」
玄関に入れない!!
雪で。まず車庫からスノーダンプ出して夫と2人で雪かき^^:
やれやれ・・・荷物を解き洗濯すませて、もう一度雪かき>アセアセ
よく降りましたね~~今年は。
家の前は2mはあるかと・・・
来年は玄関からのアプローチ消雪パイプを引いてもらうことに
早々にお願いしておきました。
もう腕が痛くて悲鳴をあげています・・・
楽あれば苦あり^^
9月があっという間に慌しく終わりました
外を見るともう木々は色づいています
一年はやっ!
実は9月息子が交通事故にあいました
幸いケガは外傷だけ・・・
頭を切っていたのと、手などを打ち身擦り傷
そう思っていましたが昨夜・・・手がしびれる
という電話
医者にすぐに行くよう進めましたが、7m飛んだということはやはり
そう簡単なことではなかった?
車が一法的に悪いと警察も認めてくれていますが
何やかや面倒な書類・・・
仕事に行けない・・・之は災難です^^:
事故やはり怖いです。
簡単に大丈夫とは言えない
先生もこれからなにが出てくるか見るために入院期間大目にとります
そんなぁ~と思ったのですが。やはり大事なことでした。
退院はしたものの、腰も打ち身があり・・・
なんだか心配に・・・痺れはどこから?
「ひとこと」がなくなったのですね・・・
あの場所でお友達になった方もいます
ご無沙汰していて知らずご挨拶もしていません・・・
「ごめんなさい」
もに
まだ寒さが残る4月21日
弟は静かにしずかに逝きました・・・
余命1年半とは言ってましたが、こうも早くその日がこようとは・・・
1月抗がん剤治療が終わり一時退院してきました。
その後は意外と元気で過ごしていた弟でした
そこに、あの大震災です
高校、大学と岩手で過ごした弟は友人、知人の安否をまず心配しておりました。
わたしにも、「調べられたら調べて」
唯一仙台に住んでいる知人の連絡取れたのは1週間後
あの高田、気仙沼、大船渡が壊滅状態を知りました。
幸い知人は家も家族も無事とのこと・・・
高田に住んでいた友人への連絡ヤット取れたと言ってきました
それからです・・・震災ボランテアに取り組み自分で野菜、布団、米など集め
被災地へ・・・
被災者と囲んだ弟の笑顔は・・・・・
顔はむくみ笑顔が心なしか寂しそうにかんじました・・・
このときもうすでに死が近づいていたのです。
時間がないこと自ら悟っていたような
何度も何度も被災地に物資をはこんだそうです。
最後の時間自分のためでなく人のために生きた・・・
そんな最後でした。
顔も手も足もパンパンにむくみ肺炎をおこし救急で運ばれたときは手の施しようもない
そんな状態でした。
駆けつけた時はかすかに反応するくらいで会話はできませんでした。
意識も日を追うごとに薄れ4日後息を引き取りました。
アレから49日
12日に納骨いたします。
安らかに
そしてキャンデーズのスウちゃんの歌をきいているかも^^(同じ日です)
父母も居ます。今頃甘えているかも・・・
4月21日
癌宣告を受けて抗がん剤治療を受けて居た弟が…疲労からと見られる肺炎で亡くなりました。
被災地に物資を調達!
野菜、布団、米など生活必需品を、あちこちかけずり回り陸前高田や大船渡などへ10トントラックに積み亡くなる前まで何と11回運んだそうです。
被災地の方と笑顔で撮った写真は、ビックリするような顔でした…
見るのも辛い…顔はパンパンに腫れていました。
体調もきついはずなのに…馬鹿!どうしてそこまで?
残された家族はどうなるの?
いたたまれない気持ちです…
弟がした行いは素晴らしい事ですが複雑!
命大切にしてほしかった…
色んな所に義援金をお願いし、自らも相当なお金もだしていたようです。
この地震が憎くもあります(-"-;)
国の支援が欲しい民間がこんなに頑張らなくても…
私のエゴでしょうか?
弟はもうこの世にいない…
ご支援の声を頂いた皆様へ。
皆さんの温かい支援の声に、深く感謝いたします。ありがたいことだと思います。本当にありがたいことです。
私は、パソコンを打つのに時間が掛かるので、息子のMに
後を頼みました。申し訳ありません。(土*)
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みなさんはじめまして。土*の息子のMといいます。
父が朝、パソコンを開けて、慟哭をしていましたので、びっくりして事情を聞き、皆さんのコメントをじっくり見させていただきました。
全国の人に伝えたいことがある、という父の要望を聞き、このサイトに登録してやったのですが、父がこんなことをみなさんに発信してることは、今日まで知りませんでした。
まずは、お騒がせするようなことを書いた父に代わって、皆さんの優しいお気持ちに感謝を申し上げます。
父の日記に対し、直接の援助の申し込みもあったのですが、お気持ちだけはありがたく頂戴いたします。幸い、私の家は蔵にヒビが入った程度で大きな被害も無く、私の家はこの辺でも比較的楽な生活をさせていただいているので、私のところへの援助は不要です。
朝9時から、父たちがやってる支援部隊の集まりがありました。
皆様の暖かい声は、ここでも伝えました。
支援部隊は全員で約20名。部隊に直接参加できない人や老夫婦所帯は物資の提供や浄財の提供で、部隊を支えて頂いています。ただ、私自身も平日は勤め人であり、平日の活動には参加できない状態で、平日は父の様な農家の人間6~7名で3台の車に分譲して動いている状態です。
各集落にはわれわれのような小集団がいくつもあって支援活動をしています。
そのようなわけで、皆様からの支援を直接頂戴してもこれ以上の活動はできない状態にあります。
また、私どもの部隊も、明日以降は県の社会福祉協議会や生活支援本部などの方へ代表が出向き、指示を仰ぎ今後はその指揮の基に活動をする方針にいたしました。
聞くところによると、社会福祉協議会は市町村単位でボランティアセンターを開設し、集まった物資や義援金を活動者たちに配分し、被災者の救援にあたる事になるのだということです。
もうすでに開設してる地域もあり、われわれのような部隊の人間からの情報に従って、小さな避難所や在宅避難者へも物資配分をしていくようですので、これまでのようなことは無いかと存じます。
そのようなわけで、せっかくの皆様の支援のお申し出ですが、社会福祉協議会、もしくは各市町村の方へのほうへお届け頂くのが最適と存じます。そこから私どものような部隊や、応募いただいたボランティアの皆様を通じて配布されることになると思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
なお、父は「***」「:::さん」「***さん」などには直接日記のたち上げを依頼し、協力をいただきましたこと、心から感謝の意を伝えてほしいとのことです。
また、その後も続々と日記を立ち上げていただいた皆様に深く感謝いたしております。
また、イマジンさんからの情報で、東京の「妖怪JIJIさん」と言う方が、岩手の我々のような部隊にすでに10日近くボランティア参加しているとのこと。4回にわたる参加までの経緯の日記において、やはりボランティアは迷惑、といった情報に戸惑いながらも、ご本人で調べて決行されたことが書かれてありました。私からはその行動力に深い感謝の意を表します。
父は、今も涙眼で、私の横で打たれる文字を食い入るように見つめております。皆様本当にありがとうございました。
PS:岩手・三陸のリアス式海岸の小さな村落には、我々の廻っている所以上に厳しい状況の避難者がいるようです。どうぞ、皆様のご支援をそういう方たちのところへもお願いいたします。
土*、息子M
この日記は「転記」です。
中国の暦一年を通じて24節と区切りをつけたことから・・・今時分の時期を
そう呼ばれた。といいますが・・いまやこの暦のようにはなっていませんよね!
何時までたっても寒いし雪もちらついています。
庭を見ると大分雪も溶けて着ましたがマダまだ・・
ただあれほどあった雪の山も大分減りました。
雪を少しでも溶かそうと先日つついてみました
バラ、椿・・・悲惨な姿です
まだ雪で見えていないつつじは多分ぺちゃんこかと・・・・
雪が溶けると雪垢で庭も汚い
それが雨などで洗われるとやっと綺麗になりますが・・・
今年は少し花壇を変えてみようと思います。
窓際に持ってこよう
後は雪が降っても大丈夫な草花に変えようかと思案中
早く庭の手入れをしたぁ~~~い